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答えのあるものと、答えのないもの。
先日、なんの気なしに数学のTVをみていたら衝撃を受けた。
中身がからっぽの箱が3つある。
そのABCの3つの箱の中に1つだけ賞品を入れ、どの箱に賞品がはいっているかあててもらう。
解答者がAと答えたあと、正解を発表するまえにBの箱はからっぽだというヒントがだされた。
解答者はAのままにしておくべきか?Cに変更すべきか?
NHKでパンサー尾形さんが数学のおもしろさをやさしくわかりやすく伝える番組なのだけど、今回のテーマは『確率論』だった。
ふつうに考えたら変更してもしなくても正解率はかわらなそうなものだけど、
この問いにたいしてアメリカのIQ228(世界ギネス記録)の女性人気タレントが「AからCに変更した方が、正解する確率が2倍以上になる」と答えたのだ。
にわかに信じがたかったけれど、番組スタッフが実際に賞品の場所を都度いれかえて「はじめの答えのまま」と「答えを変更する」でそれぞれ100回ずつ検証してみたら、ほんとうに「答えを変更する」方の正解率が2倍以上になった😂
数学から導きだされた確率は絶対なのだ。
私は決して得意ではないけれど、昔から数学となぞなぞが好きだ。
最後まで答えがわからなかったとしても、あれこれ悩み考えた先に答えを知ったときは「なるほど…!!!!!」となってたのしい。
確率論にしても、印象やイメージといったものがいかに脆弱か思い知らされては正しい数字の前に屈服するしかなく、それがまた気持ちよい。
30代のときに半年間だけ勉強したjava scriptは、的確な記述をしたらきちんと動作するのがパズルのようでたのしかったし、if構文なんかは数学の証明問題を解いているようだった。
一方で私の職業はデザイナーだ。
世の中の商品やサービスをよりよいものにみせるためにビジュアルを考え、そこに答えはない。
また、どの占いをみても私の生年月日はクリエイティブな職業が向いているとのことで、この“答えのない”職業が向いているのかもしれない。
この現象はもしかして、恋愛における
“人は自分にないものを求めては惹かれる”という感覚に近いのでは。
美術館も、自分が感覚的に好きな展示以外のものはどう解釈してよいかわからなくてたじろぐし、
映画のラストも“つづきは鑑賞者の想像に委ねる”系のものは「そんないじわるなこと言わないで真実をおしえてよ〜〜!」となってしまう。
なんでも答えを知りたがってしまう。
けれど、そんな私自身がいちばん感覚的に生きているのではないか…?
自分以外の人の内面は知るよしもないけれど、多くの人はもっと理論的に生きているとか…?
話が脱線してしまったが
答えのないものばかりと対峙しつづけているとこころが摩耗してしまうので、
好物である答えのあるものをバランスよく摂取しながら、自分の機嫌をとっておもしろおかしく生きていきたい。
〈こころの声〉
・とはいえ答えのないものもたのしめるようになって、もっと人生を味わい深くしたいなぁ😅
・さんざん答えがあるものが好きと書きつつ、感覚的にめっっっちゃ好き!!!というものはやっぱり大好物です😁 先日もポートレートのロケハンで、カメラマンさんが被写体の後ろにさりげなく地図をかませた写真を撮ってくれたのがあまりにも私好みすぎて「天才ですね!!!」と発狂した。
・これぞ!という傑作ななぞなぞあったらおしえてください。
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