ノーパンスキー
まだ元号が昭和のころ。その時は突然やってきた。
真冬の雪道は凍てつき、ヘッドライトに照らされた雪が、秋の枯葉のように舞っていた。
午前三時。
関越高速道路の湯沢インターを降り、湯沢中里スキー場を目指していた。あと数分で到着といういうとき、悪友Nが「トイレに行きたい」と言い出した。「もうすぐ着くから」と言うも、「我慢できない」と言われれば、車を停めるしかない。見通しの良い場所で停車すると、Nはドアを開け駆けだした。
このとき、特段トイレに行きたい訳ではなかった。だが、現地に着いてから行くのは面倒だ。ここで用を足してしまった方が、現地でゆっくり仮眠がとれる。そんな思いが頭をよぎった。そして、あの忌々しい不幸が、この瞬間から始まった。
「とりあえず出しておくか」そう考えたぼくは、Nとは逆方向に歩き出した。そして雪の積もった原野へ足を踏み入れた。
その瞬間。車から見ていたもう一人の悪友Sによると、ぼくの身体は、デイビット・カッパーフィールドのイリュージョンを見るように、突然闇夜に消えたそうだ。まるで異次元に吸い込まれるかのように。
だが現実はイリュージョンじゃ無い。当のぼくは、冷水の中で「ひやーっ」と声をあげていた。薄氷のはる防火用水。うっすら雪が積もっていたので、まったく気づかなかった。まさに想定外。だが、不思議と冷たさは感じなかった。水からはい上がって、寒風に晒されたとき、初めて冷たさに気づいた。そして、身震いした。
全身ずぶ濡れとなったぼくは、零下の空気の中にさらされ、危険な状態であることを悟った。
「はやく濡れた服をぬいで、身体を温めなくては!」
そう思うと、荷物室のバッグを取り出し、さっそく着替を始めた。ゲラゲラわらっていた悪友たちも、ことの重大性に気づき、ぼくにタオルを渡してくれた。悪友といえども、友である。彼らが地獄で苦しんでいたら、きっとお釈迦様は、タオルの糸を垂らしてくれるだろう。上手く登って欲しいものだ。
それはさておき。寒風の中着替を始めると、ある重要な事実に気がついた。この日のスキーは日帰りの予定だったので、替えの下着を持っていなかったのだ。これは困った。しかし、代わりになるモノはない。ぼくは、若干の不安を感じながら、ノーパンでスキーウェアに着替える決断をした。
若干の不安とは、男子ならば誰でも一度は経験するアレである。ぼくも、過去何度かファスナーの餌食になり、悶絶したことがある。この時は、寒風の劣悪な環境下ではあったが、沈着冷静に着替えを完了することができた。よかった、よかった。
その後、湯沢中里スキー場に到着し、ノーパンスキーを楽しんだ。だが、家に着くまでずっとノーパンでは都合が悪い。そこで、背中のザックに濡れたパンツを忍ばせ、休憩時間にストーブで乾かした。
それにしても、この日はトランクスでなくて良かった。スポーツのときはブリーフ着用と決めていたからだ。おかげで、目立たずに短時間で乾かすことができた。
帰りの道で、例の防火用水を確認したら、すでに氷は溶け、水面が露(あら)わになっていた。これが、落とし穴になるのだ。これからは気をつけなければ。
ぼくは一つ賢くなった。そう思って、帰路を急いだ。
おわり
注)当時は、湯沢中里スキー場ではなく、越後中里スキー場だった。
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