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垂れ流される汗、思考。

滂沱たる汗だな、とハンカチで額を押さえながら思った。滂沱たる、なんて言葉を初めて使ったように思う。皆この漢字が読めるだろうか。私は読めても書ける気がしない。

初めて使う言葉が出てくるくらいなのだから、今年の夏はやはり暑いのだと思う。毎年新鮮に暑いと思っているが、今年は毎日熱中症に怯えている。塩分を摂らなければならないのが辛い。私はとんかつをソースなしで食すくらいに薄味好みである。

とはいえ毎日繰り返される鎮痛剤の効かない頭痛と、撮影中でもお構いなく表れる手の震え、連日報道される誰かの人生を終わらせた熱中症の猛威には個人の嗜好など無力である。最早戦後ではないのだし、表面上のみにしろ平和とされるこの国では何よりも人命が優先される。それが自らの命であれば尚更だ。生きねばならぬ。

そういう訳で毎日塩分のことを考えて生きている。ある種のサラリーマンだとよく分からないことを思う。少し前までは買った漬物を齧っていたが、やはり塩辛いし、粘膜の弱い私はどうも唇がかぶれて敵わない。消化器官の入口が拒んでいるというのに、何故体内に入れなければならんのか全くもって道理が分からない。私の体くらいは辻褄が合ってほしいものである。私はいつも不条理を耐え忍んで忍んで忍んで生きているではないか。ふざけるのもいい加減にしてほしい。

他にも色々と塩分摂取の為にものを食してはみたがどうにも上手いこといかない。最早唇のかゆみを取るか頭痛を取るかという選択になり始めている。そうなると自ずとやるべきことが限られてしまう。自炊である。

私はこの「自炊」というものがあまり好きではない。作るのは構わないが、後片付けというものが嫌で嫌で仕方がないのだ。「片付けるなら汚すなよ」と、鍋が、食器が、コンロが、流しが言っている気がする。何より自分がそう思う。そうでなくてもこの時期は少し生ゴミを出すだけで虫が出る。こうなるともう自分で虫を育ててるようなものだ。冗談じゃない。私はひとり暮らしがしたいのだ。足の本数が無駄に多く、無駄にすばしっこく、瞬時に視界に現れると同時に消えるペットなんて要らぬ。

だがしかし背に腹は変えられない。とはいえ美味しくないものも食べたくない。となると作るものはひとつである。実家から送られてきた、自家製のみそで作ったみそ汁だ。さすが親が作っただけあって味覚が似てるのかなんなのか、みそとは思えないまろやかさを持ったみそで、私はもうこのみそじゃないとみそ汁が飲めないと断言出来る。現に私は今、このみそ汁の塩分によって生かされている。

という訳でちょくちょくみそ汁を作っていたら、一時期冷蔵庫の半分を埋めていたみそが、ついに残りタッパーひとつになった。最後のタッパーのフタを開けながら、ふと「寿命」と思った。みその寿命と、私の寿命と、親の寿命。どれかひとつでも終わったら、と思うと、何かが決壊するように感じた。は、嘘だろ、これ如きで、と笑おうとして笑えなかった。これ如き、これ如きで、みそが残りタッパーひとつになったこと如きで、何を考えてる、何がこみ上げてる、そのこみ上げてるものを零しては、零してはならない、それが零れてしまっては、体内の塩分がまた流れて落ちてしまう。



このように極端な暑さは思考能力を低下させます。適宜涼しい場所で休憩と適切な塩分摂取を心がけましょう。

暑さでピントが合わなくなった我がカメラの写真。

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