見出し画像

路傍に咲く花(4)

 それは太陽興業所たいようこうぎょうしょのときと同じ、情報システムの引き合いだった。ただひとつ違っていたのは、エンドユーザーが一般企業ではなく、W市という官庁の入札にゅうさつ対応ということであった。

 大河原おおがわら部長から、主担当で対応するように指示があったときは、太陽興業所の失敗を取りかえそうと、気合いが入った。仕事の結果が給料に反映するとなれば、家計をたすけるためにパートを始めた妻や、まだ幼い子どもたちのために、なんとしても受注しようと、強く決意した。

 原田は二人の部下を専任担当に指名し、三人体制で徹底的な作業をおこなった。入札用仕様書をすみから隅まで読みあわせ、少しでもコストダウンできる要素があれば、システム構成からぎ落とした。ただし、大河原部長の慎重論を想定し、極力信頼性に影響を与えない配慮もした。最後の最後で、結論をひっくり返されるのはたまらないし、二度と同じ失敗を繰り返してはならないと、意識していた。

 入札を翌日にひかえた日、見積もり構成とシステム提案書ができあがり、大河原部長のチェックを受けた。原田はあらゆる質問を想定し、回答を用意していた。これほど用意周到よういしゅうとうに質疑応答を準備したのは、就職しゅうしょく活動をおこなっていた、学生時代いらいだと思った。

 大河原部長は、書類にひととおり目をとおすと、

「よし、これでいいだろう」

 と、言った。

 あまりにも呆気あっけないなりゆきに、原田は肩すかしを食らい拍子抜けした。それまでの張りつめた気持ちから、一気に力が抜けていくのを感じた。

「本当によろしいのですか?」

 原田は念を押した。

 だが、この日の大河原部長は、機嫌きげんがよかったのか、

「君のそういう言い方は欠点だな。しかしよくできているし、よく頑張った。これからもその調子で頑張ってくれよ」

 と笑顔で言い、原田の肩をたたいた。

 この瞬間、原田の心の中で、大河原部長に対する警戒意識が、いちだん下がった。自分が考えるほど、きらわれていないのかも知れないと思った。

 入札は予定どおり行われ、原田はオフィスで結果をまった。

 要求仕様を満たしつつ、無駄むだぎ落とし、信頼性も確保した。その結果、数千万円のコストダウンを実現した。だから、入札価格には自信があったし、落札できると思っていた。

 ところが、結果は失注だった。

 その連絡が入ったときには、貧血ひんけつでもおこしたように、眼の前が暗くなり、その場にへたり込んでしまった。他社との価格差を確認する余裕すらなかった。

 結局、ライバルの大芝電気が落札した。落札額は三億四千五百万円。原田の積算では、二億九千万で入札できるはずであったが、なぜか三億五千万円という金額で応札されていた。

     ☆     ☆     ☆

「本当にがっかりしたんですね、原田さん。五月ごろ三日くらい休暇をとったことがあったけど、あれは過労と精神的ショックから、体調を崩したからだったそうです」

 場の雰囲気に合わないと思ったのか、篠原の声が低くなっていた。それにともない三人は、肩を寄せ合うような体勢になり、そこだけが異次元のような空間になっていた。

 マスターは、ちらちらと見ながらも、三人の会話に干渉しない素振そぶりであった。それはほかの客も同じで、この店では、そういう配慮が暗黙あんもくのルールになっていた。

「ところが、W市の入札には裏があったことが判り、原田さんは再び、大河原部長と対決することになってしまったんですよ」

 篠原の声が、いちだんと落ちた。

     ☆     ☆     ☆

 それは、木島守男きじまもりおとの会話から知った。

 原田と木島は同期入社で、同じ青森県出身であることから、入社いらい仲が良かった。その日も木島から誘いがあり、午後九時ごろ、行きつけの焼鳥屋で、酒をわしていた。

 しばらく雑談で時間をつぶしたあと、

「原田、俺……、じつは、会社を辞めようと思っているんだ」

 木島が切りだした。

「辞めるって、なんで……?」

 原田はいぶかった。長いつき合いのなかで、愚痴ぐちや否定的なことを話したことがなかった。だから、会社を辞めるという言葉を聞こうとは、夢にも思っていなかった。

「原田は知らないと思うが、俺の所属する経営調査部っていうのは、じつは談合だんごうを行う部署なんだよ」

 木島は深いため息ののち、告白した。

「まあ、しき慣習とでもいうのか、いまでも大きな入札物件になると、談合が行われているんだ。最初に移動させられたときは、ずいぶん悩んだよ。違法行為だからね。でも、就職活動の厳しさを思いだすと、辞めることもできず、今日までズルズルと、談合の片棒かたぼうを担いできてしまったんだ」

