工事の音とアイアンクロー
隣がうるさい。家をリフォームするという旨の報せは聞いていたが、実際は解体からの建て直しであった。なので思ったより長くうるさい。先月から毎朝8時に工事の音で起こされる。
平日の朝8時は普通の人間ならば起きて支度なり何なりしている時間で、なんなら家を出発しているのであるから、特に問題はないのだろう。だが私は土日に働き、平日のどこかを休む人間である。平日のどこか1日くらい、布団にくるまって思う様うとうとしたい。わがままにあるがままに、心のままに眠りに堕ちたい。だがつんざく、名も知らぬ機械が木材をどうにかしている音。
文句を言ってはならない。何故なら報せは聞いていたのであるし、私に対応できない問題かと言われればできない訳ではない。8時から工事が始まるのを知っているのであれば、そこから逆算して十分な睡眠時間を取れる時間に寝れば良いことである。だがしかし、昨日の私はどうであったか。終わらせようと思えばもっと早くに終わらせることのできた画像処理を深夜に始め、それだって集中力をかき集めて一気に放てばすぐに終わるものをダラダラとゴッドタンなどという愚かな番組の配信を横目に観ながら行い、その後も終わったらさっさと寝るべきだというのにグダグダとTwitterなどという悪しきSNSを徘徊していた。私に文句を言う権利はない。そもそも私の住むこの部屋とて、建てられた時は誰かの睡眠を邪魔していたであろう。
こういう時、私はよく考える。自分が自分の意のままにならぬのは何故なのだろう。隣の家が私の意のままにならないのは分かる。私としては古い家のままひっそりと暮らしていて欲しかったが、お隣さんサイドにも夢や希望はある。どんな小洒落た家に住んで新しい生活を手に入れたいのか知らないが、それを否定するのは独裁者の思考であって、そのような思考の持ち主は国連から表向き歓迎されない。だから他人の行動が意のままにならないのは、とりあえず致し方がないと思うより他にない。
連日の睡眠不足により、今私の体は動けないでいる。若干頭が朦朧として眠りたいと思っているのを、名も知らぬ機械が木材をどうにかしている音に殴られて眠れないでいる。やるべきことは分かっている。どうせ眠れないのだから、片付ける仕事をまず片付ける。音が気になるなら、どこかファミレスにでも行けばいい。夕方になれば工事は終わるし、その頃に戻ってきたら明日の準備をして、早めに寝れば良い。夜ならこの辺りはとても静かだ。睡眠不足なのだから、簡単に眠れる。明日の撮影も楽になるだろう。
でもどうしてだろう。何ひとつできないような気がしてしまう。むしろこの自分が考えたはずのやるべきことが、こめかみに食いこんでいるようで苦しい。どこからどう考えてもやるべきことなのに。誰がどう見たってやるべきことなのに。やるべきことが、どうして私には出来ないんだろう。
これは結局「やるべきこと」というものに対する拒否感なのだろうか。「やるべきこと」というものに対して、私はよくしんどくなる。よく逃げたくなる。
「友達を作るべき」「恋人を作るべき」「結婚するべき」「子供を持つべき」「家族を愛するべき」「女性はこうあるべき」「大人はこうあるべき」「日本人はこうあるべき」
言葉で言われずとも、ずっと正体不明なものに押し付けられてきた「やるべきこと」に対する拒否感が、自分の考えた「やるべきこと」に対しても発動してしまうのかもしれない。もやもやとした「やるべきこと」が多すぎて、正しい「やるべきこと」ができない。何もかもがアイアンクローに思えてしまう。
考えすぎだろうか。まぁ、結局何もせずに夕方から爆睡してしまったことの言い訳くらいにはなるだろう。