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ワガママでありたい

ぼくは「働きたくない」という強い気持ちを抱えながらも、税金などあらゆる支払いのためにお金が必要だということで、昨日の夕方にデリバリーバイトの面接を受けてきた。

そのお店はデリバリー専門店すなわちゴーストレストランということだったので、面接地は職場近くのファミレスということになった。

職場近くではあるものの、ぼくの住んでいる家から7駅先にあるファミレスだったので、片道移動だけで徒歩と電車を合わせて40分くらい時間がかかった。疲れた。

面接は履歴書がいらないということだったので手ぶらで行った。髪と髭は伸びまくり、靴はサンダル、半袖短パンの格好で行くと、ぼくより一回り年上であろう男の人2人がファミレスの隅のテーブル席に着いていた。どうやら面接は1対2のようだ。

ぼくが席に着くなり、お互いに軽い挨拶をしてからいくつかの質疑応答が始まった。たかがバイトの面接かもしれないが、「働きたくない」気持ちが強いぼくには気の重い時間だった。

履歴書がいらないということで、何を伝えれば良いかということを全く考えずに面接をしに行っていた。そんなぼくは、ただただ面接してくれる人2人からの質問に答えるだけだった。


面接官「仕事はなにされてるんですか?」

ボク「フリーランスライターとして働いています」

面接官「ええー!フリーライターされてるんですか?」

ボク「んん、ええ、はい。そんな感じです」

ボクの心のなか(やべー、クラウドソーシングで生活保護費くらいのお金しか稼いでいないのになんか凄い奴みたいに思われてる〜)

面接官「じゃあ、いつでも働ける感じですか?」

ボク「はい、そうです」


みたいな感じで、簡単な受け答えをしていった。

ほかにも面接してくれた2人からその会社に関する話などを色々聞いた。会社の社長がデザイナーだったり、社員が演劇をしていたりと、各々なにかしらの活動している人が多いからフリー(ランス)ライターの仕事とかやっている人への理解はある方だと思う、と言われたりした。下手したらライター系の仕事をしてもらうということもあるかもしれない、みたいな話までされて、「そんなことあったら面白いなー、いいなー」とおもった。

また質疑応答の流れで、ぼくがウーバーイーツの配達仕事をしていたことがあるということを伝えると、やたらと「有難い存在だ〜」と言われた。何が有難いのか気になって聞いてみたら、そもそもゴーストレストランというものがどういうものかを知らない人が多いうえに、その概念を理解できる人が少ないというのだ。たしかにウーバーイーツの配達をしていると、10回に1回くらいゴーストレストランの商品を配達することがあるので、それに対しての認識は人並み以上にはある。

逆にゴーストレストランのことを知らない人は「ゴースト」という単語を耳に入れただけで腰が重くなるかもしれない。なかには、佐村河内守さんと新垣隆さんのゴーストライター事件とか思い出す人もいるかもしれない。そういう意味でぼくのようなデリバリー経験者は有難いようだ。

そんなこんなで面接が終わるとき、「ほのめかすようなことを言うようだけど、ほぼ採用ですね」と言われた。「ほのめかすとは?」となってしまったが、予想外にも好印象を持たれたようで良かった。そのあとはお礼とお別れの挨拶をして、ぼくは1人で帰っていった。

面接に行く前はあれだけ気が重かったのに、いざ面接を受けると、やたらと有り難がられるしフリー(ランス)ライターであることに興味を持ってもらえたし、なんとなく承認欲求が満たされた感じにもなり、少し気が軽くなっていた。心の足枷は鉄から風船に変わり、地から空へと舞い上がっていった。しかし、帰り道を歩いていて、重要なことに気付いた。

なんと、ぼくは「短時間しか働きたくない」ということを伝えずに面接を終えていたのだ。頭から完全にすっぽかしていた。

これはぼくにとってめちゃくちゃ重要だ。軽い睡眠障害によって、精神的にも肉体的にもすぐに疲れるぼくは長い時間働けない。というか、働きたくない。大学生のころはレッドブルとかをバカバカ飲んで週40時間とかバイトしているときもあったけど、今はそんなことしたくないし、できない。だから出勤日数も出勤時間も条件をつけてバイトの応募をしなければならなかった。

