失恋から始めるわたしのはじめかた①
ずっと、このタイトルで何か書こうと思っていた。
わたしは、検査技師を6年間したあと、心理学を学び、カウンセラーになった。
その表向きの理由は、検査中に患者さんとお話ししているのがすごく好きだったから、だ。
もちろん、それも大いにある。
検査中患者さんとお話しして最後には患者さんが涙ぐんで「話を聞いてくれてありがとう。あなたのお名前は?」と聞いてくれる人が多かった。
私はそんなときに「またね」と言えないのがさみしくて、継続的に話を聞ける仕事をしたいと思うようになった。
しかし、それ以外にも私が心理学に興味を持ったきっかけはある。
タイトルにもあるように、失恋、だ。
自分を変えるきっかけになった。
そろそろ、いい加減変わらなきゃな。と思ったのだ。
軸のない私が自分の軸を作るまでの話。はっきり言うとまだしっかりとした軸があるかはわからないから、最後まで書けないかもしれない。けれど、絶対に努力してだんだんできてきていると信じている。
誰かの役に立ってくれたらいいなと思う。そんな話をしたい。
あれは26歳のバレンタインだった。23時に夜道を一人で泣きながら家に帰った。
わたし、空っぽだ。そう思ったあの時からだ。
24歳から26歳、当時私は付き合っていた彼氏がいた。
同じ職場の病院の先生で、二つ上のお医者さん。
はじめは私のひとめぼれだった。
入社した当時(22歳)、彼を見たとき、めちゃくちゃタイプ。と思った。
しかし、大学から付き合っていた大好きな彼氏がいたため、その時は推しにすることにしていた。
彼と付き合ったのは大学からの彼氏と別れてから、入社二年目の時だ。
彼は研修医さんで私はまだぺーぺーの検査技師。
前から何人かで飲みに行ったりはする仲だったが、私が失恋でバッサリ髪を切って(大好きな彼氏に対する罪滅ぼしのつもりだったのよ・・・)、更に気に入らずに髪を切っていったときに「どんどん髪短くなってるけど、大丈夫?どうしたの?笑」と話しかけてくれた。
よくある恋愛のように、「ちょっといろいろあって・・・」「そうなんだ、話聞くよ」という感じに話は進み、二人でご飯をすることに。
もともと素敵な人だとは思っていたが、その人が私のために時間を空けてわたしのためにおしゃれをして集合場所で待ってくれているのがすごくうれしかった。
連れて行ってくれるお店はいつも落ち着いたおしゃれなお店で、お医者さんだからかやはり何でも慣れている。そんな大人の余裕のある彼を自然に好きになった。
夏になって、夏祭り一緒に行く人がいないという話になって、ハイタッチをした。自虐的なハイタッチだけど(笑)それで一緒に行くことになった。
名古屋の大須のお祭りはコスプレイヤーがいっぱいで、いるだけで楽しい。花火大会もたくさんの人がいた。そこで初めて手をつないだ。
私はちゃんと浴衣を着てきてよかったな、と思っていた。彼は私服で、ちょっと気張っちゃったかなって恥ずかしかったけど、頑張て来てくれてうれしいしかわいい!、って言ってくれたし、もうこの際好きだってばれてもいいやって思っていた。
彼は車を出してくれていたので送ってもらって、でもお互い帰りたくなくて家に寄ってもらって、そこで付き合うことになった。
そんなこんなで二人目の大好きな彼氏ができたわけだが、私は当時めちゃくちゃ依存体質だった。彼氏の言うことならなんでも聞く。彼の好きな女性になるために服も髪型もあり方も変える。彼に追いつくために勉強する。カメレオン対応の彼女なのだ。でも努力してないと好きでいてくれないといつか見捨てられるのが怖くて、そうするほかなかったのだ。
彼はおしゃれな人だったため良く一緒に買い物へ行った。私は全然服に投資する人ではなかったしダサかったので彼の言う通り服を買っていた。そのためその時期に買った服は結構高い。私はその時をブルジョア時代と今でも呼んでいる(笑)
そのうちに彼と一緒じゃないと服を買えなくなった。
自分のセンスが全く信じられなかった。一人で買い物へ行ったときにかわいい服があったが「彼に聞かないとわからないので…」と店員さんに言った時の店員さんのひいた顔が忘れられない。
そんな私を彼はよく見ていて「さとこはもっと自分を持った方がいいよ」と言っていた。今の私もそう思うし、ちゃんと私のことを考えていってくれていたんだろうなと思う。でもその時は怒られているようにしか感じなくて、もっと努力しなきゃ、もっと彼の理想に近づくために自分を持たなきゃと思っていた。
彼は自分の意見をちゃんと持った人で、私にそれは嫌、それは好きとちゃんと言う人だった。今思うとそういう人って一緒にいてすごく楽だしすごく素敵なことだと思うけど、当時の私はひたすら傷ついた。これはいいんだ、これはだめなんだ、彼の嫌いなことに引っ掛からないように、細心の注意を払って生活をしていてとても疲れてしまった。そんな私が重くなるのもしょうがない…。
