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なぜ「素走り」をさせるジュニアサッカーのチームが存在するのか?

ぼくは昨年9月からコーチとして小学生年代のサッカーチームやサッカースクールに携わるようになり、最近は週5〜6回活動に参加しています。また、他チームの活動について知る機会も増えてきました。そんな中、最近気になることがあったので、それについて語っていこうと思います。

ちなみに、前回は"余白"をテーマにして書かさせていただきました。


今回ぼくが語りたいテーマは、「素走り」です。素走りとは、ボールを使わず走力を鍛えることに特化した、純粋な走力トレーニングのことです。

ぼくがコーチとして関わっているチームやスクールで、素走りが練習メニューに導入されることはありませんが、周辺地域にはそういうメニューを取り入れているチームは令和になった今でも多数存在しているようです。

「忍耐」や「我慢」を美徳として捉えられがちな日本において、素走りが立派なトレーニングとして捉えられてきた歴史があり、それがまだ根強く残っているのでしょう。

そこで今回は、素走りを取り入れるチームがどういう目的意識を持っているのか、また、どういった思考回路を経て練習メニューの1つとして素走りを採用しているのか、といったところに触れていきたいと思います。

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(https://www.ac-illust.com/main/search_result.php?word=走り)


商売上手

まず、素走りを練習メニューに取り入れるのは「プロサッカー選手を育てたい」という目的意識より「試合で相手チームに走り勝てる力をつけたい」という目的意識の方が強いからだと思われます。

ありきたりな話でいうと、こういったチームは「個人の育成」よりも「目先の試合での結果」を意識していると考えられます。

本来、心も体も発達途上である小学生年代の選手たちのことを考えるのであれば、走力をつけることではなく「ボールを足で扱う感覚」や「自分の身体を自由自在に扱う感覚」を身につけることを最優先にするはずです。身体が未熟な小学生に素走りをさせることは、"怪我をしやすい体質"を作ってしまう恐れがあります。

また、「ボールを足で扱う感覚」や「自分の身体を自由自在に扱う感覚」は高校生や大学生になってから鍛えるのではなく小学生から鍛えた方が効果的です。

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(http://paramundo2012.paramundo.net/?eid=179#gsc.tab=0)


このあたりは、サッカー指導に関する知見や生体力学に関する知識の有無に関係なく、サッカーをやってきた人なら経験としても知識としても知っていることだと思います。

(「素走りをトレーニングとして採用するのは無知だから」というわけではないと思います。素走りを練習に取り入れるかどうかの差は、知識量の差によるものではなく、考え方や認知の違いによるものです。)

そういったことを考えると、素走りを取り入れるチームは「勝利至上主義」のチームであることは明らかです。つまり、「育成」をある程度捨てていると言えるでしょう。

ここまではよくある話です。善悪抜きにして、そういうチームは存在します。

そういったチームはジュニア年代の大きな大会で結果を出して、注目を集め、新規の選手を集める。人がたくさん集まり、チーム内での"階級"ができることで激しい競争が生まれる。その中から卒業生100人のうち1人でもJリーガーが誕生すれば「あのチームの育成は上手くいっている」と思われる。

(残りの99人のうち、怪我や心身疲労で"潰れてしまった"選手が何人かいても、そのことが明るみに出ることはない)

そして上手い選手や意識高い選手が集まってくる。レベルの高い選手同士で激しい競争をすることでチームは強くなり、大会で結果を出す。

こういったサイクルを回しているチームは、善悪の話は他所に置いといて、商売上手なチームと言えるかもしれません。子どもの教育費用の支払い決定権を持つ保護者さんからすれば、「このチームになら毎月お金を払ってもいいかな!」となるのでしょう。まあ、実際に卒業生からJリーガーが誕生するって確率的に物凄いことではあるんですけど。

では、素走りを取り入れることが「チームの勝利」に繋がると考えているチームは、どういう思考回路を経て、素走りと目の前の試合での勝利が直結すると考えたのでしょうか。


要素還元思考

なぜ、素走りをすることが"勝利"に結びつくと考えるのか?それは「要素還元思考」を採用しているからだと言えます。

要素還元思考とは何か。それは、

複雑な物事でも、それを構成する要素に分解し、それらの個別(一部)の要素だけを理解すれば、元の複雑な物事全体の性質や振る舞いもすべて理解できるはずだ、と想定する考え方

(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%84%E5%85%83%E4%B8%BB%E7%BE%A9)

のことを言います。

要素還元思考を説明するために「英語学習」を例に挙げてみます。

英語学習を始めるにあたって「単語」「文法」「発音」「リスニング」などといった要素に分けて、それぞれの力を向上させるために訓練することは、一般的な学習方法としてよく知られています。

