見出し画像

ゆっくりと

今入院している病院は、おおらかというか規則が緩いというか、午後の面会時間が長く、人数制限もありません。
コロナ禍以降、面会はかなり制限されてそのままの病院もあると聞きますが、ここはゆったりしています。
地域性もあるのかな。

向かいのおばあちゃんなどは、ほぼ毎日、娘さんかお嫁さんかご兄弟かご親戚かご近所さんかわかりませんがどなたか、週末には学生っぽい孫さんたちが変わるがわる、やってきます。
他の患者さんもほぼ毎日、ご家族のどなたかかが洗濯物を取りに来るので、病棟の洗濯機はいつも空いていて、私はとっても助かります。

昔お世話になった病院には3ヶ月スパンの入院を7回くらいしましたが、洗濯機がいつもフル稼働で、取り合うように早起きして洗濯に行ってました。
こちらは、日本全国から患者が来ているような病院だったので、洗濯は家族が・・というふうには、私を含め多くの患者さんができなかったのです。
そうできない人は業者さんに有料で頼むのですが、帰ってくる洗濯物がくしゃくしゃに縮んでいることが多かった・・・。


現在入院しているお部屋は4人部屋。
昔だったら、このスペースなら6台のベッドが入っていたでしょうか。そのくらい、個々のスペースがとても広い。
さらに、それぞれ一日中カーテンを閉め切ってプライバシーが確保されているので、同じ病室に入院している患者さんの顔を、私は見たことがありません。話もしません。患者同士の交流もありません。大部屋でも個室のようです。
話し声は聞こえてくるので、入院背景はなんとなくわかってしまいますが、ご挨拶すらしていません。

昔は、ベッドとベッドの間が狭くてぎゅうぎゅう詰。カーテンは処置中か夜しか閉めなかった。
入院する日はいつも母が、ボックスティッシュとかペットボトルのお茶などを5〜6個、個包装したものを携えてきて、同室の患者さんに「よろしくお願いします」と配ったものでした。新参のご挨拶です。

患者さんどうしの交流があってそれはそれで当時は楽しかったです。同室の患者さんや、洗面所や食堂で一緒になった患者さんと話をするようになり、入院生活のいろいろなことを教えてもらったりしました。
夕食後から就寝まで、一緒にテレビを見たり、お互いの病状や家族のことを話したりして、とにかくよくしゃべった!
どうでもいいことをずっと話して、束の間、嫌なことや痛いことを忘れたのです。当時の私から見たら母や叔母や祖母くらい年齢の違う患者さんたちでしたが、みんな同じ病気、同じ手術を受けにやってきていて、分かり合える同志でした。

「じゃあ、行ってくるね」
先に入院していた同室の患者さんが、そういってストレッチャーに乗せられて、手術室へと次々に送られていきました。そして自分も順番が回ってきて同じ道を辿ります。そのあと何ヶ月かリハビリをやりました。

今は、回復のスピードがだいぶ早くなったようです。埋め込む人工物も術式も変わったんだそうです。「昔とは違いますよ」と先生。
だから、今回は早く帰れるかもです。


投稿で応援してくださった川崎とーちゃんさま
((とーちゃんさまにはマガジンにも加えていただきました。ありがとうございます))

日々樹さん((テツがとってもお利口になって出演させてもらいました。noteの上でマフオくんという兄弟もできました))

そして、多くの方のコメントとスキを、どうもありがとうございます。それがいちばんの応援でした。嬉しかったです。

はじめの頃はベッドの上で地団駄を踏むような思いでしたが、たくさんの自由時間が棚から転がり落ちて、毎日noteを読みにいって、それはあっという間でした。


最後まで読んでくださってどうもありがとうございました!