通勤日記ー恋に落ちてー
香りが想い出を引きだすことを、プルースト効果という。これは、フランスの小説家マルセル・プルーストの小説「失われたときを求めて」の冒頭で、主人公がマドレーヌを紅茶に浸した香りに、子供のころの記憶がよみがえるという描写をもとに、名づけられたもの。五感の中で香りだけが人間の古い脳(大脳辺縁系)に届けられるため、本能にちかい感覚で過去がよみがえるのかも知れない。
だが、想い出を呼び覚ますのは、香りだけに限らない。人間の記憶の中で、論理的に導き出される想い出だってあるはずだ。ぼくの例でいえば、「私の彼は左きき」という歌を聴きくと、千葉の御宿海岸で過ごしたときを思いだす。「また逢う日まで」という歌をきくと、蒲田の駅ビルで初めてカップヌードゥルを食べたときを思いだす。これらは、音楽と想い出が論理的に結合しているからだと思う。
音楽は「音を楽しむ」と書くが、その快楽が深く脳裏に刻まれ、想い出として人生を豊かにするものなのだ。そして過ぎ去った記憶を呼び起こすものが、懐かしのメロディーなのだ。
そんな音楽に関するはなし……。
☆ ☆ ☆
どうやら今日は「夜空ノムコウ」のようだ。たまに通勤途上で頭の中を音楽が駆け巡る時があり、今日はまさしく「夜空ノムコウ」なのである。
別にSMAP(スマップ)のファンでもないし、この曲を最初から最後まで歌えるほど好きでもない。だいたい、さびの部分しかメロディーを知らないし歌詞も知らない。
だから、「あれからぁー、ぼくたちはぁー、何かを信じてこれたかなー、らららららー、らららららー」となるのである。何となく覚えやすいメロディーなので、頭に残っているのだろう。
最近の楽曲を聴くと、メロディが枯渇したのだろうか、と感じることがある。どこかで聞いたことのあるメロディを、アレンジの奇抜さやリズムの過激さで聞かせる楽曲が多い。そんななか、「夜空ノムコウ」の様なシンプルでメロディ重視の曲を聴かされると、それだけで好意的に感じてしまう。でも、SMAPが歌わなかったら、平凡な普通の曲なんだろうな。
そんな感じで永田町の駅に着いた。この日は池尻大橋でIT関連の教育を受講するため、永田町で半蔵門線に乗り換えることになっていた。長いエスカレータを下り半蔵門線のホームに移動したときであった。駅のアナウンスが、次に到着するのは中央林間行きである、と伝えた。
その時、ぼくの頭は「夜空ノムコウ」から「恋に落ちて」へ、瞬時にチェンジしたのである。そう、中央林間といえば、「不倫」がテーマのドラマであり、「恋に落ちて」なのだ。
「もしも願いが叶うなら、吐息を白い薔薇に変えて」と、歌詞がまことにスムーズに浮かんでくる。これは好調と続けて歌うと、なんと一番の最後まで歌えるではないか。そう言えば、カラオケへ行くと必ず誰かが歌っていたので、知らない間に覚えてしまったのかもしれない。
しかし、喜ぶのはここまでだった。ぼくは二番の歌詞(英語の部分)を知らなかったのだ。だいたい日本の歌なのに、英語の歌詞が混ざっているのがおかしいのだ。しょうがないので、もう一度一番を繰り返し歌った。結局主人公は、「ダイヤル回して手を止めた」だけで、愛しい彼への思いを募らせて終わってしまった。
ぼくは、昼に食べた弁当が、夕方まで胃にたまっているような消化不良の状態のまま、池尻大橋駅で電車を下りた。
まあ、いいか。
殺伐とした通勤時間に、脳内カラオケは心に安らぎを与えてくれるような気がする。電車を乗り越さないように注意し、明日も、南野陽子の「接近」とか、木ノ内みどりの「硝子坂」とか、浅野ゆう子の「セクシーバスストップ」とか、松本ちえ子の「恋愛試験」などを歌おうと、心に誓うのであった。
・・・つづく