路傍に咲く花(16)
二人は木島の自宅を後にした。
マンションの出口で、見張りの存在を確認したが、どうやら怪しい車や人影はないようだ。念のため二人はカップルを装い、よりそうような格好で通りにでたが、篠原は万里子が意外にふくよかな身体であることに驚いた。
「なんだか凄い話でしたね」
篠原が言うと、
「そうね、予想以上に凄い世界だったわね」
「ところで先輩、夕食はどうしますか?」
「そうね……、今日は真っ直ぐ帰りましょう」
万里子は少し考えると、意を決したように言った。
でがけに母親から、「休みの日くらい早く帰っていらっしゃいね」と言われたのを、思いだしたからだ。
「じゃあ先輩、続きは来週ということで」
篠原も少し名残惜しそうであった。
☆ ☆ ☆
その日の夜、万里子は自宅のパソコンで、篠原と山元にメールを送った。
まず山元には、
(山元君、元気ですか。木内@本日は大変疲れました、です。木島さんと話をしました。とにかく凄い談合の実態を聞かされ、暫し絶句という状態です。詳細は来週にでも話しますが、とにかく吐き気がするほど酷いです。ところで原田さんの件ですが、未だ連絡が取れない状態です。ホームページにメールアドレスが書いてあったので、連絡を取ってみますが、返事があるかわかりません。そうそう、原田さんのページですが、「秘密の部屋」というのがあって、パスワードを入力しないと先に進めません。篠原君によれば、山元君ならパスワードを破れるかも知れないとのことで、一度アクセスしてみてくれませんか? アドレスは以下の通りです……)
万里子は山元宛のメールを、篠原にも同報で送った。
続いて篠原には、
(篠原君、本日はお疲れ様。木内万里子です。なんだか凄い話で、まだ頭の中が熱い感じです。今夜も眠れなかったらどうしよう。ところで、原田さんの行方ですが、今日木島さんが言っていたように、実家に帰っている可能性が高いと思います。山元君からもらった資料では、青森県森田村の出身となっていましたが、電話番号がわかりません。原田さんのホームページにメールアドレスが書いてあったので、一応連絡をしてみようと思います。またなにかあれば連絡します。篠原君もお疲れだと思いますが、今日の話を頭の中で整理しておいてください。では、お休みなさい)
文書を二度ほど読み返してから、送信ボタンを押した。
どっと疲れが襲ってきた。
☆ ☆ ☆
翌週の月曜日。
万里子が出社すると、篠原が急いで近づいてきた。
「先輩……」
「何よ、篠原。そんな顔して」
「先輩、見ましたか、原田さんの秘密の部屋を」
「見てないけど、パスワード判ったの?」
「あれ、昨日山元から連絡が入っているはずですが……、メール、見ていませんか?」
「昨日は家の仕事で忙しくて、パソコン開いていないのよ」
じつは、久しぶりに、父親とゴルフに出かけたのだった。万里子としては親孝行のつもりだったのだが、一年ぶりのゴルフに疲れてしまい、途中でプレイを中断し帰宅してしまった。父親は万里子を気遣ったが、少し不満顔であった。万里子も親孝行が徒になった格好に、申し訳ない気持ちであった。
帰宅後、軽い夕食をとり風呂に入ると、午後八時にはベッドに入った。とてもメールをチェックする時間はなかった。
「そうなんですか……。原田さんの秘密の部屋ですが、とんでもない内容なんですよ。まあ、はなすより見た方が早いと思いますので、ぼくのデスクに来てください」
篠原は自分のパソコンを立ち上げると、手慣れた手つきで原田のホームページを起動し、問題のパスワードを入力した。すると、真っ赤な背景色に
「私がオリエンタルコンピューターで受けた仕打ち」なる文字が、ドクロの模様と共に浮かび上がってきた。
万里子は、あまりにも異様な画面に驚くとともに、そのタイトルの過激さに、周りの目が気になった。思わず辺りを見回したが、篠原のデスクは窓際で、人からは覗かれにくい位置にあったため、だれも気にしている様子はなかった。
「ねっ、凄いでしょ」
篠原は、万里子を見上げいった。
そして、さらに画面をスクロールすると、驚愕の文字が次々と現れた。
☆ ☆ ☆
檄文
これから述べることは全て真実である。全てのことは客観的事実に基づいており、嘘、誇張、脚色などは排除している。いずれこの文書は公になる。その時後悔するのは、オリエンタルコンピューターであり、罪の問われるのはシステム開発部の大河原雄三(部長)である。そしてその責任の全ては、社長である神崎陽一郎にある。
