狂った記憶。
私は過去に数回、狂ったことがある。狂ったと言っても夢野久作の小説に出る程ではない。ただ、少なくとも「自分頭おかしいのかな」と思ったくらいには狂ったと思う。
初めてそう感じたのは中学生になった時だった。入学して程なくして、私は喋れなくなった。いじめられた訳ではない。小学校の時の同級生と共に入学したので、人見知りも違う。なのに、周囲と会話が出来なくなった。
またある時は居酒屋のバイトをしていた時である。なんてことのない、自分の責任じゃないクレームを受けた時のことだった。涙が止まらなくなり、突発的に死にたくなった。
最も自分が狂っている、と感じたのは、摂食障害になった時だ。一人になると食べることしか考えられなくなった。毎日スーパーでカゴいっぱいの食べ物を買い、寝る寸前まで食べた。泣きながら食べて、食べながら泣いて、「自分は狂ってる」と思っていた。
その時その時で、私は周囲から浮き、避けられた。影で「普通じゃない」と言われているのも分かっていた。何故自分はこうなんだろう、どうして周囲と違うんだろう、とずっと考えていた。そんなある時、どこかでこんな文章を読んだ。
「鬱になるのは正常な人だから」
この文を、私はどこで読んだのかを覚えていない。前後に何を書いてあったかも覚えていない。それだけその一文が強烈であった。その一文があれば十分であった。狂うことと鬱であることは違うかもしれないが、私にはそんなことはどうでも良かった。
中学校に入学した時、同級生は他の小学校から来た生徒に取り入ろうと必死に話しかけていた。皆一人になりたくない為に、誰かに媚を売り、誰かを貶していた。上級生は急に先輩面を始めたし、教師は偉そうでいてどこか生徒を恐れていた。あの時狂っていたのは私だろうか。
居酒屋はブラックバイトだった。17時からしか時給が発生しないのに、15時に出ろと強要され、終わるのは朝の5時だった。理不尽なことで怒鳴られた後、「これだけ長くいるんだから家族も同然」と勝手な言葉で丸め込もうとされた。あの時狂っていたのは私だろうか。
カメラマンアシスタントをしていた時、私はよく怒鳴られた。些細なミスでも物を投げられ「頭おかしいんじゃねえの」と言われた。撮影の内容は主に料理で、撮影した料理はスタッフが食べるのだが、「若いんだから」と押し付けられることが多かった。徐々に食欲のスイッチが壊れ始め、太り始めると恋人に「食べ過ぎじゃないの」と言われた。疲れてるのに「痩せた方がいい」と登山やジョギングを勧められた。非嘔吐過食が始まり、相談しても聞いてもらえなかった。あの時狂っていたのは私だろうか。
私は確かに狂った。でも、「狂った」のは「狂った」環境にいたからじゃないのか?「狂った」環境にいたら、「狂う」のは仕方がないのではないか。「狂った」のは、正常だからじゃないのか。私はずっと、本当はずっと、正常だったんじゃないのだろうか。
そう気づいて、私は初めて自分の視点をニュートラルに出来た気がする。私は常に正常だ。これから何に狂わされようと、私はおかしくない。狂うことは怖い。けれど、怖がることもおかしくない。狂ったとしても、他人に「狂ってる」と言われる筋合いなどどこにもない。
どこかで「自分はおかしいのではないか」と思ってる人へ。多分正常です。きっとまともです。思わされてるだけです。多分で申し訳ないけど。
「狂」という字がゲシュタルト崩壊。