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失恋から始めるわたしのはじめかた⑩

前回の続きから↓

さて、前回やっと臨床心理士指定大学院受験のための予備校に入ったところまで書いたが、その後もこのペースで書いていったら永遠に終わらなさそうなので、ここからはトピックスに会わせて一年間をざっくり話していく。

今回は、「公認心理師試験のモロモロ」と、「水谷、病院やめるってよ。」の二本でお送りします。

公認心理師試験のモロモロ

将来にかかわることなので言わなくてはいけないことがある。公認心理師試験の受験資格についてだ。(ズゥーーーーーーン

2022年現在、私は公認心理師を持っていない。その理由を説明したい。

公認心理師とは、2015年に成立・2017年9月に施行された「公認心理師法」に基づく、心理職の初の国家資格だ!それまでは、公益財団法人日本臨床心理士資格認定協会が認定する民間資格の臨床心理士が公的に活用される資格であり、スクールカウンセラーの資格要件とされていたりした。

それまで心理職は、国から「んー話聞く仕事でしょ?」って思われていた節がある。しかし、社会のさまざまな領域でこころの疲弊を懸念する声はますます高まっていき、災害時なのにも、国家資格がないために心の専門家を迅速に派遣することがなかなか難しいという現実があった。そうしていくうちにだんだんと国もメンタルケアの重要さをさすがに認めざる負えなくなってきたのだろう。そうして、2015年にようやく国に認められ、心理職に国家資格ができた時は、きっと界隈の方々から喜びの雄たけびが上がった、と思う。(ウオォーーーーー)

しかし、国家資格になったからには、もちろんそれを取得するために受験をしなければならない。つまり臨床心理師としてすでにバリバリ活躍しているバリキャリたちも、ピチピチの(心理師)一年生になくてはいけないのだ。もちろん著名な心理学者のフロイトがもし今の日本にいても変わらない。きっとおひげを揺らして笑いながらピチピチの一年生になっただろう。世が新しくなるというのはそういうものだ。誰もが平等なのだ。

いや、フロイトは精神科医だから、そもそも公認心理師取らないか。。

なのに、2022年時点の私は公認心理師を取得していない。持っているのは臨床心理士のみだ。…なぜかというと、受験資格がないのだ。(泣)

公認心理師試験は、通常ルートが、法律が施行される(実際に動き出す)2017年9月より後に公認心理師が取れる大学に入学して受験資格を取得するという流れだが、それ以前に働いていた人たちのための経過措置ルートがある。

私は大学ではなく大学院に入るので、どちらにせよ通常ルートでは受験資格を獲得できない。また、2022年9月14日までに心理職の実務経験5年以上あれば受験資格が得られる経過措置ルート、通称Gルートも私はそれまで臨床検査技師だったため適応されない。

適応される可能性があれば、施行前に大学院で科目を履修した(中)のDルートだった。
(だんだんゲームの攻略話みたいになっているが、もうちょっとだけお付き合いいただきたい。ごめんね。)

私が予備校・河合塾KALSに入ったのが2016年の9月。
実は、半年で準備して翌年4月に大学院に入学すれば、公認心理師法施行日の2017年9月15日の時点では大学院で科目を履修中になるので、ぎりぎり法の施行前から履修しているということで経過措置Dルートに滑り込むことができた。

むずかしいよ…。

説明会の時、河合塾KALS講師の宮川先生からこの話をされて、大学院受験への意欲が高まり、予備校に通いたいと思えた。新しい国家資格、新しく世に認められ始めた価値観に私はわくわくした。なので、とりあえず半年コースで申し込んで、大学院を受けることを考えた。

しかし、私は甘かった。

勤めている病院に、今から一から勉強して受かるかわからない院試のために「半年後にやめます」なんてなかなか言いだす勇気もわかない。まだ神経症も治りきっていなくて精神的にも落ち着いていない。研究計画書は意外と書くの難しいし、まだ全然わからないのに志望校なんて決められない。なにより院試の英語が壊滅的にできなかったのだ。私は予備校に通い出して二週間でさっそうと一年コースに変更してもらった(笑)

