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通勤日記ーああ忘れ物ー
ものを無くすのは、仕方ないことだ。だれもが経験することで、これを無くすことは至難の業である。忘れ物の経験がないひとがいるなら、いちど会ってみたい。そして、そのコツを聞いてみたい。
だが、仕方のないことと割りきれないこともある。思いでの品だったり、記念のモノだったりしたら、おそらく後悔の大きさは桁違いだろう。
忘れ物じゃないが、二度と手に入らない記念の品を無くし、メガトン級の後悔をしたことがある。それは、ある台風で床上浸水の被害に遇ったときのこと。子供の頃の写真を貼ったアルバムや、小中高の卒業アルバムを濡らしてしまい、やむなく廃棄せざるを得なかったのだ
覆水盆に返らずというが、いちど濡らしてボロボロになったものは、現代の科学と技術をもっても、もとに戻すことはできない。
はなしは逸れたが、忘れ物も、忘れたものが何かによって、こころの不安や後悔の度合いが違う。そして、このはなしは、こころからビビり、後悔した事例である。
ぼくにかぎらず、サラリーマンたるもの、このような失態を演じてはいけない。
☆ ☆ ☆
ぼくは若いころ、年に数本は傘を電車に置き忘れ、失っていた。もう二十年以上前の話だが、当時買ったばかりの傘を無くしたことがあった。ちょっと特殊な傘で、ワンタッチで閉じる機構が付いていた。当時もワンタッチで開く傘はあったが、ワンタッチで閉じる傘は珍しかった。開くレバーを反対側に押すと、傘の先に付いている強力なバネが働き、傘が閉じるのだ。といっても完全に閉じるわけではないので、最後は人手でまとめる必要はあったが、それでも片手が使えないときは非常に便利であった。
このころを思いだすと、傘を何本無くしたか判らない。
ところが、三十代半ばごろからだと思うが、ピタリと傘忘れが止まり、現在までその記録は継続している。理由は分からないが、フレックスタイムの導入など、通勤に余裕がでたことが一因ではないかと分析している。
忘れ物といえば、色々な想い出がある。だいぶ前の話だが、仕事の関係でラップトップパソコンを家に持ち帰ったことがあった。翌日直行でユーザーを訪問し、プレゼンテーションに使用するためだったのだが、当時のラップトップパソコンは八キログラムくらいの重量があり、とても可搬性がよいとはいえない代物だった。数分も担いでいると、ショルダーのひもが肩に食い込み、けっこう辛いおもいをした。
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その日は友人と酒を飲み、ほろ酔い気分で電車に乗った。そして持つには重すぎるパソコンは、網棚の上に置かれることになった。そのうち市ヶ谷で席が空き、座ったとたん深い眠りに陥ってしまった。そしてパソコンの存在は、翌朝目が覚めるまで、ぼくの記憶から忘れ去られることになった。
翌日目を覚まし、パソコンが無いことに気づきビックリした。あわてて和光市駅に電話すると、まだ忘れ物センターに送ってない品物があるといわれ、ぼくはラップトップパソコンというものの説明をした。
ところが、その様なものは届いていないという。ぼくは焦った。本当に焦った。すると電話に出た駅員が、パソコンはないがワープロなら届いているという。「それって、こういうものですか?」と訊くと、「その通り」という応え。そうか、駅員にはワープロに見えたんだ。
ぼくは、「それ、ぼくが忘れました。これから取りに行きます」というと、朝食もとらずに家を飛び出した。そして和光市駅で無事パソコンを取り戻し、なんとかユーザーを訪問することができた。
危機一髪とは、まさにことことであった。
またある時は、出張の帰り大阪駅で買ったお土産の「お好み焼きせんべい」を、新幹線の網棚に置き忘れたことがあった。この時も、列車の中でビール二缶と日本酒を一合ほど飲み、少しほろ酔い気分であった。同行者もいなかったので、静岡当たりで睡魔が襲ってきて、うとうとと眠ってしまった。
東京駅に着いてあわてて下車をしたのだが、新幹線の改札を抜けたところで忘れ物に気づき、すかさず引き返した。改札の駅員に事情を話すと気持ちよく通してくれ、到着のホームに向けて一心不乱に走った。そしてホームに出ると、ぼくが買ったお土産が入っているであろう紙袋を持った駅員とすれ違った。
「すいません、今の新幹線に忘れ物をしたのですが、それぼくのかも知れません」というと、駅員は、「中身は何ですか?」と訊くので、「お好み焼きせんべい」と応えた。駅員はぼくの忘れ物だと断定したのだろう、手続きなしにお土産を返してくれた。
これも危機一髪であった。
ただ、残念ながら戻ってこなかったものも沢山ある。ここだけの話だが、仕事に関係するポンチ絵を忘れたことがあった。その時、ぼくの脳裏には、「懲戒免職」という言葉が浮かんだ。東京駅八重洲口にある忘れ物取扱所へ何度か通ったが、最後まで出てこなかった。結局、会社にはばれずに事なきを得たが、あれはやばかった。
でも、こんなこと書いて大丈夫だろうか? この記事を、会社の人間が見ていないことを祈るばかりである。
(追記)
現在は、この会社を退職したので、責任を問われることは無いと思われる。でも、忘れ物には十分注意しよう。というか、お酒を飲むときは、貴重品は持たない、これを徹底した方が良いかもしれない。これ教訓。
・・・つづく