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路傍に咲く花(27)

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 休息を知らぬ真夏の太陽が、容赦ようしゃのない光の矢を放っていた。すでに十五日間も雨が降らず、連日の猛暑が、人びとの身体からだから水分をしぼりとっていた。汗でワイシャツが貼りつき、肌色の背中が透けて見える中年サラリーマンを見ながら、万里子まりこは新宿駅の改札をとおり抜けた。排気ガスの匂いが鼻をつき、かすかな目眩めまいを感じながら、いそぎ足で会社をめざした。

 夏休みもおわり、一週間ぶりに出社した万里子は、会社の雰囲気ふんいきが一変したことに驚いた。ビルの入口には、多くのマスコミ関係者だけでなく、過激な思想をもつ一団が、街宣車がいせんしゃを使って広報活動を行っていた。大きなスピーカーががなりたてる音は、まるでコンサート会場のアリーナ席のように、人びとの会話をかき消し、鼓膜こまくを刺激した。

 万里子は、さらに急ぎ足になってビルにかけ込んだ。腕章をつけた男がマイクを突きだしたが、こたえる余裕はなかった。また、たとえ応えても、万里子の細い声では、言葉としてマイクに乗らなかっただろうと思った。

 万里子がオフィスに入ると、すかさず篠原しのはらがやってきた。

「先輩、おはようございます。先週はお世話になりました。おかげさまで、夏休みを有意義に過ごすことができました」

 篠原は、小さく頭をさげた。

「おはよう、篠原。なんかスゴいことになっているわね。どうなっているの?」

 万里子は、ひたいの汗を拭いながら言った。

「ぼくも驚きました。例の談合問題でマスコミが大騒ぎしているのは知っていましたが、まさかああいう連中までいるとは、思いもしなかったですからね。なにが目的なんですかね?」

 篠原は首をひねった。

「それは判らないけど、なにかメリットがあるんでしょうね。それより、大河原部長は見つかったの?」

「いえ、いまだ行方不明だそうです。それで、先週末から営業二課の河合かわい課長が、暫定的に部長を兼務しているそうです」

「そうなの。河合課長なら、大河原部長よりは、やりやすいわね」

 万里子は口角こうかくをあげた。

「それと、今日の午後、神崎かんざき社長が記者会見を開くそうです。二階の大ホールで行われるそうです」

「それでマスコミがつめかけているのね」

「はい。総務部から箝口令かんこうれいがでています。マスコミのインタビューには一切応じないようにと」

「あんな騒々しかったら、インタビューにも応えられないわ」

 万里子はそう言うと、自分の席にいきパソコンを開いた。メーラーには、一週間分の未読メールが、たっぷりと溜まっていた。その中から、「お客さま」というフォルダーに振り分けられたメールを読み始めると、返事が必要なものに旗印を立てていった。

 やがて始業のチャイムが鳴ると、「朝礼をはじめます」という河合課長の声が響き、執務室にはいつもの時間が流れはじめた。大河原部長の安否あんぴを気にしつつも、仕事を滞らせていけないという意識が、営業部の推進力になっているように感じた。

 河合課長は、全員が起立したことを確認すると、

「おはようございます」

 と、大きな声で言った。大学時代は応援団に所属していたらしく、コントラバスのような重低音が響いた。

 営業部の全員が、いっせいに「おはようございます」と返すと、

「状況はお判りだと思いますが、わが社はいま重大な危機の真っ只中です。談合問題では、わが部も関わりを否定できませんし、げんに大河原部長の行方はようとして知れません。本日の午後、神崎社長が記者会見を行う予定になっています。二階の大会議室には、マスコミ関係者が入ってきますので、その時間帯は近づかないようにしてください。また、談合問題に関しては、社外はもとより社内でも話題にせず、いつもどおりに仕事に専念してください。また、お客さまからの問合せには、個人的に応えることなくお願いします。そして、部外者からの抗議電話も入っていますが、総務部に専任担当をおきましたので、そちらの電話番号をご案内するようにお願いします」

 河合課長は、ひと息つくと、

「それから、大河原部長ですが、家族から捜索願が出ておりまして、警察でも行方を捜しています。しかし、今日現在、音信不通の状態です。みなさんも心配だと思いますが、捜索は警察に任せるとして、仕事に集中して欲しいと思います。では、本日もよろしくお願いします」

 河合課長が会釈すると、営業部の全員が頭をさげて、

「よろしくお願いします」

 と言い、朝礼が終わった。

 今日の午後、社長が記者会見を開くというが、どんな話しをするんだろう。これだけ話しが広がってしまえば、業界全体の問題であり、わが社だけが否定することはできないだろう。そうなると、談合を認め謝罪するということなのか。だが、謝罪となると責任が追及される。神崎社長は知っていたんだろうか。リッチ&スターズ銀行から経営再建のために乗り込んできたのだから、知っていたのかも知れない。いや、部外者ということで、知らなかったかのかも知れない。それにしても、いつごろから談合などに荷担し始めたんだろう。創業者の佐伯拓哉さえきたくやが社長だったころは、活気あふれる雰囲気だったから、こんな不正とは縁がなかったと信じたい。だが、そんな気持も、いまは芯の抜けた竹輪のように、グラグラとよろめいていた。

 万里子の脳内は、夏休みにたまった仕事をこなすより、談合問題の思考がぐるぐる回っていた。仕事に集中しなきゃと思えば思うほど、談合という思考の波が押しよせ、仕事の思考を飲み込んでしまう。

