チーズナンと私
東京駅で仕事を終え、始発だと電車で座れて嬉しいな、と思っていたのに、途中まで乗った所で停まってしまったのであった。人身事故らしい。
そのまま座って運転再開を待っても良いのだけれども、なんとなく降りて歩くことにした。時間も時間であるし、どこかで夕食を摂った方が効率が良い気がした。
予定を狂わされたことだし、多少甘やかされても良かろうと思い、インドカレーでチーズナンをこましてやるべく、前から気になっていた店に入った。そうして出てきたチーズナンのチーズの伸びやかさを見ながら、さっき亡くなった人はチーズナンを食べたことがあるのかな、と思った。人身事故=自殺と思ってしまうのは軽率であるし、亡くなったとも限らないのだが。
肥満児だった過去もあり、摂食障害を患ったことも相まって、食べるという行為が好きでもあり、また、嫌いでもある。毎分毎秒食べたいと思っているし、毎分毎秒食べたくないとも思っている。けれど基本的には食べるという行為は栄養摂取として必要なことであるから、自分自身に毎日「食べないよりは食べて良い」と言い聞かせて日々を送っている。そうして食べて、「もっと食べたい」と思いながら、同時に「もう食べるのをやめたい」とも思っている。自分でも食事が快楽なのか苦行なのか分からない。
しかしあまりにも美味しいものを食べると、「もっと食べたい」としか思えなくなることがある。後ひとくち、もうひとくち、と止まらなくなり、その時、私の中から色んなものが消える。肥満児だった過去も、摂食障害の辛さも、太ることへの恐怖も全て。そういう時、あぁまだ生きれるな、と思う。
そういう機会は多くないけれど、私を心底絶望させない程度には訪れる。ある時は地元ののパスタが、ある時は渋谷のラーメンが、ある時は新宿のホルモンが私を引きずりあげてきた。そしてまた私が沈む時も、「またあれを食べたら良いじゃない」と語りかけてくる。人に「頑張れ」と言われるよりも、余程救われる。
池袋のインドカレー屋でチーズナンを初めて食べた時、笑える程だった。こんな食べ物があるのか、と思ったらおかしかった。カレーにつけて食べるというのに、こんなにチーズ入ってたらカレー要らんだろ、しかもなんだこの量、食べ切れるか、そしてカロリーが怖過ぎるだろ、で、なんでこんなに美味しいんだ?
インド大陸ありがとう、インド人ありがとう、ゼロの発明もあれだけど、チーズナンがナマステですよ、とはち切れそうな腹で思い、それ以来何か自分を甘やかしたい時はインドカレー屋によく行く。ふかふかとした生地が不格好に千切れ、そこからチーズがだだ漏れになると、美しさと無縁なビジュアルにニヤけてしまう。そんな時、このチーズナンが美味しく感じなくなったら終わりだな、とも思う。
私にとってのチーズナンが、亡くなった人にはあっただろうか。何もなかったのだろうか。あっても無くなってしまったのだろうか。忘れてしまったのだろうか。
チーズナンごときで、とその人には思われそうだけど、チーズナンごときだから良い。ちょっと足を伸ばして数百円出せば救われるレベルのことで良いのだ。自分の苦しみは安いし、浅い。そう思っておけた方が良い。
ちなみに昨日の話。結局誰も死んでないってさ。