そもそも企業における社会的責任とは何であろう。企業が単に営利だけを追求し、人々が永年培ってきた秩序や正義を踏みにじるとしたら、それは世間に対する背任行為にも等しい非道と言わざるを得ない。談合、それを必要悪と呼ぶのは欺瞞である。しかるに……
☆ ☆ ☆
万里子は途中まで読むと、原田健三の顔を思いだした。送別会のときにみた原田は、少し暗い顔をしていたが、決して愚痴や恨み言をいわなかった。それだけに、このような文書を作成していたことが、意外だった。
「送別会のとき、愚痴ひとつ言わなかったのは、内に秘めた思いを、いつか爆発させようと思っていたのかしら?」
万里子には、なんとなく、そんな感じがした。
「いやあ、昨日全部読みましたが、実名入りで、辞職に追いやられた経緯や、官公庁むけ物件の談合の実態を、事細かに書き込んでいるんですよ。これが公になったら、うちの会社だけでなく、業界全体が大変なことになりますよ」
篠原は、声をひそめて言った。
「そうね、危ないわね。でもなんで原田さんは、ホームページにこんな文章を載せたのかしら?」
「それはぼくも考えたのですが、もしかしたら誰かに対するメッセージではないでしょうか? 例えば大河原部長に読ませるために、自分のホームページに書き込み、メールでパスワードを連絡するとか」
「それって、大河原部長への復讐ってこと?」
「よく解りませんが、そのような可能性もあるのかなと……」
「そうね、可能性はあるわね」
つい最近、クレーマーと呼ばれる人が、某メーカーの対応を非難し、自らのホームページに電話応酬の経緯を載せて話題になった。一日で十万ヒットを超えるアクセスがあり、インターネットの情報が、爆発的に広がる恐ろしさを、再認識したできごとだった。
真意はわからないが、原田がなんらかの意志を持って、ホームページに書き込んだことは間違いない。
万里子は、原田が無謀なことをしなければと心配した。同時に、なにか悪いことがおこりそうな胸騒ぎもした。
「先輩、この件は昼休みにでもはなしましょう」
始業時間が近づいてきたので、篠原ははなしを打ち切った。
☆ ☆ ☆
午前十時すぎ。
大河原部長は、月曜の朝恒例の営業会議を終え、席に戻ると、
「木内君、ちょっと」
と、万里子を会議室へ呼び出した。いずれ部長から、呼び出しがあるだろうと思っていたが、いざそのときが訪れると、足が震えた。
三十人の会議ができる部屋の一角に座ると、大河原部長は、
「先日原田君の送別会をやったそうだが……」
万里子の反応を見るように、言葉を投げた。
「はい、原田さんにはお世話になりましたので」
万里子は、かねて用意した言葉で返した。
「その時、原田君はなにか言っていたか?」
「なにかってナンですか? 思い出ばなしで盛り上がりましたが、別段、ヘンなはなしは無かったと思いますが」
万里子は冷静に言った。なにを聞かれても、後ろめたいことは何もない。
開き直ると、気持ちも自然に落ち着いてきた。
「それならいいのだが、わが社も営利企業としてさまざまな活動をしており、営業上の機密事項もいろいろあるのだよ。どうも原田君が機密を漏洩する可能性があるとの情報があり、いちおう君に訊くのだが、本当になにも無かったのだね?」
大河原部長はしつこく尋ねた。
「その情報がどこから出たのかは知りませんが、原田さんが私たちにはなすメリットは、何もないと思いますし、送別会のときは、本当に思い出ばなしばかりで、特別ヘンなはなしはありませんでした。和やかな送別会でした」
「そうか、それならいいのだが。時間を取らせてすまなかった。このはなしは、ここだけのことにしてくれ」
大河原部長は、万里子を睨みながら言った。その目が、は虫類のように見え、万里子の背筋に悪寒がはしった。
「では失礼します」
万里子が立ちあがり、会議室を出ようとしたとき、
「木内君、あまり変な動きはしないようにな。篠原君にも伝えておいてくれ」
と、言った。
万里子はぞっとした。引きつった顔を見られたくないという意思が働き、振り向きもせずに「はい」と言い、会議室を飛び出した。
それにしても、最後の一言は何だったのだろう。木島守男のマンションを訪問したことがばれていたのだろうか。念のため伊東早紀子にも確認をしてみたが、その日はプライベートに過ごしており、大河原部長から監視の指示はなかったと言った。
万里子は、監視される恐怖を感じた。
・・・つづく
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