路傍に咲く花(14)
海浜幕張は、東京駅から約四十分のベッドタウンである。東京湾沿いの新興住宅街は、JR京葉線の開通により都心へのアクセスがしやすくなり、高層マンションの建設など、急速な発展をとげた。駅前を中心とした再開発もさかんで、近代的なオフィスビルも次々と建設され、美しいオフィス街を形成していた。
また、近隣施設には、モーターショーなどのイベントが行われる幕張メッセ、千葉ロッテマリーンズの本拠地「千葉マリンスタジアム」などがあり、イベント開催時には大勢の観客で賑わう街でもある。
万里子は約束の時間より三十分も早く到着し、駅前のファーストフード店で時間をつぶしていた。コンピューター関連のイベントで度々訪れているので、この周辺の地理には明るい。
コーヒーを飲みながらガラス越しに通りを見ていると、
「先輩、早かったですね」
背後から声が聞こえた。
振り向くと、コーヒーを持った篠原が、妙な笑顔で立っていた。
「あら篠原、早かったわね」
そう言い時計を見ると、二時十五分であった。
篠原は、向かいの席に腰掛けると、
「なんかヘンですよね。先輩と二人でコーヒー飲むなんて」
と言いながら、笑顔の目尻がさらに下がった。
「変な人ね、今日はデートじゃないんだからね」
万里子は「デート」といった瞬間、なんでそんな言葉がでたのだろうと思った。クライアントへの訪問や出張で、篠原と行動を共にしたことは何度もあるし、その際、時間調整で喫茶店にはいることも、日常茶飯事であった。
「まあそうなんですが、なんかいつも先輩はスーツ姿じゃないですか。だから普段着姿の先輩とコーヒー飲むなんて、ちょっとヘンな気分なんですよ」
篠原は、嬉しそうに言った。
「ところで篠原君、私ね、昨日原田さんのホームページを発見したんだけれど、原田さんって凄い人だよね」
万里子が、原田のホームページを説明すると、
「そうなんですか、原田さんってホームページを持っていたんですね。そう言えば最近気象予報士を取ったとか、資格マニアだとか言ってましたね」
「そうなのよ。でね、その中に秘密の部屋というのがあって、開くとパスワードを要求され、それ以上進めないの。なにか気になるのよね」
「秘密の部屋とは意味深ですね。パスワードについては、仕掛けにもよりますが、簡単に破れる場合もありますよ。そうだ、山元に見てもらいましょう」
「山元君って、そういうの得意なの?」
「情報システム部ですよ、山元は!」
篠原は、以前受けたホームページ作成研修を思いだしていた。パスワード要求画面の話があり、簡易な方法から凝った方法まで、さまざまなやり方があると、説明をうけた覚えがあった。そして簡易な方法は、インターネットの技術に詳しい人なら、簡単に破られるので、ケースバイケースで使い分けなければならないと注意された。
もし原田健三のホームページが簡易な方法であれば、山元の技術でパスワード破りくらいできると思った。
「じゃあ、月曜日にでも山元君に見てもらいましょう」
万里子はそう言うと、
「そろそろ時間ね」
と、席を立った。
篠原も、慌てて残りのコーヒーを飲みほすと、出口に向かう万里子を追った。
☆ ☆ ☆
木島守男の自宅は、駅から徒歩十分ほどの高層マンションにあった。篠原は、入り口のインターフォンで、教えられた部屋番号へ連絡をとった。
ほどなく木島が現れ、
「どうも、遠いところおいでいただき、ごくろうさまです」
と、あいさつをした。
「こちらこそ、いろいろお忙しいなか、時間を割いていただきまして、ありがとうございます」
万里子があいさつを返し、篠原が会釈をした。
「まあ、男やもめでむさ苦しいですが、どうぞお入り下さい」
木島はエレベータで十八階まで上がると、二人を部屋へ招じ入れた。
「いやあ、いい眺めですね」
篠原が感嘆の声をあげると、万里子も窓際に歩みより、
「本当、素晴らしい眺めですね」
と、言った。
瞬間、万里子は、自分が結婚したらこんな部屋に住みたいと思った。 が、すぐに妄想から切り換えると、
「本当に申し訳ございませんでした。せっかくのお休みなのに……」
「いやあ、会社を辞めた私には、毎日が休みみたいなもので、たまに人が訪ねてくれると嬉しいんですよ。どうぞ遠慮なく、ゆっくりしていって下さい」
木島は、インスタントコーヒーを入れながら言った。
万里子は何も考えずに発した常套句に、気まずさを感じながら、
