通勤日記ー静粛に、ガキども!ー
告白すれば、子供のころは悪ガキだった。小学校のころ、親はなんども担任に呼びだされた。ある日、担任教諭から呼出状を持たされたが、川に捨ててしまった。それが発覚したときは、親と先生というダブルで怒られ、まことに閉口した。
だが、いまは真面目な大人である。信条として、人に迷惑をかけないことを掲げているくらいだ。まあ、それが守られているかは判らないが、将来を憂いた親も、さぞ安心したことだと思う。
だから、子供がある程度ヤンチャなのは仕方ない。元気なのが、子供のアイデンティティーなのだから。
だが、その元気にも限界は存在する。とくに親がいるときは、社会性を身につけるよう、気を配ってほしいと思う。そんなことを感じたできごとだった。
☆ ☆ ☆
当然ではあるが、朝の通勤時間は勤め人が圧倒的に多い。次に多いのが通学の子供で、主婦や小学生未満の子供は、滅多に見ることがない。
ところが、学校が休みになる季節、特に夏休みの時期になると、朝の通勤時間にも子供の姿が多くなる。
有楽町線に乗っている子供達は、ほとんどが東京ディズニーランドへ遊びに行くようだ。会話などを聞いていると、ビッグサンダーマウンテンだとか、スプラッシュマウンテンなどの用語が飛び交っている。葛西臨海公園で、動植物の観察をしようなどという、奇特な子供はいないようである。
ぼくが子供のころは、胴乱と画板をもって植物採集や写生を楽しんだものだ。が、そんなぼくでも、子供のころはワクワクしながら遊園地に行ったことを思い出す。今は無き多摩川園や二子玉川園は、蒲田に住んでいた子供時代、もっとも身近な遊園地だった。
ぼくはどちらかというと、ジェットコースターがある二子玉川園が好きだったが、多摩川園のお化け屋敷や菊人形も懐かしい。余計な話だが、二子玉川を「ニコタマ」と発音するのは、あまり好きじゃない。
どちらの遊園地も今はないが、ぼくの記憶にはいつまでも生き続けている。
余談だが、子供のころ谷津遊園で迷子になったこともあったし、船橋ヘルスセンターや平和島で温泉に入ったこともあるが、いまは過ぎ去った想い出でしかない。さらに余談を続ければ、ぼくはカラーテレビの画像を、平和島温泉で初めて見たが、本当に感動した。確か巨人の星をやっていたと思う。
のちに、我が家にカラーテレビがやってきたときも感動した。家具調のでかいテレビで、電気屋さんが調整してスイッチをオンにしたとき、初めて映し出されたのが「宇宙大作戦」だった。いまは「スタートレック」といった方が通りがよいと思うが、当時は邦題で放映されていたのだ。日曜の午後四時に放映されていたと記憶している。
そうそう、話を戻そう。
ディズニーランドへ遊びに行く子供達であるが、混雑する車内でゲームボーイを始めたり、押しくらまんじゅうをしたり、実にうるさいのである。朝の通勤電車はほとんど会話もなく、電車のきしむ音と車内放送だけが響き渡るのだが、この日はゲーム機から発せられる電子音や、甲高い子供の声がまことにうるさく感じられた。
特に夏休み時期は勤め人も少なくなるので、子供達の行動がより際だってしまう。小学生の高学年だと思われるが、八人くらいのグループになると、集団意識と楽しいことへの期待感で、かなり興奮するのだろう。池袋を過ぎたあたりから、声もだんだん大きくなり、遊びも大胆になってきた。
学校ではやっているのだろうか、じゃんけんをして顔に手を当て、同じ動作をした方が負けというゲームを始めたのだが、もうこの頃には、周りの状況はまったく意識していない状態であった。ぼくは見かねて一人の男の子に、「もう少し静かにしようね」と注意したのだが、その時は静かになるものの、すぐにもとの騒がしさに戻ってしまった。
これ以上注意しても状況は変わらないと思い、じっと我慢をしていたのだが、注意されないことをいいことに、ますますボリュームはアップしていった。まったく親はどんな教育をしているのかと思っていたら、電車は有楽町駅に到着し、降りる人が大量に席を立った。
ぼくも腰を浮かしたのだが、子供達はまだ完全に空ききらない席に向かい、無理矢理すわり始めた。そして一人の子供が「ママ…」と叫んだ。そう、近くには親がいたのだ。三十代であろうか、割と派手な格好をした奥さん四人連れが……。
その後、ぼくは釈然としない気持ちを胸に、会社を目指した。
・・・つづく