好き!楽しい!がわかんない時代が、随分と長かったのです。
こんばんは。
ブーケアーティストの咲凜(えみり)さとです。明日は、災害級の大雨になるとか、どうか日本全国が無事でありますように!!
さてさて、本題です。
私は、好き!楽しい!がわかんない時代が随分と長かったのです。今日は、そのことについて綴ってみたいと思います。
7月7日こちらの企画でもお話させていただく内容にも繋がります。
講演動画です。
好きなことをするってどういうことよ!
私は、幼少期に暴力で押さえ込まれた時代を過ごしました。親も一生懸命だったし、辛ったと思うのです。誰も悪くないし、そうするしか無かったのです。親に対しての恨みつらみは、30年以上をかけて解消しました。42歳の時、大手術後の合併症が出た時に、ありったけの思いをぶつけて。解消しました。
小中高大学時代の私は、幼少期の暴力のことをすっかり忘れて過ごしていました。中学校は、お家から1時間ほどかけて女子校に通っていました。中一中二の頃は、「ひとりぼっち」のことが多かったです。何を話していいのかわかんなくなって、黙ったままでした。黙ったままだから、人がどんどん離れて行きました。
高校もそのまま女子校に。そこで、友達もできて大笑いする日々を過ごします。憧れの第一志望の大学に無事に合格して。親元を初めて離れました。小学校以来の共学でした。すごいすごい楽しくて。保育園時代に次いで2番目のモテ期がやってきました笑。「さとさん。さとさん」ってなんだか慕われていた笑。
そして就職で東京に出てきたのですが、怒りの感情に振り回されるようになっていきます。「怒り」を感じてはダメ、とひたすら「怒り」を思考で押し込めるようになっていきました。
この言葉は、20代前半から周囲にずーっと言われ続けてきた言葉です。
大失恋をきっかけに、私は私を傷つける方向に走り出します。いわゆるアンダーグラウンドに20代後半から突入します。10年近く潜り続けていました。その深さは、浅くなったり深くなったりありますけれど。30代は、「楽しい」「好き」が何かわかんなかった時代が長かったです。
こんな言葉を周囲は、良かれと思って私に投げかけ続けてきました。その度に、私はできていない自分を責め続けていました。苦虫を噛むような心境でした。何も言い返せず、両掌を握りしめて作り笑いをして微笑むだけでした。凄く悔しかったし辛かった、悲しかったです。「わかってたら、とっくの昔にできとるわー!」って、心の中で叫び散らしていました。
根本さんのお弟子になってすぐのブログに、その時の心境を綴っています。
私が「好き」を取り戻すきっかけ
私は、「好き」を探そうっていう気持ちをすっかり忘れ去っていました。それどころじゃなかったのです。42歳の時に、経過観察をし続けていた膵臓の出来物が「悪性の疑い」と出て、「死」を突きつけられたから。
精密検査までの1ヶ月間、私は生きた心地がしませんでした。お家にいても、会社にいても、どこにいても、私はもうここには居なくなるのかっていう気持ちが襲ってきていました。虚無感、怖さ、情けなさ、今まで味わったことのないような感情が、力を失った状態で湧いていました。
精密検査当日、私は、鎮静剤が切れた途端に大声で泣き出して過呼吸を起こしてしまいました。検査室のベッドに点滴つけたまま横たわりながら、涙は溢れ続けていました。点滴に繋がれてどんどん痩せ細っていく自分を想像してしまって。隣にいる母親よりも先に消えていくかもしれないことが、情けなくて情けなくて。
母親の押してくれる車椅子に乗って、検査室を出ようとした瞬間。当時の内科主治医が駆け寄ってきてくれて。「膵癌じゃない!膵癌じゃない!」と何度も力強く大声で伝えてくれました。その瞬間、一気に力が抜けました。そして、生きることへの喜びが湧き起こってきました。
その年2018年10月に、私は手術を受けることが決まりました。10月1日から会社を休職扱いにしてもらいました。手術後は、何一つ予定を入れないようにと外科執刀医からも言われていました。大手術は、何がどうなるかわからなかったから。
手術日は、手術の5日前に病院から連絡がくる仕組みでした。私は、目一杯やりたことリストを作成して、片っぱしから取り組んでいきました。「明日、病院から呼び出し受けたら、何もできなくなる」そんなドキドキを抱えながら。1日が無事に終わると、呼び出しが無くて安心する一方で、手術日が確実に近づいていることへの怖さも感じていました。
「今」をがむしゃらに、貪欲に生きようと必死でした。
好きなことを見つけよう、なんて悠長な気持ちは一切なかったです。「今」「今」「今」、「今」できること、「今」やれること、「今」を必死に生きようとしていました。
そして、やりたいことリストに「ブーケレッスン」を偶然書き込んでいました。ブーケレッスン当日は、無我夢中でした。お腹の底から何かが沸き起こる感覚を覚えました。
これが、私とブーケの初めての出会いです。
術後、体力が回復するまでの3ヶ月間も引き続き休職をもらいました。その間も、毎週のように花のレッスンに通い続けていました。とにかく、無我夢中でした。
花は、私の痛みを癒し続けてくれました。レッスンに通い続けることを糧に、私は日々のリハビリに励みました。
「好き」に出会って、私の人生の流れが変わっていく。
手術直前に、偶然出会ったブーケ。その日から、「ブーケ」に没頭する日々が始まりました。
好きになろうとした訳ではありません。好きを見つけようとした訳でもありません。ライフワークなんて言葉も知りませんでした。こんな風にブーケ・グループセッションを提供するなんてことは全くもって想像もしていませんでした。
今、今、今。とにかく、目の前の花とひたすら向き合い続けて、好き・楽しい・嬉しいを目一杯感じ続けていました。
「好き・楽しい」 がわからない時代が長かった私は、それくらい痛みや苦しみ辛さを我慢し続けて生きていました。好き・楽しいがわからないのも仕方がなかったのです。当然だったのかもしれません。
もしも、あなたが今、好きが見つからない・わからないとしたならば… たくさんの我慢をされているのでしょうか。そんなあなたを責めずに、どうか労っていただけたらなぁと。余計なお世話かと思いながら、勝手に願わずにはいられません。
好きも楽しいもわからない時代が長かったからこそ、今、好きにひたすらまっすぐ向かって生きることを凄く凄く幸せに思います。救っていただき生かされている命。そのありがたみを噛み締めながら、目一杯、使命を生きてまいります。
今日もお読みいただきありがとうございます。明日も素敵な一日になりますように、無事を願います。
咲凜(えみり)さと
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