通勤日記ーベネルックス三国ー
通勤時間帯の高校生たちを見ていると、ときどき教科書や参考書に赤いプレートを載せ、勉強している姿がある。穴埋め問題に出そうな文字が朱書きされ、赤いプレートを被すことでその文字が消え、テストを疑似体験できるものと承知している。
だれが考えたかは知らないが、アカデミックアワードなる賞があるなら、これは大賞に推挙すべき発明だと思う。プレート一枚で問題になったり解答になったり、しかも嵩張らずどこでも利用可能なのだから。いまの学生たちは、ほんとうに恵まれていると思う。
ぼくの時代にこれがあったら、もっと成績がよかっただろう。なぜならぼくは、新しいもの好きで、ひとより早く取り入れていたと思うから。
まあ、それはさておき。
これから書くはなしは、ぼくと同じく、こんな便利なグッズの無い時代のことである。いつの時代も、試験のための工夫があり、さぼった授業を挽回する姿があったのだ。
☆ ☆ ☆
朝、志木駅から東武東上線に乗ったときのこと。どこからともなく女子高生の声が響いてきた。振り向くと、女子高生二人がなにやら問題を出し合っていた。期末試験なのだろう。ぼくも高校生のころ、あんなことしていたなという懐かしさで、つい聞き耳を立ててしまった。
どうやら社会科のテストがあるみたいで、「ヨーロッパ共同体とは何か?」とか、「なんとか貿易協定とは何か?」とか、どちらか一方が問題を出し、もう一方が答えるというパターンを繰り返していた。ぼくも経験したが、このような一過性の勉強が、試験には非常に有効である。
少女たちは真剣な眼差しで、問題を出し合っている。そんな会話の中で、「ベネルックス三国とは、どこと、どこと、どこの国か?」という問題があった。そんなモノがあったなぁと懐かしみながら、ぼくは国の名前を思い出してみた。「ベ」はたしかベルギーだ。「ネ」は……何だっけ?「ルックス」は覚えている、ルクセンブルグだ。「ベ」と「ル」は間違いないと思うが、「ネ」は何だっけ?
現役のころなら、こんな問題「屁の合羽」だったはずなのに……。ぼくは答えを聞こうと、女子高生の会話に耳をとぎすました。そして女子高生が「ベルギーと……」と答えようとした瞬間、
「まもなく和光市に到着します。お降りの方は……」
車内放送が和光市駅に近づいていることを告げ始めた。
なんと間の悪い車掌なのだと思ってみたが、それはぼくにとってのことであり、車掌の言動に問題があったわけではない。結局、答えをいう声が聞こえず、ぼくには「何だったんだろう」という疑問だけが残った。
こうなると、なにが正解だったのか知りたいという気持ちが強くなる。何が何でも知りたいと思うのだが、まさか高校生に「今の問題の答えを教えてください」ともいい難い。
いまなら、スマホに「ベネルックス」と入力すれば、簡単に答えが見つかるのだろう。だが当時は、携帯の画面はモノクロで、二つ折りなんて存在しない黎明期だ。
会社に着いたら、仕事の前に調べよう。そんなことを考えているうちに、電車は和光市駅に到着した。ここで有楽町線に乗り換えるため、降りなくてはならない。なんとなくモヤモヤした気持ちを引きづりながら、後ろ髪を引かれる思いで東武東上線の車両を降りた。
・・・つづく