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その人にあったスタイルで
今日は普通に子供の学校はお休み。Semester Breakというやつだそうです。でも他のカウンティも昨日の雪でお休みに変わったところがちらほらあった様子。2時間遅れになったと思えばお休みになったりと一体1月は普通の登校は何回したのだろうか。。。今年はなかなか不安定な日が続いている。
もともとお休みだったのだが、ボクがどえらい咳込みするもんで予定を変更してお家にいることになった本日。(私もちょっと喉がイガイガしてまずい)
お嬢は元気いっぱいだけど外はマイナスなもんで家で何をしようかと思い立ったら吉日。さーくるで一緒に活動しているお友達に「今日行ける?」と急遽頼んで日本語のレッスンをしてもらう。(毎回快く引き受けてくれて感謝しかない)お嬢は結構オンラインでお勉強することに抵抗なく、むしろいつも私がオンラインで友達と話たり打ち合わせしているのをみているからちょっと嬉しい様子。古いラップトップをあてがって楽しそうにクラスを受けている様子をドアの隙間からのぞいていました。
日本語を海外で学ぶって、本当にいろいろスタイルがあるなと思った。
日本語の補習校や保育園・幼稚園、継承センターなど意外にいろいろ存在する。
少し前の私は「私が日本人だから日本語を子供達も話せるように」とか「バイリンガル育児」とか考えた時に、自分では教育という点では我が子に教えるのは向いていないと知っているから、日本語の学校に!補習校に!みたいな感じで思っていた。日本の学校文化を経験させたい!とかね。日本の教育が受けられる学校=日本語を話すという概念でいたんだけど、金額も然り時間もいろいろな外付けの要因もあってなかなか本気で入りたい!という気持ちにまでならなかった私。そもそもお嬢は日本語を読むとか話すとかそういうレベルにも達していないがな笑
だけどさ、なんか今日オンラインで日本語を学ぶお嬢をみてさ、どこにゴールを設定しているのか?ってことなのかもしれん。日本に帰る予定がある、アメリカに定住しないという人、だから日本語を維持させておきたいと思っている人たちもいるし、日本語を流暢に話せて理解できるこの日本語をキープさせたいと思っている人もいるし、オンラインでクラスを受けている人、みんな目的が違うはず。子供に言わせればよ、オンラインであろうが学校に行こうが「日本語を学んでる」に変わりはないわけよ。
日本語をどこまで求めているのか?どこまでどうなってほしいのか?
私はぼやっと「日本の学校文化を経験させたい」とか「私が日本人だからバイリンガルに育って欲しい」とか「日本語学ぶといえば学校「みんなが入れているから」とか思っていたけど、ぼんやりすぎてて、じゃあその目的を果たすためには学校?、、、と考えるとモヤモヤ。それはさ、もちろん日本語を話してくれたら嬉しいし、話して理解してもらえたら楽しくなる、私が。だけど、きちんとした文法で、きちんとした言葉で、流暢に日本人と同じくらい話してほしい、、、とは思っていないのよ。日本語って奥深いじゃない。敬語、丁寧語、尊敬語、謙譲語やらなんやら私もわからん。最低限、困った時に意思疎通ができてある程度文字が読めればそれでいいと思っている。将来、子供たちが本気で日本語を学びたいと思えばその時にもっと必死にいろいろ勉強するだろう。私が英語を話したいと思ったみたいに。
と思ったら、ストイックになる必要もないのかと。
学校に行ってもオンラインクラスをとっても結局はお家でどれだけ頑張れているかどれだけサポートできているかが響く。辿り着く先は一緒なんだよな。
そう思ったら、私はね、学校に通わせなくてもいいやって思えたわけです。
私は我が子に教えるのは向いていない。
だからオンラインのクラスを受けてもらう。それでいいんだ。
日本語が話せることは楽しいと思っているその気持ちをゆるく応援したい。
日本語を学ぶ。
海外にいるとそのワードだけでたくさんの情報が入ってくる。
選択肢がたくさんあっていいと思う、悩んでいいと思う。
選択は自由だからどれを選んでもいい。絶対とかはないし、周りと同じでなくてもいいんです。それぞれに合うスタイルで学べばいいんです。
だってさ、私も頑張っているけど、一番頑張っているのは子供。
それだけは忘れてはいけない。
だから今日も頑張ったお嬢を褒めよう!