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通勤日記ー真夏の不幸ー

 社会の発展をある側面でとらえれば、それは利便性の追求であろう。インターネットの広がりは、いつでも、どこでも、だれとでも、つながることができる。これを便利というか不便と思うかは人それぞれだが、世間の利便性が向上したことに、異論をはさむ余地はない。

 だが、便利な世の中には、光と影が存在する。誰かが便利を享受きょうじゅしているとき、便利を支えるために、人知れず仕事をしている人がいる。インターネットだって、コンピュータや人工知能が勝手に運用しているわけではない。コンピューターやネットワークの保守をする人がいる。情報発信のホームページを更新する人がいる。情報を収集し分析する人がいる。そういう眼に見えぬ努力が、利便性を支えているのだ。

 そんな利便性を支えるはしくれで、日夜仕事にはげんでいたころ……。

     ☆     ☆     ☆

 ぼくが勤める会社は芝浦しばうらというところにある。夜になると、遠くにお台場の観覧車やレインボーブリッジの灯りが輝きだし、実にロマンチックな風景が浮かび上がる。しかし会社の中は大違いで、ロマンチックとか美しいなどと、感慨にふける雰囲気ふんいきではない。

 だいたい、夏場において観覧車が美しく輝く時間は、残業時間ということである。普通は家でくつろぐか、どこか飲み屋で一杯やっている時間だ。そんな時間にプレゼン資料を作ったり、提案書を作ったりしていると、もっと楽な業界だってあるんじゃないかと、ついつい他人の庭をのぞくような気持ちになる。コンピュータ業界は、常に忙しさがピークであり、ピークがステディーな状態になっている。

 仕事の愚痴ぐちを書き始めたら、きっと読むだけでも数時間を費やすような、長文になってしまうので、このへんで止めにしておこう。

 そう、これから書くことも愚痴のような話なのだが、仕事とは関係ない。真夏の残業帰りの不幸について、少し書き留めておこうと思ったのだ。

 前置きが長くなり、恐縮しながら続けると……。

 浜松町はままつちょう駅は、羽田空港を往復するモノレールのターミナル駅でもある。そして、伊豆七島や小笠原おがさわら諸島に向かう船が発着する、竹芝桟橋たけしばさんばしや、東京湾クルーズの発着となる日の出桟橋ひのでさんばしの最寄り駅でもある。だから、残業で遅くなり、午後九時とか十時に会社を出ると、モノレール駅から流れてくる人たちと出くわすのだ。

 観光シーズンでなくても、お土産の大きな袋を抱えた人であふれる。だから、夏休みシーズンともなれば、真っ黒に日焼けした人々が大量にあふれ出し、疲れた顔をしながらも「楽しかったオーラ」を発散させている。

 日焼けしたカップルが、沖縄と書いた麻袋を持っていたり、疲れた子供を負んぶしているお父さんの手には、六花亭ろっかていと書いた土産袋が握られていたり……。

 この前は、何人かの女の子グループが、ぼくの好物である一六タルトの紙袋をぶら下げていた。そしてぼくは、疲れた左手に、ビジネスかばんをぶら下げている。

 時間によっては、伊豆七島帰りの若者グループと出くわすこともある。彼らは決まって楽しそうであり、やはり大きな土産袋を持っている。浜松町の改札を抜けるとき、前で遊び帰りの人がもたもたすると、「早くしろよ」と怒鳴どなりたくなってしまう。トラブル対応とか、突然の作業指示で遅くなった帰りなどは、本当に精神的に良くない。

 別に遊んで帰って来た人に何の文句もないし、自分だって遊ぶことはあるのだから、逆恨さかうらみに近い感情であることは解っているのだが……。それでも遊び帰りの人と遭遇そうぐうしなければ、もっと落ち着いていられたのにと思う。

 そう考えると、浜松町駅に会社があるということは、不幸であるといわざるを得ない。

 さらにぼくの場合、有楽町ゆうらくちょう線でもう一つの試練が待ち受けている。それは東京ディズニーランド帰りの人たちだ。この人たちは有楽町線の始発である新木場しんきば駅で京葉線けいようせんから乗り換えてくる人びとなので、必ず座っているのである。そのため、有楽町駅で乗るぼくが、座れる可能性が低くなっているのである。

 しかも、わざわざ新木場で乗り換えるメリットを考えると、東武東上線とうぶとうじょうせん西武池袋線せいぶいけぶくろの乗客である可能性が高い。だから、ぼくが前に立っても空く可能性が低く、長時間座席を占拠する人たちなのだ。

 東京ディズニーランド帰りの人たちも、決まって大きなお土産袋を持っている。ミッキーマウスがプリントされている袋をみると、一日楽しく過ごしたんだろうと思う。そしてほとんどの人は、寄りそうように眠り込んでいるのである。

 いつだったか、大きなお土産袋を座席に置いて眠り込んでいるカップルを、老紳士が注意したことがあった。起こされた若者は、詫びることなく不機嫌そうに袋を足下に置きなおした。空いた一人分のスペースに老紳士が座ると、横目で一瞥し再び眠り込んだ。

 まあ、遊ぶのは勝手だが、疲れて帰宅する中年サラリーマンのことも、少しは考えて欲しいと思う。愚痴っぽい話になってしまったが、どうかご容赦ようしゃ願いたい。

・・・つづく

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