その鼓動に耳をあてるために
先日、ドキュメンタリー映画「その鼓動に耳をあてよ」を観てきました。
ドキュメンタリー映画はあまりなじみがなかったのですが、とあるご縁を頂き観に行く事に。
「その鼓動に耳をあてよ」は東海テレビが手掛けるドキュメンタリー映画劇場第15弾。
東海テレビは2010年の「平成ジレンマ」を第1弾に、「ホームレス理事長」、「ヤクザと憲法」、「人生フルーツ」、「さよならテレビ」など、独自の視点で「ドキュメンタリーの題材にはタブーはない」の精神を忠実にかつ真摯にドキュメンタリー映画を作り続けています。
さて、映画は「断らないER(救急外来)」を掲げている名古屋市にある掖済会(エキサイカイ)病院の日常に密着。
救急車の受け入れが台数が年間約1万台と愛知県随一。24時間365日オープンして急患を受け入れているという。いろいろな病院に断られ、最後の砦として迎えている患者を運ぶ救急隊員もこの病気に辿り着いた時はホットした表情を浮かべている。
この病院は全国屈指の荷揚げ量を誇る名古屋港の近くに立地しており港湾関係で働く人もその界隈に多いこともあり、様々な症例の人々が担ぎ込まれている。
取材対象の医師は、「救急で何でも診るの「何でも」には社会的な問題も含まれている」と語る一方で、取材の時がコロナ感染のピークの時期でもありリアルな緊迫した時間をカメラが克明に追っています。
病院側も理念方針とはいえ、ある時はコロナ患者受け入れで病床は満員状態に。ついに「ない袖は振れない」事になり、現場で采配を振るうリーダー挌の医師は苦渋の選択で受け入れを断らざるをえない事態に。
しかし、若手は「それでもなんとかなったのでは」と独り言。その若手の思いを苦渋の選択をした医師が黙って見守っている。そしてまた直ぐに次の救急外来の電話が鳴り日々が進んでいく。
病院は特殊な場の印象がありましたが、今回のドキュメンタリーを観て、人が集まって何かを成し遂げようとする事であり、「組織の営み」として見れば、病院も企業もNPOも変わらないなあと改めて実感しました。
理念、目標、方針、計画、ライン(営業)とスタッフ(管理)、人の側面と仕事の側面、部下育成。。。
そんな会社のマネジメントの観点で映画を観るとまさに組織活動そのもの。しかも、人命に関わるため「今ココ」での瞬時の判断が求められる。判断の先送りはほぼできない厳しい状況に日々置かれている事を再認識しました。
救急医は幅広い知見、対応力が必要な一方で、より専門的な治療が必要な場合は専門医の対応、協力が必要。とはいえ、救急医と専門医の流れる時間が違うため同じ病気の中でもお互い微妙な関係に。
ふと、古典的なマネジメント理論ですが、チェスター・バーナードの「組織に三要件」というものを思い出しました。
(1)共通の目的があること
(2)協働の意欲があること
(3)コミュニケーションが良いこと
映画では、まさに「カオス」状態であっても、また急患を受け入れるとしんどくなることが分かっていても、「でもやっぱりうちはエキサイカイ病院だから」と言って、その状況であってもなおみな苦しい表情をしながらでも飛び込んでいく。
そこには何があるのだろうか。
「組織の三要件」は単純な話ではありますが、まさに「断らない救急」という一見シンプルではあるものの、短いフレーズの中に代々受け継がれた救急医のの心意気が凝縮され、一つにまとまることができる「共通の目的」としてみんなの心に沁みている感じがします。
さて、映画の「タイトル」もまた印象的です。
『その鼓動に耳をあてよ』
「その」鼓動とは「誰の」鼓動なんだろう。
「鼓動」とは「人」の心臓が脈打つ波動のことなんだろうか。
なぜ「耳を傾けよ」ではなく「耳をあてよ」なんだろうか。
なぜ「耳をあてて」ではなく「耳をあてよ」と命令形なのか。
誰の誰に対しての命令(行動を促す強い意思表明)なんだろか。
そんな問いを立てつつタイトルを味わってみると東海テレビ制作ドキュメンタリー映画の矜持が垣間見ることができるような気がしてきました。
救急医療現場で医師は患者の鼓動に耳あてる。
耳をあてるとは単に耳を「傾ける」のではなく、患者の生身の体の近づき、切れば血が流れる肌に触れること。そしてある医師が語る「診るとは病状だけではなく、社会的問題も含まれる」ことにも繋がるもの。
そこまで範囲を広げる事はさらに抱えるものが多くなるものの、少なくともその背景を感じ、認識しつつ患者に向き合うことで生身の人への関わり方が違ってくるのかもしれない。
ドキュメンタリー制作者も「耳を傾けている」のではなく、生身にの医師に、そして揺れ動く掖済会病院にぴったりと「耳をあてている」。
以前、職場の大先輩から「近づかないと近づけない」という言葉を頂いたことがあります。
当たり前の事と言えば当たり前の話のような、さらっと流してしまいがちな言葉ですが、本当に自分は近づきたい対象に自ら近づいているのか、考えされられました。
人の鼓動、社会の鼓動、自然の鼓動。
様々な鼓動に、2次情報、3次情報ではなく直接その肌に触れていく。
それはドキュメンタリー映画のアプローチということだけではなく、人の他者への関わり方の有り様の根本のような気がしました。
そして、映画のエンドロールには主に取材対象になった医師だけではなく、数多くの名前がクレジットタイトルに映し出されています。
おそらく救急外来のスタッフ全員の名前かと思います。そこは粋な計らいであり、まさに市井の一人一人の鼓動に耳をあてよ、と映画を見た人を鼓舞し続けているようでした。