単語帳にある単語を覚える。英文の法則を理解する。舌の使い方やアクセントの位置を学ぶ。英語を耳で聴いて内容を把握できるように訓練する。

もちろん区分の仕方は色々あり、それらに絶対的な正解はないです。たとえば「単語」「文法」「発音」「リスニング」以外にも「スピーキング」という括りを設けるのも1つの手段です。"正解"はないです。

この学習方法のように、「英語学習」という対象を複数の要素に分解して、各々の要素に対してアプローチするというのが「要素還元思考」による捉え方になります。

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(https://pixta.jp/tags/英語?search_type=2)


そして、サッカーにおいての"勝利"を目的として、素走りトレーニングを採用するのは、「要素還元思考」を元にサッカーというものを捉えているからだと言えます。

つまり、"勝利"を手に入れるうえで「技術」「戦術」「メンタル」「走力」が重要な要素だと考えて、それら要素のうちの一つである「走力」を鍛えるためには素走りが必要と考えたのだと思われます。もちろん、素走りを「メンタル」の強化トレーニングとして捉えることもできますが、いずれにしてもサッカーを要素ごとに分けたうえでのアプローチであることに変わりはありません。


サッカーってそんなに単純なものなのか?

サッカーを「技術」「戦術」「走力」「メンタル」の4要素に分けて考えることは、サッカーというスポーツを理解する手助けをする部分はあります。個別の要素を理解することで「サッカー」という全体を理解することに繋がる部分は大いにあります。

しかし、そういった要素還元的なアプローチだけでは「サッカーの本質」まで辿り着くことはできないのではないかと思われます。

たとえば、「技術」のひとつである「パス」の練習として、単純なパス交換トレーニングだけを極めても、敵や味方の動きを観察して状況判断する力がなければ、試合中に効果的なパスをすることはできるようになりません。

また、「戦術」に着目して「4-4-2と3-5-2のどっちがいい?それぞれのメリットとデメリットは?」といった「チーム戦術」の話をホワイトボード上で行ったとしても、そもそも選手1人1人が「グループ戦術」や「個人戦術」を理解していなければ、どれだけ議論を重ねても意味がありません。

そして、走力やメンタルに関しても同じことが言えます。

試合中に発揮したい走力とはどのようなものでしょうか?チームが苦しいとき、自分の調子が悪いときに必要となってくるメンタルとはどのようなものでしょうか?

そういったことを考えたり定義したりすることなしに、単純な素走りトレーニングを行うことは果たして「走力」「メンタル」を鍛えるうえでの最適解と言えるのでしょうか?

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システム思考

要素還元的な思考だけではサッカーの本質まで迫らない。そこで重要となってくるのが、「システム思考」と呼ばれるものです。

システム思考というのは、大気や水といった生態系の話、会社や学校といった組織の話、設計や構築といった工学の話など、あらゆるジャンルで使われる思考体系です。

システム思考とは、

事象の要素細部を見るのではなく、全体のシステムを構成する要素間のつながりと相互作用に注目し、その上で、全体の振る舞いに洞察を与える

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0%E6%80%9D%E8%80%83

といった考え方になります。

システム思考は、「要素細部を見る」という要素還元思考とは対になる概念です。要素間の「つながり」や「相互作用」に着目するものです。

先ほど例に挙げた「英語学習」をシステム思考で捉えるならば、「単語」「文法」「発音」「リスニング」などといった要素を個別にみるのではなく、「英文を声に出して読む」「英会話を実践する」というように英語そのものに触れるというアプローチが採用されます。

そのため、システム思考では、そもそも「英文」「英会話」とは何なのかという定義から考えることが重要になります。概念の定義から始まることで、その概念の"輪郭"を捉え、要素だけを見ていては気づかない部分を認識することができます。

このように、まずは定義をして全体の輪郭を捉える。そして、その輪郭を濃くするための訓練を繰り返す。そうすることで、「単語」「文法」「発音」「リスニング」を強化するだけでは零れ落ちる部分も習得することができます。

たとえば「この英文だとbookは"予約する"という意味になる」や「この文脈だとbook(予約する)ではなくreserve(予約する)を使う」などといった部分です。

英語学習をそのように捉えると、「単語帳を丸暗記する」「文法問題集を3週する」よりも「"簡単な英文"を音読する」や「アプリなどを使ってネイティブスピーカーと"簡単な英語"を使って会話をする」ほうが上達が早いのではないかという仮説を立てることができます。

(もちろん、受験英語のための英語学習なのか、英語話者と話せるようになるための英語学習なのかで効果的な方法というのは変わってきますが)

こういったシステム思考の考え方はサッカーの本質を捉えるうえでも非常に重要になります。


4要素を別々に考えることの意味とは?

