通勤日記ーキシリトールおやじー
時代とともに新しいモノが出現し、古いモノが忘れ去られていく。世の常とはいえ、ここ最近のテクノロジーは、変化のスピードを著しく加速している。
その最たるモノは、パソコンやスマホなどの情報機器だろう。メモリやストレージ(記憶装置)の単位は、メガからギガへ、そして近年ではテラという単位が、違和感なく使われはじめた。
一メガをお金で表せば百万円、一ギガならば十億円、そして一テラなら一兆円である。この一兆円という金額は、毎日百万円を使っても、使い切るには、二千七百年以上かかる。ひとりの人生では、とてもあがないきれない。
まあ、お金で例えてみると、テラという単位がどれだけ大きなモノかがわかる。一度でいいから、一テラ円というものを拝んでみたいモノだ。ちなみに、テラの次の単位はペタで、次がエクサ、その次がゼタというのだが、近い未来にこの単位をつかう場面がでてくるのだろうか?
はなしをもどそう。
時代の変化をいうなら、野菜や果物も例外ではない。ぼくが子どものころ、八百屋のザルに置いてあった野菜は、白菜、キャベル、キュウリ、茄子、カボチャ、インゲンなど、和食にはお馴染みのモノだ。だが、いまスーパーの野菜売り場へ行けば、ブロッコリー、チンゲンサイ、アンティチョーク、ロマネスコ、モロヘイヤ、ラディッシュなど、ぼくの子どものころには、八百屋で見なかった野菜が、ごろごろ置いてある。これら以外にも、チコリーやビーツなど、ひろい上げればきりがない。
これら新しい野菜の台頭で、消えていった野菜も少なくない。たええば人参。ぼくが子どものころは、ゴボウのように細長いモノが主流だったが、いまはずんぐりむっくりの西洋人参に、とって代わられてしまった。また大根も、青首大根が主流になると、かつて一世を風靡した練馬大根や三浦大根といった品種は、スーパーの野菜売り場から消えていった。
余談だが、昔の大根は太くて大きかった。だから、足の太い娘をみると、悪ガキたちは「大根足」とはやし立てた。だが、いまの大根は白くてすっとしている。だから、かつての冷やかし言葉は、いまは褒め言葉だ。
ふたたび、はなしをもどそう。
野菜とおなじく、果物も例外ではない。ぼくの子どものころ、南国のフルーツといえばバナナだった。それ以外になにかあるかと訊かれても、バナナいがいには思いつかなかった。だが、いまスーパーへいけは、マンゴーやパパイヤだけでなく、ドラゴンフルーツやパッションフルーツなど、トロピカルな果物が並んでいる。バナナで育ったものにとっては、隔世の感はいなめない。
キシリトールという甘味料もそうだ。甘味料といえば、サッカリンやチクロで育った世代には、まったく未知の存在だった。
思いかえせば幼いころ、駄菓子屋で買った甘いお菓子や飲みものには、サッカリンやチクロがたっぷり入っていた。砂糖の三十倍といわれる人工甘味料は、子どもたちののどを潤し、こころを満足させた。だが、これらの甘味料は、のちに発がん性が指摘され、使用が禁止された。
ずいぶんサッカリンやチクロを飲んだように思うが、その影響があらわれるのは、還暦をすぎたいまかと思うと、ちょっと複雑だ。だが、いまさら時計は巻き戻せない。日本人はもっとはやく、キシリトールの存在に気づくべきだった。
そう! このはなしは、そんなキシリトールがテレビCMに登場し、多くの日本人がその存在を知り始めたころのことである。
☆ ☆ ☆
残業で遅くなった帰り道、有楽町駅についたのは午後十時半を回っていた。相変わらず混みあう車内に乗り込むと、座席は当然埋まっていて、「つり革で前の人が立つのを待つモード」に突入することになった。
つり革にぶら下がりぼーっとしていると、電車は永田町、市ヶ谷、飯田橋と、乗り換えのため、席を立つ可能性の高い駅を通過していく。しかし、ぼくの前に座る中年男性は、本を熟読し、立つ気配がない。