「じつは、今日お伺いしたのは……」
ソファーに腰をおろした万里子が、来意を告げようとすると、
「あっ、ちょっと待ってください」
木島は、あわててさえぎった。
「えっ、なにか?」
万里子がいぶかると、
「もう会社を辞めたわたしには、オリエンタルコンピュータとは無縁の人間ですが、じつは、辞めるにさいして、守秘義務を負うむね、誓約書にサインしているんです。だから、仕事に関することは、おはなしでききることと、できないことがあることを、ご承知願いたいんです。よろしいですか?」
木島は、そう言うと、片手をあげて、となりの部屋へ移動するよう促した。
万里子と篠原が腰をうかすと、
「ああ、そうなんですか。海浜幕張あたりのマンションをお探しで、リサーチにいらしたんですか。なかなかいい場所ですよ。都心にも近いし、環境はいいし……」
木島は、勝手にはなしをつくりながら、万里子と篠原を、となりの和室へ誘導した。
ふたたび座卓をまえに対座すると、木島はミニコンポのスイッチを入れた。ベートーベンのピアノ協奏曲第三番が、ながれはじめた。
「すいません、へんなこと言って。じつは、原田から聞いています。篠原さんへ、辞める経緯を話したことを。そのなかで、ぼくの仕事のこともはなしたと聞いたので、どんな目的でおいでになったのかは、だいたい想像がついています」
木島が頭をさげると、
「ならはなしがはやいわ。今日は、木島さんがお仕事された経営調査部について、いろいろ聞かせていただきたくて、こうしてまかりこした次第でして……」
万里子は、会社の恥部である汚れた仕事に、携わらざるを得なかった木島に気をつかいながらも、単刀直入に用件を切りだした。
すると、木島は、
「はい、わかりました。ただ、これだけは肝に銘じてほしいのですが、オリエンタルコンピューターにとっては、極秘事項ですので、ここでおはなしすることは、お二人の胸にしまい、けっして他言しないことを、お約束いただきたいんです」
笑顔だった表情を、引き締めながら言った。
「はい、お約束します」
万里子が返すと、
「ほんとうに約束できますか?」
木島は念をおした。
「はい、お約束します」
万里子は、もう一度頭をさげた。
「こうして念をおすのは、もしかしたら、お二人に、危険がおよぶかも知れないからです」
「危険ですか?」
万里子は驚いた。軽い気持ちではないにしろ、危険が迫るほど深刻には、考えていなかった。
「ぼくが辞めてからも、しばらくは監視がついていたんですよ。確かではないんですが、おなじ場所でおなじ顔をみたり、なんとなく、あとをつけられている気がしたり……。そんなことがあったもんですから……。それに……」
「それに?」
「さっき部屋を移ったのも、あちらの部屋には、盗聴器がしかけられているんです」
「えっ、盗聴器ですか!」
万里子の驚きは、頂点に達した。
「このまえ盗聴電波を調べたら、リビングのコンセントに、盗聴器を発見したんですよ」
木島は小声で言った。
「…………」
「これは私の想像ですが、経営調査部の連中は、みんな盗聴されているのではないかと……。いま考えれば、ここに越してきたのは三年前ですが、引っ越して直ぐに電気保安協会とかいう人が来て、漏電検査をさせてくれといったのですが、その時に盗聴器が仕掛けられたんじゃないかと思うんですよ。ナンか変だとは思ったんですが」
万里子も篠原も、打ちのめされるように驚いた。ここ何日か衝撃的なできごとが続いたが、盗聴の事実を知ったときには、ノックダウン寸前のボクサーが、カウンターパンチを受けたほどの衝撃であった。
「木島さん、正直言って、私、驚きと共に会社に怒りを感じています。入社したころは希望もあったし、会社もそれに応えるオープンな雰囲気があったのに、なんでこんなことになってしまったのか。正直悔しいです」
万里子が入社した十年前は、右肩上がりの成長期であり、社員がみんな意欲に燃えていた。活気もあったし、結果にみ合った報酬も得られた。それが今では……。
「と言うことは、ぼくと先輩が木島さんの部屋を訪問したことも、盗聴されてしまったということですか?」
と、篠原が心配そうに言った。
すると木島は、
「たぶん大丈夫だと思います。じつは、わざと知らない振りをして、取り付けておいたのですが、電波は五、六十メートルくらいしか飛ばないみたいで、たまにマンションの前に怪しい車が止まっていて、そいつが電波を拾っているらしいので……。今日は車が止まっていませんから、大丈夫だと思います」