今思うと無理にでも半年で大学院受けてしまった方がよかったのかなー。と思うこともある。やっぱり公認心理師持ってたほうが今後強いだろうし、公認心理師試験勉強界隈の先生方にお世話になっているが、みんなの話になかなか入れないときは、寂しくなる。

でも、多分、ちょっと、逆に持たないでおこうと思ったところもあるのだ。(ここがこの記事の一番大事なところです。)

私は、何かを持っていると、すぐにそれに頼ってしまう。「〇〇を持っているわたし」にいつもなってしまう。そうやって今までいつも何かに依存して、恋愛に依存して、26歳の私は生きてきたのだ。
自分の価値を決めるのは私ではなく、常に私の周りのものだった。

「〇〇大学のわたし」「〇〇病院のわたし」「〇〇先生の彼女のわたし」・・・それまでいい大学いい就職先、学歴の高いお相手じゃないとダメという価値観の中で育ってきた。
でも、持っているものでしか自分を判断できないと、いつも自信がなく、自己肯定感がひくく、ふとなくなった時に自分は空っぽだと気が付き空しくなることに、私は失恋を通して学んだのだ。

もう、心理を志す上で、もうその価値観のままで生きるのは嫌だった。
もう何を持っている人か、どんな学歴や職業の人かで、相手や自分を判断したくなかった。
「〇〇の水谷悟子です」ではなく、ただの「水谷悟子です」と言える自分になりたかった。

絶対的な価値観があるものというのは、その価値に飲み込まれてしまう怖さがある。もともと国家資格保持者なので、資格の強さ重要性は身をもってわかっている。国家資格というのは取得してしまえば半永久的な資格であり、価値が廃れることはない。

検査技師に加え、公認心理師をとったら国家資格を二つ持つことになる。そんなことしたら・・・「Wライセンスの私~!」と私は受かれるだろう。そんな自分の未来が容易に想像がついた。

そうはなりたくない・・・。そんなことになったら何も変わらない。今ある安定した給料・いい職業・いい就職先を捨てて、新しくじぶんの選びたいもので、わたしをはじめなおす意味が全くない。

そう思うと、公認心理師受験資格が得られないというのは結構その時の私に合ってる気がした。自分がちゃんと何かに頼らないで飲み込まれないでいられるまでは、この欠けた立場でいいのかも、と思えた自分をほめたい。臨床心理士は5年に一回更新しなくてはいけないので絶対的でないのがいまのところ私にとっては、いい所だと思う。

それに、ちゃんと英語も心理学も勉強したかったし、何よりあまり無理をしたくなかった。程よいやる気が持久力のポイントだと心理学で学んだこともあり、そうした。その自分の選択に今も後悔はない。

一年でゆっくりじっくり学んで大学院を受けようと決めてからの私は丁度いい感じに力が抜け、勉強にもしっかり身が入った。「大人になってからの勉強って楽しいな~」なんて思いながら、カフェテリアで抹茶ラテを飲みながらかっこよく勉強する。大人なわ・た・しに浮かれると更に勉強が楽しくなる。心理学がどんどん楽しくなった。
はっきり言ってかなり成績は良かった。あんなに苦手だった英語も心理の英語となると楽しく勉強できて、模試で全国一位を取れるようになっていたwwもしかしたら半年でも志望校を選ばなければ大学院に合格できたかもしれない。でも、予備校で過ごした日々は楽しかったし、大好きな大学院の同期に巡り合えたから、私は自分の選択は間違っていなかったと思う。!(^^)!

