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通勤日記ー警備員バトルー
ぼくが若いころ、ある先輩から「物事は疑ってかかれ」と言われた。それは、信じるなということではなく、もっと他のアプローチや見方があるんじゃないかという、大きな視点をもて、ということだったと思う。そのことに気づいたのは、ずいぶん時間が経ったころだったが、信じるか疑うかのボーダーラインは、いまだに確定できないでいる。
でも、人間関係については、まず信じたいと思う。信から不信へ転じるのは簡単だが、その逆は、相当な覚悟がないと、なし得ないと思うからだ。また、信じて裏切られたとしても、自分が誠実に行動した結果だと納得できる。
だから、精神衛生のためにも、そうしたいと思うのだが……。
☆ ☆ ☆
ぼくは会社の帰り、JR有楽町から営団有楽町駅(現地下鉄有楽町駅)への乗り換えに、そごうデパート下の五番出口を利用している。いまはそごうが経営破たんし、ビックカメラになっているが、出口は当時のまま健在だ。JR有楽町駅の東京駅寄り改札を出て横断歩道を渡ると、左手に降りる階段を見ることができる。
この五番出口は、午後十一時でシャッターが閉まることになっており、この日は間に合うかどうかのボーダーライン上で、少々焦りながら道を急いでいた。有楽町駅で山手線のドアが開き、急いで階段を駆け下り、かねて用意した定期券を自動改札へ通し、横断歩道を渡ると、五番出口にかすかな明かりが見えてきた。安堵の気持ちで歩調をゆるめたそのとき、階段を上ってくる警備員が約一名、階段を下りようとしているぼくをみて、「すみませんが、もう下のシャッターが閉まっていますので、別の通路を利用してください」といった。
このとき時間は十時五十八分くらい。ぼくは、「まだ十一時前じゃないですか」と抗議したが、警備員は「閉めてしまいましたので」の一点張り。ここで議論をしても仕方ないので、やむなく遠回りして有楽町線の改札口へゆくことにした。ぶつぶつと心の中で文句をいいながら、交通会館側の階段を下り、有楽町線の改札まで行った。
その時であった。さっき警備員が閉めてしまったといった五番出口のシャッターが、ちゃんと開いているではないか。これはいったいどうなっているのだ。まさか、誰かが念力でも使って開けたわけでもあるまいし、この不自然な状況をどのように理解すればいいのだ。
そうか、ぼくは騙されたのだ。警備員の意図は解らないが、結果的に嘘をつかれ、無駄な体力を使ってしまったわけだ。あのとききちんと抗議すれば、すんなり改札口まで降りられたのだ。ぼくは後悔と自責の念にかられ、有楽町線の改札を通った。
それから一ヶ月ほど経過したころだったと思う。再び同じような状況でそごうデパート下五番出口に向かっている時だった。あのときの警備員ではなかったが、同じように警備員が出口に待ちかまえており、ぼくに向かって同じように下のシャッターがしまっている旨を告げた。
この前の苦い経験があるだけに、ぼくは「本当? まだ十一時前じゃないの?」といってみた。このときぼくは、時計がの針が十一時を回っていたことを知っていた。単にとぼけていってみただけなのだが、警備員は生真面目な笑顔を浮かべると、にべもなく「十一時を回っていますので、上のシャッターも閉めます」と吐き出した。
結局、また遠回りをして有楽町線の改札に向かったのだが、この日は警備員のいうとおり、下のシャッターも閉まっていた。この前の苦い経験を活かし、無理に通り抜けていたら、もっと無駄な体力を使うところだった。
ぼくは警備員の言葉を受け入れてよかったと思った。と同時に、猜疑心をもって接したことに、申し訳ないとも思った。ただし、このときの警備員に対してである。
・・・つづく