 木島は、コップ酒をいっきに飲み干すと、

「嫌になってしまったよ、こんな仕事」

 と、吐き出した。

「そうか、談合の話は俺も聞いたことあるけど、おまえが関わっていたなんて、知らなかったよ……」

 原田語尾は、ため息にかわっていた。

「で、辞めてどうするんだ」

「さいわい俺はひとり者で、失うものはあまりないから、思い切って転職しようかと……。まあ厳しいとは思うけど。いまは自分がおかれている立場から、離れたいということが最優先で、あまり先のことは考えていないんだ」

 木島の表情は、はなすことで落ちついたのか、おだやかになった。秘密にしてきた重荷が消え、こころが開放されたのだと、原田は思った。

「ところで原田、おまえも災難だったな、W市の入札物件。おまえが担当したんだろ?」

「ああそうだが、なんだ、その大変って?」

 原田はいぶかった。確かに大変な作業だったが、経営調査部の木島になぐさめられるようなことはないと思った。

「いや、おまえ、知らないのか?」

「えっ!」

 木島のひと言で、原田は察しがついた。W市の入札物件は、初めから出来レースだったのだ。おそらく木島も、なんらかの関与をしていたのだろう。

「そうか、そういうことだったのか……」

 原田はくやしさがこみ上げてきた。大河原部長は知っていたに違いない。初めから失注と判っていたから、自分に担当を任せたのだ。

「W市は大芝電気の吉岡よしおか専務の生まれ故郷で、今回の入札は、なにがなんでも大芝が受注したいと、強い申し入れがあったんだ。聞くところによると、市議のなにがしというのが圧力をかけたらしい。くわしい内容について、俺は知らないが、まあこの世界、恩を売ったり買ったりが日常茶飯事にちじょうさはんじだから、うちとしては、恩を売って次に見返りを得ようという結論になって、大芝電気に落札させたんだ」

「そうか、そういう裏があったのか」

「そうだ。あれは入札予定価格が三億五千万円で、うちは三億円くらいで応札できたんだ。しかし、事前の約束があって、三億五千万円で札を入れたというわけなんだ。大芝が三億四千五百万円で応札することは、わかっていたからな」

 このとき原田は、今まで経験したことのない怒りの感情がこみ上げてきた。

 なんで俺だけが、このような仕打ちを受けなければならないのだ。俺がなにか、悪いことでもしたとでも言うのか。

 原田は、コップ酒を一気に飲み干すと、テーブルに叩きつけるようにコップを置き、

「俺は大河原の野郎やろうを許さない!」

 爬虫類はちゅうるいのような眼で天井を見あげると、うなるようにしぼりだした。

     ☆     ☆     ☆

「翌日、原田さんは、大河原部長を会議室に呼びだし、詰問きつもんしたそうです。失注と決まっている物件を、なぜ自分に担当させたのか。結果が分かっているなら、なぜ事前に教えてくれなかったのかと」

 はなしをする篠原も、だんだん腹がたってきた。

 店内の客は、三人が入ってから、ひとりも入れ替わっていない。他の客も、三人が深刻なはなしをしていることを察し、あえて声をかけようとしない。MP3データとなった音楽は、いつの間にか、チック・コリアのピアノになっていた。