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絶対的な価値観があるものというのは、それを持っているだけでいい気分になれるけど、それを持っているだけで自分が安定した価値がある人間になってつい楽をしてしまう。それはブランド物を持っている時と似ている。それのどこが好きだったのか、何に価値を見出したのか、をつい忘れてしまいがちになって、それを持っている自分を誇りを感じてしまうのだ。あまり持つ機会はないけど、あまり持たない自分でいたいとも思う。

ちなみに、4か月ほど前、公認心理師法が改定されて、新たなCルート(通常ルートと同等以上の知識や技術を有するもののルート)が誕生した。「もしかしたら私受験できますか・・・?」と厚生労働省に問い合わせたが、やはりだめだった(泣)国は、まだ私が「Wライセンスだ!イェーイ!」と思ってしまう可能性があると判断したようだ。

しかし、いつか、公認心理師持ってないことで心理師として働けない世が来ると思っている。
そのうち取らなきゃ。
結婚して子供産むときに休職するだろうから、その時とかに放送大学とかで取れないかな~。
もしくは、私のように隙間にはまってしまって公認心理士が受験できない人をいつか厚生労働省が救済してくれることを願う。
さて、どちらがはやいのだろうか(笑)
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☆水谷、病院やめるってよ。

あと一年半で仕事を辞めると決めた私は職場(病院)の上司にそれをいつ言おうか、考えていた。

私の勤めていた病院は名古屋ではかなり有名な大病院で、当時の名古屋市長の河村さんが「うちは〇〇病院があるで大丈夫だわ」と信頼を置かれる市中病院であった。

そのため、研修制度もしっかりしているし、有名な技師さんも複数在籍されている。私も仕事6年目ではあったが日々学ぶことばかりで、仕事時間外でも病院に残って検査の技術を磨いていた。上司もしっかり私を育てるつもりでいてくれたし、研修にも学会にもたくさん連れて行ってもらった。

なので、すごく病院をやめると言いにくかった。

もうきっと、誰に次何を教えるか、何年後までに誰をここまで育てたいか、などこの先何年後かまでのプランニングが細かく上司の中でできているだろう。私はそれを裏切ることになるのだ。
私は、上司の期待に誠意を持って答えるには、上司に早めに辞めると報告して、なるべくそのプランを早く変更してもらうことだと思った。
私はやめるよりも一年以上前に上司にそのことを話した。

私「ちょっとお話があるんですが、、、」
上「いいよ」
私「あ、二人で話したくて、、、」
上「・・・わかった。あっちいこっか。」

察しがよく、受け止める器が大きい上司はちゃんとほかの人が聞こえないエコー室に連れて行ってくれた。

そこで、実は検査をしているときに人の話を聞くことが好きだと気が付いたこと、心理学を勉強している事、勉強していたらもっと学びたくなって大学院へ行こうと思っている事、そのため来年度をもって病院を辞めること、を話した。

上司は黙ってしっかり目を見つめて話を聞いてくれて、
「話してくれてありがとう。わかった。・・・受験頑張って。」
と言ってくれた。絶対怒られると思っていたし、緊張しまくっていたので、嬉しくて目がウルウルになってしまった。
そんな私に
「でも受かるか分かんないんでしょ(笑)落ちてもまた就職させてあげないよ~頑張って勉強して絶対受かってよ!(笑)」
と冗談っぽく笑った。

一流の人は本当にすごい。
いい職場にいられていい上司に恵まれて本当によかったな。とその時改めて思った。そしてこの職場を辞めるのがちょっと寂しくなった。

その後は、同期に話したり先輩に話したり後輩に話したり、勝手に知っている人がいたり、当直の時に勉強しているのがばれてしまったりで、どんどんみんなに知られていった。

水谷、病院やめるってよ。っていう噂はどんどん広まっていった。

すると、あまり仲の良くなかったというか嫌われていた先輩からも、なぜかまるで前から親しかった後輩だったかのように声がかかった。きっと、今ある安定を捨てて、いばらの道に進むちょっと稀有な存在だと思われただろう。

先「みずたにぃ~!」
私「え、あ、はい。」(このテンション何?怖いんだけど!)
先「聞いたよ!病院やめるんだってね。」
私「ああ、はい。」(なんでこの人知ってんの?)
先「大学院行くんだよね。すごい!!
私「ありがとうございます・・・すごいですかね・・・?」
先「だって、なかなか出来る事じゃないよ!私みずたに見直したわ!

