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通勤日記ーあっ部長!ー
ぼくがまだ幼いころ、吉展ちゃん誘拐殺人事件という凶悪犯罪があった。幼い吉展ちゃんを誘拐し、殺害したのち身代金を要求するという、その時代における衝撃的な事件だった。
日本中の人々は、吉展ちゃんの無事を祈り、テレビラジオでは連日のように経過を伝えた。それは幼き子どもにも微妙な影を落とし、ぼくのクラスでは、同級生の金子義伸くんを、「よしのぶちゃん」とはやし立て、悪ふざけをしていた。
昭和の犯罪史をひもとけば、必ず登場するのが「吉展ちゃん誘拐殺人事件」や、ブリーフ姿で逮捕された川俣軍司の「深川通り魔殺人事件」、ライフルの乱射と温泉旅館を籠城した「金嬉老事件」などが思い浮かぶ。
そしてもう一つ思い浮かぶ凶悪事件。それが、これから書くはなしと深く関わることになるとは、このときのぼくには知るよしもなかった。
☆ ☆ ☆
それは、まだポケットベルが連絡手段の主役であり、肩掛け式の大きな携帯電話は一部の富裕層だけが使えた時代のこと。この日、名古屋に出張予定のぼくは、会社を十八時ころ退社し、同僚と共に有楽町付近で飲んでいた。
誰かの誕生日だか記念日だか、とにかくお祝い事があっての飲み会で、誘われれば断らないのを信条としていたぼくは、最終の新幹線で移動するつもりで参加した。確か名古屋行き新幹線の最終は、東京駅発二〇時三〇分くらいまであった。
飲み会は盛り上がり、いつの間にか二〇時に近づいたころ、ぼくは後ろ髪を引かれる思いで場を中座し、東京駅に向かった。ビールと日本酒がほどよく身体にしみ込み、実に気持ちいい時間であった。ほろ酔い気分で最終の名古屋行き新幹線に乗り込むと、東京駅を出発したことも知らずに寝入ってしまった。忘れもしない、禁煙車両で自由席の一号車だった。
そして新幹線は、ぼくの記憶のあずかり知らぬ時間を費やし、西へ西へと進んでいった。
ぼくは、目的地名古屋が近づく豊橋あたりで目を覚ました。まだアルコール分が体内に残り、アセドアルデヒドが順調に肝臓で分解されている、程よい状態であった。
このときふと横を見ると、通路を挟んだ隣の席に、見慣れた顔を発見した。そう毎日顔を合わせている、直属のS部長が座っていたのだ。
「よく寝ていたね、志方くん」
S部長はいった。この言葉は、一言一句違ってないと思う。忘れたくても忘れられないのだ。
「はあ」とぼく。
なんといって良いやら判らず、
「部長はどちらまで……」と訊いたが、名古屋止まりの新幹線で、野暮な質問だった。
「名古屋だよ」というS部長に、
「ところでお泊まりのホテルは?」と訊くと、
「駅前モンブラン」とのこたえ。
ということは同じホテル……。ぼくは覚悟を決め、
「ぼくもモンブランです」と応えるのがやっとだった。
そして列車は名古屋駅に近づく。
先頭車両がホームにさしかかると、なにか異様な雰囲気であった。妙に煌々と光が輝き、大勢の人がホームに溢れていたのだ。
「何だろうねぇ、志方くん」というS部長。
でも先ほどまでしたたか酔っていたぼくに判るわけは無い。S部長も的確な応えを期待したと言うよりは、疑問を単に言葉にしただけだったと思う。
ホームに降りて状況を確認すると、最後尾の車両に重要人物が乗ってるらしいことがわかった。誰だろうと思ったが、歓声などは聞こえなかったので、アイドルや有名映画俳優などではないと判断し、そのまま改札を抜けホテルに向かった。
ホテルの部屋でテレビをつけ判ったのだが、あの連続殺人魔の勝田清孝が移送されていたのだった。警視庁が「一一三号事件」に指定した事件の犯人で、警官から強奪した拳銃を使うなどして、八人の命を奪った凶悪犯であった。この事件についてこれ以上言及しないが、ぼくのなかでは、ブリーフ姿で逮捕された川俣軍司と勝田清孝は、この時代の二大凶悪事件として記憶されている。
その後S部長からは、ことあるたびに新幹線の一件を暴露され、多くの人は、ぼくが酒飲みであるという印象持を与えてしまった。まあ嫌いではないが……。
噂というのは無責任に変化をするもので、「酒好き」が巡り巡って「酒癖が悪い」にならないよう、その後の会社生活を真面目におくったことは、特に付け加えておきたいと思う。
・・・つづく