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上杉鷹山ゆかりの地を訪ねて【前編】
上杉鷹山ゆかりの地、山形県米沢市に先日ふらっと行ってきました。
上杉鷹山を知ったのは、とある研修の課題図書であった「小説上杉鷹山」(童門冬二:集英社文庫)でした。
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上杉鷹山は日向(宮崎県)高鍋藩主の二男として生まれ、数え年10歳にして米沢藩主上杉重定の養子となり、17歳で第9代米沢藩主となりました。
その当時の米沢藩は上杉謙信を祖とする名門藩とは言え、財政破綻状態で莫大借金を抱え返済に汲々とし、民衆の心もすさんだ状況。しかし、生涯の師と仰ぐ細井平洲からの薫陶、学びを受けつつ、旧守派の抵抗にあいながらも藩士・藩民の心をつかみ、粘り強く改革を断行、成功させていく。
米沢藩の名産品と言われるものを後代に残すような殖産興業にも心を尽くし、今だに名君と讃えられている人物。
また、内村鑑三の英文著作“Representative Men of Japan (日本語訳「代表的日本人」〔岩波文庫〕)にも西郷隆盛、二宮尊徳などとともに名をつられている人物。
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西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮上人が語られています。
上杉鷹山を理想の封建領主として論じています。
「封建制度の欠陥を乗り越える形で立憲制に移行したものの、その際に君主と家臣の信頼に基づく人間関係が薄れ、忠義や武士道、勇気や人情といったものが失われた。」(同書p53)
「もし封建制が完璧なかたちで現れるなら、理想的な政治形態と言えます」(同書p54)
と、論じているのは非常に興味深いです。
ジョン・F・ケネディ大統領が来日した際、「日本で最も尊敬する政治家は誰か?」との記者質問に、ケネディは「上杉鷹山」と答えたようで、日本人記者はウエスギヨウザン?とキョトンとしたという逸話が残っているようです。
上杉鷹山についてもうすこし知りたくなり関連本を購入。
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明治維新以降の「富国強兵」とは一線を画す思想が議論されています。
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名も無き下級武士たち動きが静かに語られている感じです。
そして、「上杉鷹山と米沢」という本には、鷹山ゆかりの地のガイドがあり、これは行かなきゃと思った次第です。
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今回の旅はこの本を見て回りました。
朝の米沢駅からスタート
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意外と寝ることができてゆっくりできてました。
まずは、青空の下ちょっと散歩しつつ上杉鷹山と生涯の師と仰いだ細井平洲再開の地、普門院へ。
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ちょうど田植えが終わったところか、水田がみずみずしい
始めの訪問地は普門院近くの羽黒神社。
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そして普門院へ。
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この石段も平洲先生、鷹山公も登ったのかと思うと感慨深いです。
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同じ像が平洲先生出身地の東海市の太田川駅前にあるそうです。
機会を得てそちらにも行ってみたいと思っています。
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その後、米沢市上杉博物館へ
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米沢城跡地前が公園となっており、その一角にある米沢市上杉博物館。
上杉博物館前の広場では鷹山公の銅像
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ケネディ元駐日大使のコメント碑もありました。
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上杉博物館では米沢市の歴史とともに、上杉鷹山の改革の展示コーナー(常設展)があり、分かりやすくその改革の道筋が展示され得ていました。
上杉鷹山の改革は財政立て直しだけではなく、①精神の改革、②産業の開発、③財政の再建と三本柱が有機的に絡んでいることが良く分かりました。
そして、精神の改革が初めに来ていることがポイントかとも思ました。
上杉鷹山が自分の後を継いだ新藩主の治広に君主の心構えとして説いたものに「伝国の辞」というものがあり、その一節に
「一、 国家人民の為に立たる君にして、君のために立たる物には無之侯」とあります。
国家とは上杉家を指しているのだろう。当時の大名にとって「国家」を瑕疵無く子孫に継承することは何より重要な事柄である。君主個人は「御家」の存続のためにこそ存在しているのだ。多くの大名はこのように意識していたに違いない。ところが、鷹山は「御家」(国家)のためにというにとどまらず、「人民」のためにも君主が存在するのだとあえて書き込んでいるのだ」
これは封建時代にあっては先進的(ある意味、反体制で過激)な考えだったのかもしれません。
そして、君主のこの心根から改革がスタートしているような気がします。
お昼は、「ミートピア」へ。
このレストランはお肉屋の「扇屋」の2階にあり、ビーフかつ定食を注文。さすが米沢牛の地。肉がうまい!
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名前もいい!ますます期待が膨らみます。
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お肉もお米もお味噌汁も、そして山菜もどれも美味しい!
地元の方々もこの定食を結構注文していましたので定番メニューようです。
午後は、いよいよ上杉神社へ。
【後編】に続きます。