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「時間の面影」|懐かしさについて

濱田英明さんの展示「時間の面影」に行った。
神戸での展示も見たから今回で2回目。神戸のときは書店のギャラリースペースだったが、今回はスタジオを一棟貸し切っての展示だから、また見え方も違う。
東京での展示はいわゆるホワイトキューブに近いスタジオで、時間帯によって、差し込む光が変わる。会場そのものも、展示の一部のようだった。

「時間の面影」は、文字どおり時間のうつろいを感じる「作品」が展示され、時間について考えさせられる。
そして、どの作品もどこか懐かしい。

展示会場にはあずまきよひこのマンガ『よつばと!』が置いてある。よつばの日常を描いたマンガで大好きな作品だ。
『よつばと!』(3巻)の帯に、今回の展示のヒントになる言葉がある。
「どこかで見た、どこにもない場所へ」
まさにこの言葉のように、濱田さんの展示は、知らない場所なのに、懐かしい場所へ連れて行ってくれる。

この不思議な感覚はなんだろう。

濱田さんは懐かしさについてこう言う。
「いまが懐かしいのは、常に未来の自分が過去という自分を見ているから」
濱田さんのこの言葉は、人が写真を撮る理由の答えのような気がする。
私たちは、誰しも「未来にいるもうひとりの自分」の視点を持っている。
この過ぎゆく変わらない日常が、二度と訪れないこと、いま一緒にいる人がいつかいなくなってしまうことを、どこかでわかっているから、写真に残そうとするのではないか。

個人的にはジブリの『耳をすませば』にも同じような懐かしさを感じる。
大学時代、友人たちと『耳をすませば』の舞台のモデルになっている聖蹟桜ヶ丘を巡った。これまで聖地巡礼をした作品なんて、『耳をすませば』くらいだ。それくらい、あの「懐かしさ」をこの目で確かめてみたかった。

宮崎駿監督は、『耳をすませば』で町を丹念に描いた理由についてこう語っている。
〈それというのも、自分たちが普通に住んでいるところというのは、得てしてとくに大事だと思われていない、と感じたからなんです。でも、そのありきたりの風景こそ、自分たちの記憶の中に、ある種の懐かしさを伴って残っていくものなんですよ。例えば、 コンビニエンスストアの風景なんかもね〉(『ジブリの教科書9 耳をすませば』)

「時間の面影」で展示されている作品も、日常のなかで通り過ぎてしまう景色ばかりだ。
濱田さんは、そんな通り過ぎてしまう一瞬に愛情をもって接し、そして捉え、私たちの記憶を呼び覚ましてくれた。

いまこの瞬間を見つめなおす、素晴らしい展示だった。

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