私の撮る花
少し前にロケ撮影をしていた時、枯れて地面に落ちた桜を見たお客さんに
「あ、サトウさんの大好物ですよ」
と言われたことがある。
お客さんにとっては単なる茶化しだったのかもしれないが、私はそれがなんだか嬉しかった。
私が枯れた花を撮るようになったのは、もう10年以上前のことだ。人に唆されて、個展をやることになった時だった。
何をテーマにするか考えた時に、私はいつも自分が撮ってるもののことを考え、また同時に撮ってこなかったもののことを考えた。私は、花を全く撮らない人間だった。
あの頃、私は花の写っている写真を、若干軽蔑を含んだ目で見ていたと思う。写っている花がどんな種類であろうと、どれだけ高い技術で撮られていようと、視界に入るだけで息苦しさを感じた。
当時私は写真館で働いていて、基本的には成人式前撮りや卒業袴の撮影をしていた。撮影する対象のほとんどが20代前後の女性という環境だ。
そこではよくこういう言葉を聞いた。
「女の子は若い内しか撮れない」
これは撮影を嫌がるお客様にスタッフが言うこともあれば、お客様自身がモチベーションとして言うこともあり、ご家族様が写真を嫌がる理由として言うこともあった。
誰もが言う言葉、誰もが不思議に思わない言葉であったと思う。
思えば、いつでもそうであった。写真館での撮影に関わらず、人物写真、ポートレートと言えば、ほとんどが若い女性だった。専門学校で受けた人物撮影の授業ですら、モデルは常に若い女性だった。「女性の今だけの美しさを記録する」という、誰もが頷く、最もらしい言葉が目の前を飛び交っていた。
「若い内しか撮れない」と言われたお客様が、スタジオで私の前に立つ。お客様が着ている衣装には、花の刺繍やプリントがあしらわれていて、スタジオの背景にも小道具のブーケにも沢山の花が使われている。
その花のどれもが、満開の花だった。私はその空間に満ちた「今だけの美しさ」を喜び、写真に写さなければならなかった。なのに、いつもどこか息苦しかった。私にとってその空間は「美しい場所」ではなく、「形を変えることを許されない場所」だった。少しでも形を変えれば、勝手に価値を下げられる場所。そしてそれは、スタジオを出ても同じことだった。
誰かが撮った花の写真を見る度、私はこの息苦しさを思った。ただの植物であるはずのこの花が、咲いた途端に持て囃され、レンズを向けられ、枯れればもう見向きもされなくなる。花の写真は、若い女性の写真にひどくよく似ていた。
ただの変化だ。ただの人間が、ただの植物が経ていく変化だ。生きることで得た変化だ。それのどこまでが美しくて、どこからが美しくないのだろうか。
私は理解できなかった。それなら、向き合うしか道はなかった。
ある日の帰り道、私は花屋で花をいくつか買った。それぞれを花瓶に活け、風が通る場所に飾り、花だらけになった部屋で数日を過ごした。花を買うのも、じっと見つめるのも、それが初めてだった。
花はそれぞれ、色んな枯れ方をした。茎からゆっくりと曲がるもの、花びらが少しずつ変色するもの、花びらを1枚ずつ落としていくもの、一度に全て落とすもの。それは「枯れた」と一言でまとめるには、あまりに多彩な変化だった。
その花その花が見せる変化に、私はレンズを向けざるを得なかった。向けないことの方が難しかった。今だ、と思った。生まれて初めて感じた、「花を撮りたい」という欲求だった。
個展ではその時撮った花と、短い小説を組み合わせて展示をした。大した活動もしていない、写真家とも名乗っていない私が展示した作品は、単に奇をてらったものとして大半の鑑賞者に受け取られたと思う。それでも、私の気持ちは晴れやかであった。
個展を終えてからも、私は花を撮り続けた。個展後の私の目に映る花は、どんな状態でも花であった。花びらが開く前も、開いた後も、開き切った後も、重力に逆らえずに落ちた後でも、誰かに踏まれた後でも。
そうして撮りためた花を、まとめて1冊の写真集にした。なんとなく暇だったというのもあるが、個展から10年経ち、あの時共に時間を過ごした花達に「まだ撮ってるよ」と言いたい気持ちになったから。
そう言えば、あの時書いた短い小説では、主人公の「まだ咲いてるよ」という一言で終わった気がする。
あの時の花も、新しくまとめた写真集の花達も、私の写真の中でずっと咲き続けてくれていて、私の生活はいつも、花を撮る楽しさに満ち溢れている。
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