ひどい仕打ちよね。本当許せない」

 万里子の感情は、ふたたび高まってきた。

「でも大河原部長の対応は、誠実さの欠片もなく、会社の方針に文句があるのか、という調子だったらしいんですよ」

 ひそひそばなしのつもりだった篠原の声は、無意識に大きくなっていた。

     ☆      ☆     ☆

 会議室に入るなり、大河原部長は、

「なんだね、はなしならデスクでもできるだろう」

 呼び出されたことへの不快感をあらわにした。

「部長、W市の入札物件ですが、あれは初めから、受注する予定ではなかったと聞きましたが、本当ですか?」

 原田は、意識的に感情を抑えて言った。

「さあ知らないが、どこでそんなはなしを聞いたんだ?」

 大河原部長は即座に否定したが、知らないと間髪かんはつ入れずに返したことが、原田の疑惑を深めた。本当に知らなければ、「どういうことだね?」と反問はんもんするはずだ。

 いま考えれば、最終確認がノーチェックだったこともうなずける。

「部長、ソースについては言えませんが、会社としてヤバイはなしだと思いますよ。こんなことが公になれば、公正取引委員会こうせいとりひきいいんかいだって動きだすでしょうし、場合によってはメーカの責任者だって、逮捕されるおそれがありますよ」

 原田は、おさえた言い方を意識していたが、その内容は明らかに反抗的であり、挑戦的であった。

「おい君、その言い方はなんだね。会社をあどかそうとでも言うのか」

 大河原部長は、突然立ち上がると机を叩いた。

 その反応を見て原田は確信した。

 大河原は関与していると。

「部長、私は事実が知りたいのです。部長が私を嫌っているのは知っています。しかし、仕事の結果が給料に反映されるとなれば、私だって生活を守るために、闘わなければならない。とくに理不尽りふじんな仕打ちに対しては」

 大河原は危機感につつまれた。確かにW市の物件をマネージメントしたのは自分であり、万一事件となれば、最終判断が役員会にあったとしても、現場責任者としての責はまぬがれない。すでに受注しないという結論があったため、簡単に考えていたのが甘かった。原田に作業を任せたのも、判断の誤りだと後悔こうかいした。

 大河原の頭には、官製談合かんせいだんごうで逮捕される業者の映像が浮かんだ。

 学生運動の過去がある自分が、反体制的なふるまいを封印ふういんし、会社に順応してきたのだ。そして、曲がりなりにも出世コースを踏み外さず、努力してつかんだ部長職なのだ。

 それを、原田という男に壊されてたまるか。

 そう思った瞬間、

「いい加減なことを言うなよ!」

 と言いながら、原田の胸を小突こづいた。

 原田は防御ぼうぎょの姿勢から身を転じ、

「なにをするんですか」

 と言いながら、大河原部長の右頬みぎほおひじを打った。

 反動で大河原部長は床に転がり、後頭部をしたたか強打した。

 さいわい床のカーペットがクッションになり、大怪我にはならなかったが……。

 不可抗力ふかこうりょくとはいえ、暴力事件であった。

     ☆     ☆     ☆

「結局このことが問題となり、原田さんはばらを切らされる格好で、辞表を書くことになったそうです」

 篠原は、ちからなくため息をつき、はなしを継いだ。

「本来は懲戒免職ちょうかいめんしょくだといわれ、W市の一件をだまっていることを条件に、依願退職いがんたいしょくの形態で辞めさせてやる、と言われたそうです。最初は難色を示したそうですが、結局退職金を上積みすることを条件に折れたそうです」

「それじゃ、口止めじゃないの。原田さんも筋がとおらないわ。変だよ、みんなどこか」

 万里子の頭は、再び激怒モードに切り替わった。

「原田さんは、すべてが嫌になったと言ってました。ぼくにはなしたのも、自分の矛盾むじゅんした行動を、誰かに聞いてほしかったと言ってました。原田さんの胸の奥までは判りませんが、悩んだ結果だと言うことだけは理解しました」

 篠原の目に涙があふれた。

「俺も原田さんは不幸だったと思うけど、徹底的に闘ってもよかったのかな、という気持ちがあり、複雑だな」

 それまで黙って聞いていた山元やまもとが、ボソッと言った。

「そうなのよ、私もそう思うのよ。だって辞めるってことは、逃げるってことでしょ」

 万里子は、我が意を得たりという表情で、山元の意見に同調した。

・・・つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?