木島は、篠原の不安を拭うように、笑顔でこたえた。
しかし篠原は、
「でも、本当に大丈夫ですかね? どこかにテープレコーダーが設置されているとか……」
「その可能性はありません。私もこんなことをされて、黙っていたわけではありません。秋葉原の専門店で、同型の盗聴器を調べたら、電波を飛ばし、遠くで受信するタイプで、録音機に自動的に記録する機能はないものでした」
それでも心配顔の篠原に、
「心配することないって。盗聴なんかする方が悪いよ。堂々としていればいいのよ」
万里子が、怒りを抑えていった。
木島のマンションを訪問したことで、なんらかの制裁を加えるような会社なら、こちらのほうが願い下げだと、腹をくくった。
「ところで木島さんは、なぜ経営調査部なんかに配属されたんですか?」
万里子が訊くと、
「隠しだてをしても始まりませんので、おはなししますが……。その前に、しつこいようですが、けっして他言はしないようにお願いします」
木島は、真剣な眼差しであった。
二人が「解りました」と頷くと、経営調査部に配属転換されたことから、はなし始めた。
ミニコンポからは、ピアノのカデンツァが響きだした。
☆ ☆ ☆
第一システム技術部で官公庁関係の仕事をしていた木島が、突然部長に呼びだされ移動を命ぜられたのは、入社五年目の三月であった。
「四月から経営調査部で仕事をしてもらうことになったから、仕事の引き継ぎなどを今月中に終わらせてくれ」
部長の小山田は、一枚の辞令書を差しだし、大げさな口ぶりで言った。
木島にとっては青天の霹靂であった。
驚きというよりは、唖然という受け止めだった。
やっと仕事にもなれ、面白さを実感していただけに、唖然と受けとめた感情が失望へ変わるのに、それほど多くの時間はいらなかった。いままで大きな失敗もなく過ごしてきただけに、納得いかない気持ちもあった。
「部長、なぜ私が移動を……」
木島が訊くと、
「じつはね、経営調査部の人間が三人、突然辞めてしまってね……。至急に人員の補充をすることになって、君に行ってもらうことになったんだよね。第一システム技術部としても、君のような優秀な戦力を失うのは残念なんだけどね。経営調査部でも真面目で優秀な人材というリクエストがあって、叶う人間が君だったという訳なんだよね」
小山田部長は、瓶底のような眼鏡を神経質に触りながら言った。
木島には、普段は気にならない小山田部長の語尾が、かんにさわった。
「ところで部長、経営調査部とは、なにをする部署なんでしょうか?」
木島は経営調査部という部署の存在を知らなかった。組織表や社内電話帳には載っていない部署である。でなければ、五年も会社で働く自分が知らないわけはないと思った。
「実は難しい部署でね、行けばわかるので、詳しいことは配属先で訊いて欲しい」
小山田は言葉を濁した。
「そして何も知らずに経営調査部に移動した私は、直属の上司である柴崎専務から、人には言えない業務内容を聞かされたんです」
「と言うことは、談合を仕切っていたのは、柴崎専務なんですか」
万里子が確認すると、
「そうです。経営調査部というのは裏組織の名前で、表の組織表には経営戦略調査室という名前で記載されています。この経営戦略調査室というのは柴崎専務の直属組織となっていて、最高経営会議でのさまざまな情報収集が、おもな仕事ということなんですね」
「でも、実際は談合を行う裏の顔があった、というわけですか!」
「そのとおりです。表向きの仕事が全然ない訳ではないのですが、やはり仕事の中心は関連業界で形成された談合会議でのネゴでした。正直に言えば、最初はとんでもない部署にきたと思いましたが、第一システム技術部にいたら、言葉も交わせない専務や、そのほかの取締役とも顔見知りになれ、それなりのメリットもあるとの打算も働いていました」
木島は正直に話した。いまさらきれいごとを言っても仕方ないし、この際、すべてをはなして、汚れた過去を浄化したいとも考えていた。
「そこで訊きたいんですが、談合って具体的にどのようなことをするのですか?」
と、篠原。
「談合ですか……、私も全てを知っている訳では無いのですが……」
木島は、談合の実態を話しだした。
・・・つづく
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