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茨城県畜産センターのフォルテという牛のこと

2、3日すると痛みはかなり引いて、両足をついてベッドから車椅子、トイレへと移乗もできるようになりました。ちょっとなら体重もかけられそう。
(こりゃ、このままいけば骨はくっついて、何もせずに退院できるのでは?)という期待を込めて、笑顔でそのことを先生に話すと逆に「足をついてはダメ!」(体重かけるな)と言い渡されました。

下肢免荷

それを下肢免荷というんだそうです。
「今は折れてるところが絶妙なバランスで負担が少ないのでしょうが、何かの弾みで骨折箇所がずれたら、かなり痛いですよ」
人によっては、ひどい痛みで足をつくどころか寝返りすら打てず、鎮痛剤漬けになるって看護師さんに聞きました。
それは、自分でトイレに行けないご飯も食べられないの寝たきり。

でも人間は同じ人間に治療してもらえて生かしてもらえます。役に立たなくなったからといってもとりあえず殺処分はされません(今の政治や社会のままでは、いつか障害者は殺処分されそうで怖いですけど)。

今、「下肢免荷」というワードから、フォルテという牛の話を思い出しています。虐待された牛です。今年初め頃に標題の施設が内部告発を受け、複数の動物保護団体から刑事告発されました。
下書きに寝かせてあったので、この溢れる時間を使って、今回、フォルテのことを書いてみようと思います。

フォルテ

フォルテは足を傷めていました。『跛行』という症状です。
コンクリートの固い床や清掃の行き届かない糞尿まみれの床などで飼われている牛に起こりやすい足の病気で、「跛行」は虐待であるとも言われます。
フォルテが暮らした床には多少の敷材もあったようですが、掃除の不備でカチカチに固まったようになっていました。

足を痛そうに引きずり、獣医がテープを巻いて治療しても、その部位は、すぐに糞尿まみれになって傷は悪化の一途をたどります。
足が痛くて、立ったり座ったりができない。一度座れば、次に立ち上がる時、痛みで立てなくなるため長いこと立ったまま。立ったままでも痛むから、どうにか脚を庇いながら横臥するー。

施設の中では搾乳されたり運動場に出されたり、搾乳場所までの移動や獣医師の治療で保定されに行く時、そういう移動の度にある少しの段差も、足が痛くて乗り越えるのになかなか足が踏み出せない。
まるで(痛くないかな)と躊躇しているかのように、かすかに足を上げようとしたりやめたりして前進するのを迷います。

動かないでいると、職員にスコップや棒で痛む足を打たれます。痛い場所を打たれるのです。打たれないよう、フォルテは痛む足を急いで持ち上げる。痛かったと思います。
特に保定される金属の枠に入れられると、逆に動かないよう頭も縛られて、恐怖で身をよじろうとすると職員に顔を叩かれ押さえつけられ、フォルテは涙を流していたのだそうです。

ご飯を食べに行きたくても、足が痛みでその場所まで歩いて行けない。ご飯を食べに行く仲間の牛たちを羨ましそうに見送ります。
床が固くて足が痛むから、糞尿まみれになっても少しは座りやすい通路の端で休む。
牛のフォルテは、痛い足が少しでも楽になるよう、与えられた空間の中、自分にできる工夫で足を労っていたのではないでしょうか。

このフォルテのことを知った時、自分の膝が痛かったことが思い出されました。トイレでも、ベッドでも、少しの段差でも、動かすと膝が痛くて、曲げようかどうしようか、1、2の3と何度も気合を入れ、それでも動けず、何分も何十分もそこで躊躇し、やっと心を決めてえいや!と動いてみると、(あわわわ)するほど痛い。そういう事をフォルテもしていたのかなぁと。

人は動けなくなってもおしも世話をしてもらえます。でもフォルテは人間に掃除してもらわない限り糞尿まみれ。傷があってもうんこがべったり。ハエにもたかられます。
それでも、言葉を持たない牛だから、従順で攻撃性のない生き物だから、なされるがまま。
本来人間は、こういう弱い生き物に優しくするものと、それが当たり前だと思っていたので、大人の人間が寄ってたかって無抵抗の動物を苦しめる、そういう職場があり、それが税金で行われていることに衝撃を受けました。

以下は刑事告発した団体のサイトです。フォルテについて内部告発者の手記全文掲載のリンクもあります。 

フォルテはすでに屠畜されています。それまでの歳月を痛みに苦しみ、うんこまみれの牛舎の中で、人間の指示通りに動くことができない為に叩かれ続けたのでしょうか。
乳牛のフォルテは牛乳という商品のためにお乳を出し続けねばならず、跛行で足が痛む間も妊娠させられていました。


ハーモニカ

ハーモニカは、同センターで不適切な胃液採取を繰り返された子です。
白衣を着た人間たちに取り押さえられ、苦しくても身動きが取れない中、鼻の穴から潤滑剤なしで、何度も管を抜き差しされ、それでも胃液が取れず、今度は口からホースのようなチューブを突っ込まれます。

鼻血が出て、涎が溢れて、苦痛に身をよじるけれど、誰かが助けるどころか大人の人間の男、数人に押さえつけられて、どれほど苦しかったかと思います。

自分の中で似たような経験を探すと、麻酔なしの胃カメラが思い出されまが、ハーモニカが受けたことに比べれば屁でもない。
ハーモニカは、意識ある中拘束され、このような実験を繰り返されて、牛舎の不衛生ゆえの感染症で3歳で亡くなります。

ハーモニカのことは動画付きで以下サイトに記事があがっています。

目を覆うような光景です。
この人たちは、専門性を持って仕事をする、教育を受けた立派な人間の大人のはずですが、よく映画に出てくる、人間を人体実験する怖い宇宙人のようです。このような所業が常態化しているなら、ちょっと異常な職場です。

刑事告発と警察署の受理は今年上半期の出来事です。
今、この施設に生きる牛たちの環境が改善されたかどうかは、どこを検索しても出てきません。


おわりに

痛い。歩けない。ぶらぶらになった後ろ足を引きずり、前足でいざる猫や犬。横臥して立てなくなった牛や馬、狭いケージの中で身動き取れないまま一生を過ごす豚。
このような動物のことが気になるのは、自分と重ね合わせてしまうからでしょうか。歳を重ねるごとに気になって気になって仕方ありません。ベッドにいてもSNSを追いかけてしまう。

障害を負うと人間は保護されます、殺されはしません。動物もそうであってほしい。障害や病を負ったが故に、さらに虐待されるようなことがなくなればいい、特に畜産動物は本来の寿命を全うする前に屠畜されてしまうのですから。

以下に、公正な動物愛護法改正を求める署名サイトを貼ります。
利潤追求、経済第一で回っているこの世界ですが、多くの人が動物の命と魂を省み、事実を知り、法改正によって良い方へ動くことを願います。

「国の偉大さや道徳的発展の程度は、その国の動物の扱い方で判断できる:The greatness of nation and its moral progress can be judged by the way its animal are treated.」

あちこちの動物関連のページで見かけるガンジーの言葉ですが、私も最後に引用してみました。生き物の命と魂を軽んじれば、いつか私たちに跳ね返ってくるのではないかと思います。

今日まで動物愛護週間。こういう名前の期間を設ける必要ってなんなんだろう。
下肢免荷で2週間は手術できず、日々考え事ばっかりです。

最後まで読んでくださってどうもありがとうございました!