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通勤日記ーボタンが飛んだ日ー

 この世の中は、性善説せいぜんせつで成り立ってくれないと困る。街でむやみに人を傷つけるひとはいない、信号が赤になれば車は止まる、電車のドアが開けば降りる人が優先される、などなど。これら不文律ふぶんりつが崩れてしまえば、安心して街を歩くこともできなくなる。

 しかし、このような性善説が成り立つからと行って、それを正義と振りかざし、他人を攻撃してもいいとは言えない。いつだったか、不祥事を起こしたボクサーに、芸能レポーターが正義の暴力を振るっていたことは、ぼくの記憶にしみついている。

 正義は多面的だ。絶対なんてありえない。だから正義を振るうときは、謙虚になるべきである。

 相手の意見や状況を見て、諭すときは諭す。そんな態度が大切だと思う。

     ☆     ☆     ☆

 ある日の帰り、有楽町線ゆうらくちょうせんでの出来事。その日はラッキーなことに、飯田橋いいだばしで座席に座ることができ、そのままうとうとと微睡まどろんでいた。そして、しばらく時間が経過したころ、突然男の大きな話し声で、つかの間の安らぎを破られた。男は一八才くらいの若者で、話し相手は携帯電話の向こうであった。

 ちょうどぼくの座席の真ん前で、座席に浅く腰掛け、両足を大きく開き、誰はばかることなく大声を張り上げていた。周りの人々は一様に迷惑そうな様子であったが、誰も男を注意することはしない。ぼくもしばらく様子を見ていた。すると、どうしても納得のいかない発言が、ぼくの耳に飛び込んできた。どうやら相手は女性らしく、携帯電話の通話料がかさむことを嘆いたらしい。そこで男はこういった。

「電話代なんて親に払わせればいいんだよ。テメエが買ったんだろ、買ったんなら責任を持って払えよ、っていえばいいんだよ」

 この発言には、世間一般でいう非常識が集約されているように思う。

 一つは報酬が努力の結果得られるという原則を判っていないこと、二つ目が、親に向かい「テメエ」などという蔑称べっしょうを使うこと、そして三つ目が、短絡的に親に頼る自主性の無さ。まったくこんな若者が子供を持つ立場になったら、どんな教育をするのかと背筋が凍る気持ちになる。

 ところが、翌日のことである。同じく帰りの有楽町駅で、電車がくるのを待っているときのこと。有楽町線は、三列の整列乗車を行っている。ぼくは三列のちょうど真ん中で電車がくるのを待っていた。そして和光市わこうし行きの電車がホームにすべり込んできた。

 ところが新米の運転手だったのか、いつもの場所より少し進んだ位置に停車した。すると、ぼくの立っている位置が、ドアのど真ん中になってしまい、降りる人をさまたげるカッコウになってしまった。ぼくはすぐに左側にずれて、降りる人に道をあけようとしたが、左側に並んでいた人とぶつかってしまい、完全に道をあけることができないままにドアが開き、人が下りてきた。

 その時、五十才くらいのサラリーマン風の男が、ぼくを邪魔だとばかりに肩で排除し、男の右手にある鞄の金具が、ぼくのスーツのボタンに引っかかった。男はさらに無理矢理通過しようとしたため、ぼくのボタンが吹っ飛んでしまった。

 実はその瞬間、ボタンが吹っ飛んだことに気が付かず、引っかかった金具がスーツから外れたくらいに思っていた。念のためスーツのボタンを確認すると、一つが無いことに気が付いた。すかさずあたりを探したが、ボタンがない。男は無言で遠ざかって行く。ぼくはボタンが気になりながらも、男に駆け寄り肩をたたいた。

「あなたね、ボクのスーツのボタンを吹っ飛ばしたのに、気が付かなかったのですか?」と訊ねた。

すると男は、

「降りる方が優先だろう」と、自分の正当性を主張した。

「するとあなたは、人のスーツのボタンを飛ばしておいて、なにもいわずに立ち去ってもいいというのですか?」

 というと、男は多少良心の呵責かしゃくがあったのだろう、

「あっ、それは申し訳ない」

 と、突然態度をひるがえし、謝罪の言葉を吐いた。

 ぼくは、ボタンが見つかれば、これ以上話を続けるつもりはなかった。和光市行きの電車をやり過ごしているわけで、早く家に帰りたいとも思っていた。すると、男は言葉を続け、「あのボタンですね」と、ボタンの落ちている場所にぼくを案内し、丁寧にも拾って渡した。

 この時の状況を客観的に見れば、外見的にはぼくのほうが喧嘩は強いと思われる。男はこの辺のことを値踏みして、態度をひるがえしたのかもしれない。このときの男は、降りる人優先の原則だけを主張し、ある意味では故意にぼくのスーツのボタンを飛ばし、ボタンが転がった場所まで確認しながら、黙って立ち去ろうとしたわけだ。

 ぼくはふと考えた。よく中年と呼ばれる人が、「今の若者は」といって嘆いているけれども、よく見ると分別盛りの中年おやじに、非常識な振る舞いが結構あることに、言及せざるを得ない。公共の場所で平気でたばこを吸い、手に持ったたばこを振り回したり、ポイと平気で捨てたり、道路に平気でつばを吐いたり、はたまた酔っぱらって電車の中に汚物をまき散らしたり、言い出せばきりがない。

 冒頭に書いた若者も、信頼を友だちや先輩に求め、淋しく生きてきたのかも知れない。若者の非常識を嘆く前に、子を持つ親の年代の非常識を嘆くべきなのだろうか?


・・・つづく

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