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通勤日記ー乗り越し注意!ー
通勤時間をサラリーマン人生という長さで計ると、いかほどの時間を費やしているのだろう。ぼくの場合、往復で三時間。一年を二百五十日とすると、七百五十時間になる。これを二十四時間で割れば、一年で三十日分の時間となる。さらに四十年働くとすれば、一千二百日となり、これは四十ヶ月だ。実に三年以上の時間を通勤に費やしていることになる。
こう計算してみると、通勤時間など無いほうがいいと思う。その時間を自己啓発や趣味の時間に費やせれば、どれだけ人生が豊かになるだろうか。人生が豊かになり、精神的にも安定すれば、仕事にもよい影響をもたらすという好循環も期待できると思うのだが。
最近は、インターネットの安全性向上と高速化が相まって、在宅勤務やらテレワークやら、自宅で仕事することも徐々に浸透している。だがそれは、まだ一部のことだ。当分は通勤という行為がなくなることは無いだろう。そして、通勤という行為が引き起こすあの不幸は、これからもくり返されるだろう。
☆ ☆ ☆
残業で遅くなり、有楽町線の最終電車に乗ったときのこと。有楽町線の最終電車は、銀座あたりで飲んだ人の帰りとぶつかり、朝のラッシュ時と変わらないほど混み合うことがある。その日は金曜日だったため、しこたま酒を胃の中にため込んだ人たちが、その揮発成分を口からはき出しながら、大挙押し寄せていた。まるで腐った野菜を放置した冷蔵庫のようであった。
ぼくは少し頑張った結果、なんとかつり革につかまることができた。あとは前に座っている人が降りることを念じながら、慣性力に耐えられない人々の流れに逆らわないように、約四十五分頑張るだけである。
そう考えながら何となく前に座っている人を見ると、真っ赤な顔をした完全熟睡体制の中年男性が、小さな寝息をたてていた。そしてよく見ると、膝の上に置いた鞄に「ぼくは営団赤塚で降ります」と書いた付箋紙が貼りついていた。おそらくその後に、「もし寝ていたら起こしてください」という言葉が続くのだろう。
酒を飲むサラリーマンの大半は、帰りの電車で乗り越すという失態を、経験をしているのではないだろうか。かく言うぼくも若いころはかなり無駄金を使った。森林公園まで乗り越し、関越自動車道を使いタクシーで帰宅したこともあった。財布の中身が寂しいときは、持ち金を示して行けるところまで行ってと、タクシーの運転手に頼んだこともある。結局、途中からは徒歩になり、家に着いたのは明け方であった。そして、酔いはすっかり醒めていた。
話は余談だが、ぼくの知り合いには、乗り越しに関する逸話を多く残している人が何人かいる。ある人は新宿で山手線から京王線に乗り換えたのだが、どう考えても時間が一時間あまり余計にかかり帰宅した。よく考えたら、山手線を余分に一周回ったらしい。でも偶然新宿で目が覚めたため事なきを得たが、年に何度かは終点の高尾山口まで行っているそうだ。
またある人は、東京駅で各駅停車大垣行きに乗り、終点の大垣まで行ってしまったという。これは会社でも伝説になっている話で、朝起きて場所が岐阜県だったら、さぞビックリしたことだろう。その人は東北新幹線で出張の際も、福島駅で降りそびれ、仙台まで行ったことがある。その時は折り返しの列車もなく、駅員の好意で駅舎内のベンチを借り一晩を明かしたそうだ。
話はそれたが、ぼくも前で座っている人と同じ発想で、「ぼくは志木で降ります、寝ていたら起こしてください」と書いたプレートを作り、首からぶら下げるなど、周りの人に示すことを考えたことがある。でも結局恥ずかしさが先に立ち実施したことはない。
でも考えてみれば、この札が役に立つときは、羞恥心の欠片もない酔っぱらい状態の時である。こんど酒を飲むときには、密かにプレートを作成し鞄に忍ばせてみようかな。
☆ ☆ ☆
結局、未遂に終わった。
・・・おわり