母の話をしよう。実は私は母の体内にいたことがあるくらい母とは密接な関係にある。
母は今まで私が見た人間の中で一番賢いと思う。親だからというフィルターを省いたとしても賢いと思う。そしてその賢さ故に合理的で、私はその合理さを理解するのにかなりの時間を要した。例えば地域の集まりでキャンプに行くとする。皆当然テントで寝ると思う。だがしかし、母が仕切るとテントではなくバンガローになる。理由はこうである。
「キャンプの目的が集団で山川に行き屋外で料理をして一泊することであるなら、寝る所がどこであろうとキャンプであることは変わらない。ならば手間がかかる上に荷物も増え、天気や動物に対する安全性が確保されないテントに泊まる必要はない。テントに泊まるのが目的なら、各家庭の責任において行うべき。そもそもキャンプ場がバンガローを置いているのだから、バンガローもキャンプだ」
驚異的に正論である。だが周囲は唖然としていたと思う。皆きっとこう思っていただろう。
キャンプと言えばテントじゃないの?
せっかく立派なテント買ったのに。
自慢しようと思ってたのに。
毎年そうしてきたのに。
けれどこれらの言い分は悲しいことに全て非合理的である。単なる個人の思い込み、勝手な願望、思考停止。皆内心ではそれに気づいているから何も言えない。母は非合理的なものに対して完全に無慈悲であった。
そんな母であるから、母に怒られるのはひどく辛かった。さっさと済ませたくて謝ると「何に対して謝っているのか」と執拗に聞かれた。根源を理解させ、二度と同じことを繰り返さないようにしないと、また説教する羽目になると思ってのことで、それは教育として正しいと今なら思えるが、子供の未熟な思考にはかなり堪えるものであった。何しろ学校では謝れば許してもらえるのだ。近所の子供もそうだ。怒られてる所すら見たことがなかったりもする。何故母だけがこんなに厳格なのか。もっと適当で良いじゃないか。私は運が悪いに違いない。良くない親に当たった。正直そう思うことが多かった。
そんな母を理解できるようになったのは高校に入ってからのことだった。入学してからしばらく経った時期に三者面談があり、それに母が出席した。担任はどうやら私が嫌いだったらしく、母にこう言った。
「娘さんは女の子なのに愛想がない。熱心に授業を受けてる感じがしないのに、成績だけは良くて感じが悪い。いつも無表情で黙ったままで何を考えてるか分からない」
こんな生徒だと思わなかった、と担任が吐き捨てるように言った。それを最後までしっかりと聞いた後、母はこう言った。
「それで娘は結局何の迷惑をかけたんですか?」
わお。ともう少しで口から出そうだった。担任は謝罪されると思い込んでいたのか、完全に固まっていた。それでもどうにか「いや、でも女の子だし」と言いかけては「女だからってなんですか?」と言い返せされ、「ノートも取らないし」と言いかけては「でも成績は問題ないんですよね?」と潰され、「無表情で黙ってるのは」と言いかけては「それで授業を妨害してますか?」と切り捨てられていた。
私はそれを真横で聞きながら笑ってしまった。私は担任が私をディスるのを聞いていた時、本当は居心地が悪かった。特に担任を好きな訳ではなかったが、やはり人に否定されるのは悲しかった。自分にコミュニケーション能力と集中力がないから、せめて成績は良くしておこうと思っていたのを責められて恥ずかしくもあった。けれど母は、そんな私の気持ちもいとも容易く吹っ飛ばした。
「娘は学歴取得の為に学校に通ってる。誰かに気に入られるために通ってなどいない。娘の何が悪いのか」
母にはきっと、私を守っている感覚なんてなかっただろう。あくまでこの合理的な考えの基に話していたに過ぎない。けれど私は嬉しかった。母の一言一言が、「目的を間違えるな」と教えてくれていた。「誰のことも気にしなくていい」と励ましてくれていた。「何も間違ってない」と認めてくれていた。
きっと母の考えは社会には合っていない。実際私はその後妙に開き直り、卒業後も職場で「仕事はしてる」「目的はなんですか」などと言ってしまい、キャンプはテントでするものと思い込んでいる人達とやたら衝突した。社会は私にとってどうでもいいことの為に動いていた。誰かの顔色、その場しのぎ、連帯感。誰もが本来の目的を口にしながらも、横目で皆が皆を見ながら足並みを揃えて見当違いの方向に向かっていく。それを仕事だのコミュニケーションだのと呼ぶのが社会だった。
そうやって私から離れていく人の背を見ながら、生きづらさを感じることも多々あったが、私はその度に母のことを思った。私よりも段違いに賢く合理的な母だから、きっと私よりも我慢のならない想いをしたことがあったろうと思う。そう思うと、何もかも大したことのないように思えた。何よりも、私は母に認められたままの私でいたかった。
だから私は断固として合理的に、目的を遂行できる私であろうとした。そうしているとチラホラと、互いに認め合える人が現れた。数は決して多くはない。けれどそんなのは問題じゃない。あの日三者面談で、母が担任を返り討ちにし、私を認めてくれたからこそ出会えた人達だ。あまり多くても大事にしきれない。
今でもあの三者面談の帰りに「なんなのあの先生」と吐き捨てた母の声を覚えている。そんな母もサンタはいると言い張っている。可愛らしいところもある。