何を上から目線で言っているんだろうか、この人は。と思ったのを覚えている。散々私のこと無視していたくせに。。見直したって、オイ。
この後、この人の浅ましさ、露骨な態度返し、結構観察しがいがあるな、と思って、意外と仲良くなった(笑)この人の女子の悪いとこ出ちゃった感じを、仲いい後輩の振りして楽しんでカフェでだべりながら隣で静観しているのはとても面白かった。すごく性格の悪い話だが、めっちゃ面白かったので聞いてほしいwどこかで書こう。

まあ、それは置いといて。

私は大学院に行く選択をしたことを「すごい」と言われるのに何かすごく違和感を感じていた。
じぶんとしては、スタート地点に立っただけだ。今までの自分を見つめなおし、自分の選びたいものを自力で選びなおさないともうダメだと思っただけだけど、周りの人は私が何かすごいチャレンジをしようとしているように言ってくる。

すごいって何?

私は考えすぎてゲシュタルト崩壊を起こしていた。
あの時の「すごい」と言われることへの違和感をどう説明したらいいのかわからない。とにかく私は自分がすごいとは全く思っていなかった。すごいことをしようとしている人と思われるのが癪だった。面白いね~ならわかるのだが。

すごく違和感があったのでそれを予備校の友達に話した。
「さとちゃんがそう思わなくても、周りの人から見たら”すごい”んじゃないかな?」
と誰も傷つけない優しい回答をしてくれた。
この子はこの子自身境界性パーソナリティ障害を患っていて自分と同じような人を助けたいと思っている素敵な子だった。同じ年で一緒に切磋琢磨して勉強したが、とても繊細な子であったため、そのうち予備校に来なくなってしまった。一度、暴言を浴びせられたこともあるが、そんなことは全然いい。やっぱり感性の部分で好きだな、と思わせられる子だった。出会った人たちのこともかけたらいいのにな。

そんなこの子の言葉に癒されていると、隣にいたおばさん受講生から真剣な目をしてこういわれた。
「あなたはすごい。〇〇病院に努めているんだから、あなたはすごいんだよ・・・!」
このおばさんも、うちの上司と同じくらい目をしっかり見つめてそういってくれた。多分、私が実は心の中では自己肯定感が低い、かわいそうなクライアントだと思って、カウンセラーモードで、あなたはすごい、と励ましたつもりなんだろう。

でも、その時私が一番言われたくない言葉だった。
この状況でこの言葉を言うクライエントに言う人は、カウンセラーの風下にも置けない、と今でも思い出す。

顔を真っ赤にして「それは言われたくない言葉です。」とちゃんと言った気がする。「〇〇の水谷悟子がすごい」と言われたら、ただの「水谷悟子」がかわいそうじゃないか。

⑪へ続く

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ここまで書いて、そうか。と気が付いたことがある。私は「”〇〇病院の臨床検査技師の水谷悟子”が、違う道に進もうとしていることがすごい」とみんなに言われていたから違和感があったのかもしれない。
その時に私はただの「水谷悟子」であるための行動をしてきたし、大学院へ行くのも「水谷悟子=わたし」のための進路だった。なので、「〇〇の」がついた私が褒められることに違和感を感じていたのかもしれない。
とはいえ、私もよく人に「すごい」と言ってしまうが、これを書いて、ああ気をつけなきゃな、と思った。
向き合っている人は「〇〇の」その人ではなく、ただのその人自身だったら、どんな言葉をかけたらいいのか、しっかり考えて言葉を積むいでいきたい。
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