そのときだった。飯田橋から乗車してきた中年男性が、座席前のつり革スペースに身体をねじ込むと、突然まえに座っていた女性にキシリトールガムを差し出し、「ねえちゃん、くわねえか?」といった。じつに楽しそうな笑顔だった。
年のころは五十代であろうか。白髪八十パーセントの白い頭で、真っ赤な顔をしていた。きっと酒でも飲んで気持ちよかったんだろう。もしかしたら、会社の同僚と飲みに行って、若い女性と騒いでいたのかもしれない。その余韻を車内に持ち込んできたのなら、じつに幸せな時間を過ごしているといえよう。
女性の方は二十五才らいであろうか。どこか純真そうな雰囲気があり、近頃の盛り場で見かける女性の容姿とは、一線を画していた。
女性は一瞬とまどった表情を見せながらも、「すいません」と小さく頭を下げガムを受け取った。すると、白髪&赤ら顔のオヤジは、やおら調子に乗り、キシリトールガムの説明を始めた。とくに目新しいことはなく、おそらく誰でも知っている内容を、だらだらと話し続けている。
女性は話を切るタイミングを見計らっている様子だが、白髪&赤ら顔オヤジの方が一枚上手で、話しかけ攻撃の口は緩まない。そのうち話は西武池袋線と東武東上線の関係に展開し、女性に対し「どこまで帰るのか?」と最寄り駅を尋ねるに至った。
ははーん。なんだかんだといっても、自分が座りたいがために、女性の降りる駅を聞き出そうとしたのか、と得心したときだった。
白髪&赤ら顔オヤジは、突然こういった。
「俺は西武線沿線なんだ。知ってる? 三月から有楽町線が西武線に乗り入れるんだよ」
ということは、この電車は和光市行きだから、このオヤジは小竹向原で乗り換えるんだ。すでに電車は池袋駅に近づいており、あと四駅くらいで降りなければならない。ならば、キシリトールでたらし込んで、あわよくば席に座ろうという魂胆じゃないのか?
そうこうしている間にも、オヤジは話を切らさない。どうやら東武東上線より西武池袋線の方がえらいと思っているのか、しきりに森林公園を引き合いにだしながら、東武東上線は「田舎を走る電車だ」と馬鹿にするのである。そして、「ねえさん、朝霞台と北朝霞の違いを知っているか?」と尋ねた。
女性が知らないというように首を傾げると、JR武蔵野線の駅が「北朝霞」で、東武東上線の駅が「朝霞台」であると、東武東上線の乗客なら至極当然の話を、さも自慢げに語りだした。そして、同じ場所ある乗換駅なのに、JRと名前が違うことをやり玉に挙げ、だから東武東上線はだめだというニュアンスの言葉を吐きだした。
しかしこの評価は正当とは言えない。西武線だって、おなじ乗換駅なのに、JRの「新秋津」とは違う「秋津」という駅名がある。また東京メトロには、「永田町」と「赤坂見附」や「有楽町」と「日比谷」など、違う駅名の乗り換えはいくつもある。
ぼくは、東武東上線を利用する者として、若干の不快感を覚えたが、酔っぱらい相手に抗議をするのも空しいと思い、オヤジの言葉を受け流した。
結局、白髪&赤ら顔オヤジは、自分のしゃべりたいことをまくし立てると、気が済んだのか、西武線に乗り換えるために、小竹向原駅でホームに降りていった。このとき女性に安堵の表情が浮かんだことをぼくは見逃さなかった。
しかしいったい何だったのか? なにがいいたかったのか? 謎は深まるばかりであった。
そのうち女性の隣の席が空き、誰も座る気配がなかったので、素早く腰掛けた。女性は、中年オヤジは飽き飽きといった体で、当然のようにぼくを無視している。ぼくはどんな気分だったのか、尋ねてみたい衝動にかられた。
【補足の話】
二〇二四年現在、有楽町線から西武線への直通電車は、秩父への玄関口「飯能」まで延びている。いまでは、飯能から横浜中華街まで、乗り換えなしで行き来することができる。
まことに便利な世の中になったが、この便利を享受するためには、複雑な路線経路を把握する必要があり、これから高齢者になるぼくにとっては、とても複雑な心境である。
・・・つづく
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