空師 ナウシカみたいな人に出会った話
先日のこと「空師」をご職業とされる方に出会いました。その方の佇まいや自然に対する謙虚さにとても心動かされて、自然を観る目が変わりそうです。
今回は、空師の方と一緒に里山を歩きながらお話したことや、感じたことを綴りたいと思います。
空師とは
空師とは「狭い敷地にある巨木を周りに迷惑をかけずに伐採する技術を持った人のこと」
神社、急傾斜地、商業施設などの重機が入れない場所で植栽の伐採や剪定、保存樹木を保護する為の作業等を行うスペシャリストです。
日本には30人ほどしかいないといわれています。アーボリストと呼ばれたりもするようです。
そうおっしゃっていたのが印象に残っています。
林業関係者も環境活動家も里山に住む村人も、とにかく木を切りたがる。チェンソーを振りかざしたい人が多いのだと。残念そうな横顔をされていました。
自然の力を信じるということ
環境保全というとき、人間はついつい自然に手を加えすぎてしまいます。
でも200年くらい放っておけばちゃんと豊かな森になっていくそうです。枯れた木は多くの生き物のマンション。木を這うツルは自然の間伐者。
こうした自然の力を信じて、ちょっとずつ森をひらいていくことが大切なのだとおしえてくれました。
環境保全、環境整備、環境改善、いろんな環境活動があるけれど、なかなか続いていかないのは、暮らしに根づいていないからだといいます。
里山というのは、もともと人間が暮らしのなかで手を加えて利用してきた二次的自然ですもんね。空師さんいわく、火のある暮らしからはじめるのがよいとのこと。
薪ストーブって、薪の樹種によってパチパチする音色がちがうらしいのです。音楽のようで心地よいよ~とお聞きして、ますます薪ストーブのある暮らしへの憧れが高まってゆくのでした。
乾いていく大地
空師さんと森をあるいていると、生きものたちの暮らしも身近に感じられます。たとえばイノシシのあそび場、ぬたばといわれるそうなのですが、湿った大地で転げまわって、体表についているダニなどを落とします。
このぬたばが今、全国的にどんどん見られなくなっているそうなのです。
それは大地の乾燥によるもの。地域温暖化、構造物による地下水の遮断、むやみやたらな開発など、原因は複雑に絡みあっているといいます。
空師の方は、木々の様子をみただけで、その木の、森の、健康状態がわかるそうで、本当に木と会話をしているみたいでした。
森に入るときも入ってよいかは森が教えてくれる。木を手入れするときも切ってよいかは木がおしえてくれる。そこには “畏れ" があるのだといいます。
自然に対する畏れや敬意や謙虚さを、いつから人間は忘れてしまったのでしょうか。東日本大震災、度重なる豪雨災害、土砂崩れなどが起こる度に、自然が人間に訴えかけているようにも感じます。
編集後記
頭でっかちになってはいけないなぁと思います。自然のなか、現場には、机上で頭に入れた知識よりも大事なメッセージがたくさん散りばめられている。
その奥深くて畏ろしくて美しい世界を小窓からのぞかせてもらえた今、もっと自分の身体を通して知りたい・わかりたいという気持ちが高まっています。
そういう人たちと共に過ごしてみたい。世界を観る目を養いたい。
近い未来、自然とともにある暮らしをしようと思っているのですが、私はどこへ向かっていくのだろうか。
形式知と実践知と暗黙知、鳥の眼と虫の眼、複眼をもって木も森も観れるような人に少しでも近づくことができたらと思いました。
参考
自然に寄り添いながら成熟する 森のなかのレジデンス,マンションと暮らせば by suumo,https://suumo.jp/library/article/entry/to_0004258280/(参照2023-03-26)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?