仕事に熱中するということ
仕事に熱中するということは普通良いことだ。
普通というのは世の中で一般的な常識・偏見のようなものだ。
すなわち世の中は人へ仕事に熱中させているのではないだろうか。
背伸びした表現したけど、ほんとそんな感じしてる。素朴に。
私たちは"仕事に熱中させられている"
考える上で、まず新自由主義という言葉がキーになりそう。
新自由主義は政府による介入を最低限とし、個人の自由を再評価した思想である。郵政民営化などは最たる例だろう。(多分)
結果なにが生じるかというと、社会・個人間の自由競争である。
まず、新自由主義では個人の成長や「やりがい」が重視されるようになっただろう。
なぜなら、その競争に勝てないと資本主義社会では"成功"できない。別に成功しなくてもいいという人はいるかと思うが、"成功"すること以外に熱中することがない世の中になっているということだ。
(成功してお金を稼ぎ、欲しいと思わされているものを買う。)
自分の努力が足りないから失敗した。自分の責任で会社をダメにしてしまう。新自由主義の自由競争が前提となった世の中ではそう考えることが"普通"である。
結果として、私たちは自由競争の中に産み落とされ、気づいたら、
「私(あなた)の人生がうまくいかないのは自己責任」という泥沼に足を突っ込んだ状態が"普通"になっている。
逆に考えると「会社がうまくいったのは私のおかげ」と考えるのも"普通"になってしまい、成功者に憧れる世の中になっている。
(だから仕事術の本とか、成功者の秘訣みたいな本が売れたり、なんか胡散臭いセミナーが人気あるんでしょう)
なので、我々は"仕事に熱中させられて"なんとか自己責任の中で失敗しないように生きている。
でもしょうがないじゃん。というのもわかる。そういう世の中だから。
こういう構造を鳥瞰できているだけでも、多少世の中の見方が変わってくるのではないだろうか。
私はこのような自己責任論、熱中させられる構造について結果どのように行動しているのかというと、
私が社会で成功・幸福になりたいからどう行動するか、を考えるというより
社会から私に何が問われているかを回答することに全うする。(語弊を恐れずに言ってる)
具体的に言えば
仕事で困っている人がいたら助けられるように全うするし、子育てもやれることはやるのだ。
「仕事に熱中する(させられる)」のは別に悪いことではないが
新自由主義に立脚した自己責任論にとらわれすぎると、資本的にうまくいくことが全てなように感じてしまう。
もっと具体的に言うと、instagramで流れてきた欲しいと思わされたものを買うことがステータスとなっている状態かもしれない。youtuberが高級車を買って欲しいと思わされる。
そしてそのように欲しいと思ってしまったものを買うために"成功"したいのでは?
仕事に関しては主語を私側に移して、私は何ができるのか、何が問われているのかだけに集中する方が意味ありげな人生なのではないだろうか。
情報(ステータス)を買うのではなく、本当に欲しいものを吟味する必要がある世の中だろう。
(結局何が言いたいかはよくわからん)
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