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くだらないこと

何か書きたいことがあってそれを書くのは至難の業なのだ、私にとっては。大抵よく分からない方向に脱線する。だがしかし、今日は書きたいことを書きたいと思う。くだらないことをとても書きたい。

さて、くだらないこととは一体何を書けば良いのだろう。私の生活など灰色一色なのだから、有意義なことなど一切ないのだし、簡単に見つかりそうなものなのだけれど、これが意外と難しい。くだらない話だから誰かを傷つける訳にはいかない。無論怒らせるのも良くない。感動させるなんてもってのほかだ。読んだ後に何も残さないというのはなかなかどうして難しい。

好きな食べ物の話はどうだろう。私は赤身の肉さえ与えておけば大概機嫌良く過ごせるのだが、世の中にはベジタリアンもいる。その人は肉の話など聞きたくないだろう。それに今の世の中には全ての動物を食べることを拒否する過激派もいると聞く。そんな人に目をつけられては敵わない。犬に「中華料理」と名付けようとしてしまう私だ、容易く殺されるに違いない。

ならば嫌いな食べ物の話、と言いたいところだが論ずるまでもない。もののついでに、と私のその食べ物に対する憎悪が垂れ流されるだけだ。嫌いなことを話す時の私には節操がない。ちなみに、などと語る前にこの話はもうやめよう。どんな食べ物にも生産者がいる。

人にはそれぞれ価値観があるのだから、好き嫌いにまつわる話には限界があろう。ならば家族の話はどうか。サトウ家は良くも悪くもドライであるし、家族は誰も私がこんな無益な文章を書いているなどとは知らないし、知ったところで眉一つ動かさないであろう。

いや、それでも「幸せそう」とほんわかする輩が必ずいるに違いない。どれだけ私が父を鈍感と罵ろうと、母を冷酷と表現しようと、兄をコミュ障と卑下しようと、「またまた」などと言い、「複雑な家庭もあるんだから」と言われ、いやそこそこ複雑ですけどね、なんて説明してしまったら気の毒そうな顔をされた上にそれを下手に誤魔化され、「GWやお盆は帰るの?」と話をすり替えられて「GWもお盆もあるか国民全員が休みだと思うなよこの統一思想が」と別の怒りが湧いてしまう。

過去に起きた出来事からくだらないことを書こうとしてもくだらないことは忘れてしまっているし、仕事の話をくだらない話として書いてしまうと依頼が減ってしまいそうだし、友達の話はくだらなくなど書けない。友達が人間関係で一番貴重で、一番尊いと思っている。

などと書き連ねている内に、結構な文字数になってしまった。肩もそれなりに凝ってきている。元々クラウドにバックアップしている時間に書こうとしただけなのだった、この記事にそれ程時間はかけていられない。

いいんだ、くだらない話を書こうとした気持ちを書いておければそれでいい。2020年4月10日。緊急事態宣言が出てから3日。最後に誰かとくだらない話を出来たのは2週間以上前になる。くだらない日々がまた当たり前になった時に、この文章を私が見て、私が思い出せればそれでいい。くだらなさがたまらなく恋しくなった日々を、私が忘れなければそれでいい。

友達で思い出したが、異性の話をちょっとだけしよう。私は元々誰かを好きになると、できれば男に生まれたかった気持ちがあるからか、「好き」というよりも「なりたい」と思う傾向にある。だからその人の姿を見る度、「あぁ私はこうなれないんだな」と思って勝手に絶望することが多い。そしてこの数年、私はずっと絶望している。私がなりたいと思う相手が、最近やたら視界に入ってくるようになった。長谷川博己っていうんだけどね。

くだらなくはない写真載せとく。



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