1月12日
今日1月12日は、スキーの日です。
1911年(明治44年)のこの日、オーストリアのレルヒ少佐が、新潟県の高田(上越市)でスキーの指導を行ったことにちなみます。
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じつは、ぼくはスキー歴45年のベテランです。
スポーツになんの取り柄もないぼくですが、スキーだけはちょっとだけ自慢できます。
新潟県出身の先輩に誘われ始めたのがきっかけで、それ以来ずっとスキーの魅力にとりつかれています。
その先輩、ぼくが20代の時、すでに60歳を越えていましたので、ご存命なら100歳を過ぎているはずです。
湯沢や石打がホームスキー場で、石打丸山のレストラン「おかむら」や、山頂喫茶店の「邪宗門」で、よくスキー談義をしました。
そうそう「アクメ」という名の宿がありましたが、川上宗薫の小説を愛読している人には、いらぬ誤解を与えたんじゃないかと、余計な心配をしたのは、いい思い出です。
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それはさておき、当時のスキー場はほとんどがシングルリフト(一人乗り)でした。
だから、若い男女がリフトで語りあうなんてことは出来なかったので、今のようなオシャレな雰囲気もありませんでした。
いまでも覚えているのは、まだぼくが20代のとき、湯沢スキー場で知りあった地元のオジサンと、一緒にスキーをしたことなんです。
当時は、リフト一日券の元を取るんだと、午前中に何十回も滑り降りるようなスキーをしていましたが、オジサンたちは、スキーを楽しむと言うよりは、スキー場で楽しむという雰囲気だったのです。
そんなオジサンたちを見て、ぼくも70歳くらいになったとき、スキーを続けていたいな、なんて思いました。
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そして今年、その年になります。
いまは、年に数回のスキーを楽しんでいます。
おもに上越方面で、交通手段は新幹線。
若いころは、深夜に車を走らせ、早朝からスキーを楽しみましたが、この歳になると無理。
でも、いいことも。
それは、スキー終わりにお酒が飲めること。
越後湯沢の駅のぽん酒館は、スキーとともに、楽しみのひとつになりました。
最後に、ぼくをスキーに誘ってくれた牛腸さん、ありがとうございました。
石打丸山の「新金」で食べた鯨汁、美味しかったです。
・・・おわり