 万里子がうわの空でメールを読んでいると、

「先輩。ちょっといいですか?」

 篠原が、声をかけた。

「なに? なにか用事?」

 動揺をかくすように篠原をにらむと、

「先輩。顔が怖いですよ!」

 篠原は、冗談めかして言うと、

「今日のアフターファイブなんですが、先週のイロイロを山元とシェアするため、軽く行こうと思うんですが……。もちろん先輩も来てくれますよね」

「そうね……。先週の社内の雰囲気とか知りたいから、そうしましょう。今日なら用事もないしね」

 今週の予定はまったくないのだが、万里子は見栄をはった。

     ☆     ☆     ☆

 午前中にメールの処理をしようと、パソコン画面とにらめっこをしていた万里子は、ふと思いたち席をたった。気になることが浮かぶと、すぐに行動しないと気がすまない性格が、急ぎの仕事を中断させた。仕事に集中しなくちゃと思うのだが、こればかりは制御不能だと言いわけをし、自分を納得させた。

 万里子は、伊東早紀子いとうさきこの背後から肩をたたいた。

「伊東さん、ちょっとおはなししたいのですが、お時間とれますか?」

 驚いた顔で振りかえった早紀子は、

「あっ、木内きうちさん」

 と言ったきり、表情が固まってしまった。

「お忙しいかしら?」

 万里子がたたみ込むと、

「あっ、大丈夫です。万里子さんのご用事なら、わたし、万難ばんなんはいしちゃいますから!」

 早紀子は、猫がじゃれるような笑顔をみせ、

「じゃあわたし、給湯室でお茶をいれますね。夏休みにイギリスに行ったお友だちからもらった、フォートナム&メイソンの紅茶があるんです」

 このとき万里子は、かるい嫌悪感をおぼえた。早紀子はふつうに振る舞っているのだろうが、人にびるような態度にみえたからだ。こういう女が男を勘違いさせ、セクハラまがいの行動が頻発するのだ。セクハラの根源が男にあるとしても、それを助長するのは女の態度だと思った。

「ありがとう。じゃあ、五分後に給湯室に行くわ」

 万里子はそう言うと、いったん自分の席にもどった。

 五分後、万里子が給湯室のドアを開けると、

「万里子さん。ちょうど紅茶が飲みごろになりましたわ。こんなマグカップで申し訳ないんですが、中味はちゃんと紅茶ですから……」

 早紀子は、すこし上目づかいに言った。

「ありがとう。じゃあ、いただくわ」

 万里子は、ひと口すすると、

「ところで、お呼びだてしたのは、大河原部長のことなんだけど。その後部長とは接触があったの?」

 相変わらず単刀直入に言うと、

「はい、原田さんの送別会で出席者を報告していらい、大河原部長とは、はなしてないんです。なんだか、わたしのことなんか、忘れちゃったみたいで……」

 早紀子は下を向いた。

「そうなの。じゃあ、総合職そうごうしょくへの道というのも、空手形からてがただったってことなの?」

「それは判りませんが……。大河原部長に確認したくて、一度だけ声をかけたことがあるんですが、『いま忙しいから、後にしてくれ』と言われ、それきりなんです。もしかしたら、わたしが邪魔になったのかも……」

 早紀子が涙を浮かべると、

「そうかも知れないわね。失踪した人を悪く言いたくないけど、自分ためなら人を傷つけることなんて、なんとも思わない人だからね。原田さんだって、部長が大河原雄三おおがわらゆうぞうでなければ、いまでもこの会社で、バリバリ仕事してたと思うし」

 万里子は、大河原部長を斬りすてた。

「万里子さん。これからわたし、どうしたらいいでしょうか?」

 早紀子は、哀願あいがんするように万里子を見つめた。

「それは自分で決めることね。伊東さんは人を頼りすぎるわ。総合職のことだって、大河原部長のコネを使わなくても、社内には職種変更の仕組みがあるでしょ。自分自身で努力しなくちゃ、たとえ総合職になれたとしても、仕事の重みでつぶれてしまうわ」

 万里子も、早紀子を見つめ返した。

 そして、

「わたしね、まえに伊東さんから相談を受けたとき、大河原部長との関係を、『悪いようにしないから、もう少し様子をみて』と言ったけど、大河原部長が行方不明になってしまって、結果的に悪いようになってしまい、申し訳ないと思っているの。だから、もし伊東さんが本気で総合職を希望するなら、わたしも本気で応援するわ。頑張って!」

 頑張っての言葉に力をこめた。

「万里子さん、ありがとうございます。そう言っていただくと、なんだか感激してしまって……」

 早紀子は声をつまらせた。

「ホント、頑張って欲しいわ!」

 万里子がもういちど言うと、

「万里子さん。でも、本当のことを言うと、総合職にはあこがれもありますが、わたしに勤まるかどうか、あまり自信はないんです。大河原部長から総合職のはなしがあったときも、じつはお給料が上がれば、いい洋服も買えるし、ブランドのバッグも買えると思って、安易に受けいれた気がするんです」

「わかったわ。伊東さん自身のことだから、じっくり考えてからでも遅くないわ。もし本気になったら、いつでも相談してちょうだい。力になるからね」

 万里子はそう言うと、マグカップの紅茶を飲みほし、

「時間をいてくれてありがとう」

 と言い、給湯室を出ていった。

・・・つづく

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