私は付き合って二年目のバレンタインに振られた。
正確には彼の家にいって違和感を感じ、私が浮気を疑って別れた。
実際にどうだったかは今でもわからない。
でも私のものがすべて隠れていて、枕からはちょっといい香りがした。
もしかしたらもう私にバレていいと思っていたのかもしれない。
別れたかったのかなって今思うと思うと、すごく切なくなる。
でも私が「誰か来たでしょ」といったことに対して絶対に認めなかった。
そして「さとこ、今日はもう帰って」と冷たく言われ、夜23時に一人で歩いて家に帰った。夜23時に一人で歩くぐらい別にいいじゃん。と思うかもしれないけど、そこは繁華街でもないし街灯のない暗い道のりだ。
それに彼と付き合っている間はとても大事にしてくれていたので、そんな夜遅くに一人で家に帰るようなことはそれまでなかった。実家から帰ると荷物が重いからって車で迎えに来てくれていたし、彼の仕事が終わって夜遅く彼の家に行くときは夜遅い時間一人で歩かせたくないからって必ず迎えに来てくれていた。そんな彼が一人で帰って、と冷たく言った。
泣いて帰ったが、しばらくは私も怒りが収まらなかった。なんで認めないんだ、私に失礼じゃないか、と。でも次の日、当直が一緒だった(笑)
すごく睨んでたし、医師と検査技師という立場(医師が検査をオーダーして私たちが検査をするので)を使ってちょっと冷たく対応していた気がする(最悪…)。でもずっとずっと謝ってくれなかった。
ホワイトデー近くになり(一か月連絡なし)、そろそろ連絡を取らなくてはいけなくなった。なぜなら、彼は翌4月から病院が変わり、家を引っ越すからだ。
病院の中は狭い。誰と誰が付き合っていて、誰と誰が浮気しているなどの話はすぐに耳に入ってくる。私は怒ってはいたが、彼が私を大事にしてくれていて、病院の中でもジェントルマンな先生として通っている彼のことが好きだったし、彼のイメージを自分の為にも崩したくなかった。なので彼が病院を辞めるまで、私と彼が別れたことは誰にも口外しなかった。
私は彼にとても依存していたので、自分の中からいなくなってすごく心にぽっかり穴が開いたが、それでも言わずに一人で耐えた。我慢する力は昔から人一倍強いのだ。
その話はとても重要なので後から話すとして、とにかく連絡を取って彼の家にある自分のものを回収する必要があった。当時ほぼほぼ同棲だったので彼の家にたくさん私のものがあったからだ。
彼には散々かっこ悪いところを見せた私だったが、最後は絶対にかっこよく終わろうと思っていた。私は舞台が好きだ。彼に連絡をするちょっと前に劇団新感線の『薔薇とサムライ』を見た。そこでの天海祐希さんがかっこよすぎてカーテンコールがかっこよすぎて、私は彼との物語の最期を華々しく終わることに決めた。
当時の日記を抜粋しておく。
「久しぶり~元気?家にある私のものを回収したいんだけど一回行ってもいい?」
彼が引っ越すぎりぎりに連絡をして、彼の家に行き、何がない話をしながら自分のものを回収して最後に送ってくれるというので最後に彼の車に乗って家まで送ってもらった。
「おやすみ!」と笑顔で言って別れた。彼は泣いていたが、私は絶対に泣きたくなかった。彼にはたくさんの幸せをもらったから、怒ってたけど私は付き合えてよかったし、彼にもそう思って欲しかった。
「人生で一番楽しかったよ」と彼は言ってくれた。その時もしかしたら本当は浮気なんかしてなくて、ただ単に私と別れなきゃいられない心境で、わざとそうしたのかもしれないと思ったが、真実は闇に隠されたままである。
さすがに泣くそうになったので私は「何言ってるの!」と笑ってもう一度「おやすみ!」と精一杯笑って言って振り返らず終わった。
さよならは言いたくなかった。普段通りに私たちの日常が一番美しくおわるための「おやすみ」だった。
その後はもちろん家で号泣して、ご飯も食べたくないという状況を味わった。しかし、私は生きる力があるらしい。ちゃんと寝れた。こんなにつらくても眠いんだなってびっくりした。
そんなわけで一番女性の華の時代である24歳~26歳を彼とともに過ごしたわけだが、私はもう完全に彼と結婚するつもりでいたため、彼が開業医になった後役に立つようにあまり得意でないエコーを積極的に学んだし、学会発表もしたし、とにかく彼のために彼のために頑張り続けていた。
しかし、そんな彼が私の中にいなくなった。
私は空っぽになってしまった。
エコーも実は得意じゃない。検査技師をやっている意味もない。
綺麗になる必要もない。人に好かれる必要もない。
自分が何者かわからない。
なんで生きているのかも分からない。
どうやって生きていけばいいのかわからなくなった。
そんな時に出会ったのが、心理学だった。
《②へ続く》↓