貞観政要とサーフィン
「貞観政要」。
中国・唐の時代に呉兢が編纂したとされる太宗の言行録。
題名の「貞観」は太宗の在位の年号で、「政要」は「政治の要諦」という意味合いです。
その貞観という時代は治世がよく、稀に見る平和な時代が築かれており、君主と、臣下の強固な信頼関係にづく真剣な議論が鮮明に記録されています。
また、この中国・唐時代の「貞観」の世の政治のポイントをまとめた書物は、北条政子、徳川家康も愛読していたと言われています。
鎌倉時代、江戸時代の政権構築や組織維持の思想的バックボーンになっていたのではないかとも思われるくらい、なかなか考えさせられる書物です。
四書五経や故事などふんだんに取り入れられての問答が繰り広げられており、現代の組織運営にも大いにヒントになるもの。
最近、参加している読書会で、この「貞観政要」を読んでいます。
その中で、「舟」と「水」の問答がなんだか気になっています。
組織にいる人間として、「みんな同じ舟に乗っている」と思っていて、たまにそのように話すこともありますが、実はみんな同じ舟には乗っていなかった。。
君主や経営陣が物事を前にスイスイ進めることも、転覆させることも「水」の「力」があってのこと。
言われてみればごもっとも。
とは言え、その舟と水の関係は「理念」や「道理」などの原理原則に則り、どうやって「水」と親しみ、そして一方で迎合主義に陥ることなく、健全でかつ緊張感を持って転覆されないような関係性を結んでいくのだろうか。
どうやってスイスイ進む感じ、そして転覆する感じを得られるのだろうか?
舟と水。。
波と転覆。。
なぜだか「サーフィンじゃね?」と思いつく。
サーフィンならその関係性を「体感」できるのではないか。
ということで、ただ今現在、完璧に「おじさん図鑑」に収集される部族にいながらですが、この夏「いい歳」こいて生まれてはじめてサーフィンスクールに文字通り「飛び込んで」きました。
でも、「今」が自分にとってサーフィンを始める「いい歳」なのかも。
鎌倉のとある浜での体験入門。
子供クラスに混ぜてもらい、砂浜でロングボードの説明とパドリングとボードに立つテイクオフの練習を少々。
「はい。じゃやってみましょう。海に入ってやるのが一番」
えっ、もーすか?
と思う暇もなくずんずんコーチは海へ。
自分もつられてぐんぐん海へ。
「はい。じゃそこからパドリングでこっちきて」
これがなかなか上手く進まない。
そもそも海面の水はとっても不安定で(あたりまえなのですが)、ボード(舟)はぐらぐらするし、波も顔に当たるし、海「水」はとっても不親切だし、たまらず海中にドボンするし。。
でも、目線上げてある程度スピード上げた方が安定することに気づく。
ある程度の所でコーチにボードのテール(後ろの部分)をもってもらい、波が崩れるタイミングで話してもらいテイクオフ(ボードに乗る)の練習。
これまた面白いのですが、なかなか上手くボードに立てない、乗れない。
落っこちたら。。という怖さ
ボードの中心に乗れない感覚。
乗っては海にドボンの繰り返し。
初めから上手く行くとは思っていなかったけど、やっぱり海(水)は手強いなあ。
でも、となりでは子供達がキャッキャ言いながら楽しそうにボードに乗り、楽しそうに海に転がり落ちている。
そうだよなあ、「上手くやろう」として楽しんでいないなあ。
そんなこと感じてたら、コーチのアドバイスが飛んできた。
「上手く乗ろうとして(あ、見破られてる汗)ボードに目線が落ちてて顔上がってないよ」
「ボードに乗ったら、目線を上げて陸の風景をパノラマのように眺めてみて」
「とにかく乗れるんだという勇気と自信だよ」
「前、前、前を向く。目線を上げて前を向く」
技術的なポイントもいくつか教えて頂きながら、後ろから押してもらってではありますが、ちょっとはボードに乗って立ち上がり、前の風景を見る事ができるように。
海「水」と親しみ、目線を遠くに、お任せして岸まで運んでもらう。
そんな気持ちになることができればなあ思いました。
サーフィン、面白いかもです。
そして、組織運営を体験できるメタファーとしてはありなのではないか。
貞観政要からサーフィンへ、
ちょっとへんてこりんなルートではありますが舟と水の関係性を体感、実感を今後もして行きたいと思いました。
そうこうしているうちに、サーフィンと禅という関係で語られている本を発見。
自分(舟)と波(水)が調和して進んでいく感覚ってどんなものなんだろう。
最近は海に行っていませんでしたので、海に浸かって(ドボンして)水平線を眺めたり、砂浜で波をみているだけでもなんだかいい感じです。