それにも関わらず、ぼくは面接でそういった話を1ミリもすることなく都合の良い話だけして好印象を持たれて帰っていた。

なんてこった。「ほぼ採用」とか言われていたけど、それは「いつでも働けるバイトマン」としてではないか。いや、いつでも働ける自体は間違いではないのだが、ぼくは「週1〜4日」「1日5時間」より長くは働けないのだ。大事なことを伝え忘れてた。

慌ててメールした。正直に、「軽い睡眠障害があって〜」ということまで綿密に書いてメールを送信した。もしこれで落ちていたらネカフェ とか塾講師のバイト面接を受けたら何とかなるか。でもその場合は髭を剃らなきゃいけないな。伸びた自分の髭に僅かながらのアイデンティティを置きつつあったので、剃るときは少し寂しい気持ちになるんだろう。そんなことを考えていた。

そして、翌朝、メールを確認すると返信があった。


「かしこまりました。採用の方向で話を進めてもよろしいでしょうか?」


まさかの採用だった。もちろん「はい、よろしくお願いします。」と即答した。「睡眠障害」というワードが効いたのだろうか。真相はわからないが、無事、バイト先が決まった。

よかった。バイト先まで遠いなどといった問題は多少あるものの、じぶんの生活スタイルに合わせられるような仕事を見つけることができた。それこそ有難い話だ。

と、ここで「良かった良かった〜」で終わる話なのだが、今回の件で学んだことがある。

それは「わがままを言うなら自分から意思表示せねばならぬ」ということだ。

ぼくはおそらく社会的にはワガママな人間なのだと思う。なぜ自分で自分のことをそんな風に思うのか。それは、社会を真っ当に生きていた過去の自分が今のぼくのように「社会に迎合しようとしない勝手な人間」を毛嫌いしていたからだ。過去の自分が今の自分を観ると間違いなく嫌うだろうし、過去の自分のような人間が世の中(特に現代日本)にはたくさんいる。そのため、ぼくが相対的にワガママな人間であることは容易に想像できる。

当時のぼくが持っていた価値観の中には「おれも我慢しているんだから、お前も我慢しろよ」という謎理論が存在していた。また、過去のぼくは平気でこの謎理論を他人にも振り回していた。そして、当時のぼくはそれを繰り返すことでよく自滅していた。

それと同じことをしている人が世の中(特に現代日本)には大勢いる。そのため、現代日本社会は「ワガママ」を押し殺すことが前提で回っている。多くの人がいろんなことを我慢している。

そんななかでワガママで居続けたいのであれば受け身であるのではなく積極的にワガママを押し出さねばならぬ。面接だからといって相手の質疑に応答するだけでは、じぶんの「ワガママ」という成分は相手の脳内に注入されることなく霧となって消えていく。そして、じぶんはワガママが言えずに我慢を強いられるようになる。悪循環の始まりだ。

ワガママでありたいのであれば、それを相手から引き出してもらうのではなく自分で相手側の構想にぶち込まなければならないのである。これは、我慢を善とする日本社会においてとても大切な心得なのかもしれない。

追記(2020,10,23)

結局、採用が決まったデリバリーバイトは研修日が来る前に辞めた。メールで出勤回数を増やすことを促されたからだ。もちろん強制ではなかったため断っていたけど、メールの文面から「バイト野郎はたくさんシフト入って身体を酷使してなんぼ」みたいな雰囲気がぷんぷんしたので、1回も職場に行くことなく辞めた。

あれから4ヶ月が経った。なんだかんだで現在は、ウーバーイーツの配達仕事やクラウドソーシングでの執筆仕事だけでなく、サッカーコーチの仕事を始めたりシェアハウスに引っ越ししたりして生き延びている。特に何か策を練ったりしたわけではないが、労働強度を下げながら精神的に豊かな生活を構築することに奇跡的に成功している。人に恵まれ、運にも恵まれ、「ワガママなじぶん」を崩すことなく生き延びることができている。ありがたい話だ。

今後はボチボチお金でも貯めて、変な店でもつくろうかな。

里芋です。