サッカーで重要とされている「技術」「戦術」「走力」「メンタル」の4要素を別々に分ける話は、サッカーの話をするうえで割と定番となりつつあります。

たしかに、対象を理解するうえで要素還元的なモノの見方が効果を発揮することは多々あります。

日本の学校教育は、小学校の場合「国語」「算数」「理科」「社会」など複数の要素に還元することで生徒の教養を深める手助けをしています。

また、日本のサッカー教育においても、クーバースクールなどの「技術」に特化したトレーニング方法が浸透したからこそ、選手のテクニックが向上し、レベルが上がったという事実があります。

ちなみに、サッカー日本代表で現在10番を背負っている南野拓実選手は、小学生のとき地元のサッカーチームに所属しながらクーバースクールにも通っていたそうです。

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(https://soccermagazine.jp/national_A/17399501)

このように、何かを理解してレベルアップを図るうえで、要素還元的なモノの見方が威力を発揮することは多々あります。

しかし、そういった見方に終始してしまうことは、全体像を見失い、議論や思考が机上の空論で終わってしまう危険性があります。

たとえばサッカーについて考えるとき、要素還元思考に終始してしまうと、以下のような問いを取りこぼしてしまうのではないでしょうか。

①「技術」と「戦術」の関連は?
②「技術」と「走力」の関連は?
③そもそも「戦術」も「走力」もスキルの1つだから「技術」に含まれるのではないか?

また、4つの要素を個別にみることに終始してしまうと、たとえば「走力」を「技術」として捉えるといったことが難しくなります。「いつ、どのポジションを取るのか」「いつ、どのタイミングで走るのか」「いつ、どこでどんな走りをして体力を使うのか」といった問いは、技術的な問いとも言えるし走力に関する問いとも言えます。

このようなことを考えると、「素走りはサッカーの本質から外れたトレーニング方法なのではないか???」というクエスチョンが出てきますよね。

ちなみに、全国大会出場経験がないのに毎年のようにJリーガーを輩出している興国高校サッカー部では、素走りは一切していないようです。以下、顧問の内野先生著書から抜粋。興国高校サッカー部がスペイン遠征に行ったときの話。

フィジカルや持久系のトレーニングを一切やってないのに、スペインのコーチから「お前らのトレーニング方法を教えろ」と言われるぐらい走れているんだから、アフリカ系の選手が筋トレをしているようなもので、これはそもそも練習(→持久力系のトレーニング)する必要がないなと。答えが出ましたね。



素走り文化から"ネイマール"が生まれることはない

ここまで、要素還元やシステム思考がどうとか、小難しい話をしてきましたが、シンプルな話をすると、「素走り文化のあるチームから"ネイマール"が生まれるわけがないだろう」ところに行き着きます。

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(https://www.google.co.jp/amp/s/web.gekisaka.jp/news/amp/%3f141765-141765-fl)

ネイマールは、PSGでもブラジル代表でも10番を背負って、チャンピオンズリーグやW杯といった大舞台で輝きを放っているスーパースターですが、「上手い」だけでなく「やんちゃ」な一面を持っていることでも有名ですよね。

そんなネイマールですが、果たして、育成年代のときに素走りトレーニングを真面目にこなすようなことはあったのでしょうか?

仮にあったとして、彼のようなスーパースターが「ぼくの原点は素走りでした。」「素走りは大事よ!ちびっ子たちも真似してみたら?」みたいに語ることはあるでしょうか?

ぼくは彼の自伝などを読んだことがないので、彼の過去を把握しているわけではないのですが、プロになる前に「サッカーの試合で活躍したい!」という理由から単純な走りトレーニングをしていたなんて想像できません。

(自伝は2014年の時点で出版されてたみたい。まだ読んでない。)


彼のように、大舞台でも圧倒的なボールコントロールを披露する「技術」、相手マーカーをスピードで振り切る「走力」、大胆なプレーをやってのける「メンタル」を併せ持つような選手が、素走りという心も体も躍らないようなトレーニングをしていたとは到底思えません。

ネイマールのような選手は「つまらないことはしない」「楽しいことだけを全力でやる」といったスタンスだからこそ、あれだけ異次元のプレーができるのだと思います。もちろんプロになってからは筋力トレーニングなど楽しさが比較的薄いものにも取り組んでいるようですが、アマチュア時代のネイマールはとにかく「サッカーが好きになる」「サッカーに対して真剣になる」過程を歩んできたのではないでしょうか。

もちろん、"ネイマール"を育てることが全てではありません。しかし、少なくとも、大人が子どもたちに対して偉そうに素走りなんてものをさせるのは、「大人のエゴ」でしかないのではないのか、というのが僕個人の意見です。

里芋です。