大丈夫、きっと大丈夫
おかげさまで、リハビリは少しずつ手応えを感じています。見ていて下さっている方、どうもありがとうございます。もうだいたい大丈夫と思ふ。
イマイチ、という日が続きましたが、ある日、(あれ? おや? なんか今日、軽い、パンパンの足に緩みが出て、ちゃんと手術した方の足に体重かけていられてる!)と感じる日が、確実に出てくるようになったのです。
PTで歩行器から杖に変わって10メートル、歩き方を修正されてさらに10メートル、再度修正されて10メートル・・・(今日は40メートル行った!)。
OTでは模擬キッチンで横移動の練習、模擬ユニットバスでの入浴動作の練習、家に唯一ある数センチの段差を想定した超え方の練習、など日常生活に戻った時のフォロー。杖で痛めた右肩のホットパックなど着実に前進している感があります。
そんなある日、お向かいのベッドのお婆さんが転院することになりました。私の前日に同じ手術をした方で、年齢は93歳! 90を超えてあの手術を受けてここまで回復したのか!と舌を巻きます。すごい!
先生の「90歳の人がする骨折」という言葉を思い出し、リハビリの進み具合はこのお婆ちゃんとだいたい同じだわ・・・などと思っていました。
とてもしっかりした方で、看護師さん、看護助手さん、リハビリの先生方、お掃除の方に声をかけて、自分の要望を伝えていました。
「わるかったね」。「ありがとね」。「親切だねぇ」。
お婆さんはスタッフのお世話にいちいちお礼を言い、スタッフもまた、このお婆さんには大きな声で噛み砕いて説明し、コミュニケーションがしっかり取れているようでした。
どの病室でも、夜昼いつでもカーテンをかけたままで患者同士のコミュニケーションはほとんどない中、お婆さんは、昼間はカーテンを開けておいてくださいと言って、カーテンで一人締め切られてしまうことを拒んでいた人でした。寝ているベッドの前を誰が通ろうが、お構いなし。
お婆さんのリハビリは、「自分で歩行器につかまって歩いてトイレに行く」ところまで仕上がっていました。しかし高齢ゆえ、必ずナースコールして付き添ってもらうようにと言い渡されていました。
「一人で行ってはダメですよ。転んだら大変」
「はいよ。呼べばいいんだね」
「これ、ここを押してくださいね」
いつでも何度でもナースコールを確認をしていて、微笑ましかった。
転院が決まるとお婆さんは看護師さんに、温泉病院(転院先の回復期専門のリハビリ病院)はどんなところかなと聞いているのが聞こえてきました。
「大丈夫ですよ。ここと変わらないから」
「そうかい?」
「知らないところに行くのは不安よね。どんなことが不安ですか?」
「・・・」
「大丈夫よ、みんな優しいから」
PTの先生、OTの先生、看護師さん達、助手さんたち、誰からも、「転院してもがんばって、転ばないで」と、声をかけられ、「ありがとね。お世話になったね」と答えていたお婆さん。
☆ ☆ ☆
転院の日の朝。
お婆さんは娘さんご夫婦のような方々が迎えにきて、慌ただしく身支度を整え、荷物をまとめ、会計待ちしていました。
手持ち無沙汰な様子でベッドのヘリにちょぼんと座っている姿が隙間から見えます。
お婆さんは言います。
「なんで違うところに行くの? あの人は退院するって言ってるよ? うちに帰ってデイサービスに行きたい」
そばの娘さんらしい人に聞いています。その方も70代くらいでしょうか。
「若い人とばあちゃんは違うんだよ。今ばあちゃんに帰られても、私が壊れちゃう。もうちょっとでいいから入院してリハビリしてきて。ちょっとだから」
お婆さんが言う「あの人」とは、「若い人」ではないけど私のことだと思いました。少し前に話をしたのです。
「転院されるんですね」
「そうなんですよ。塩原。あんたは?」
「私はもう少ししてから家に帰ります。転院はしないかな」
「そうですか、塩原は行かないの」
同じ時期に同じ手術で同じ経過を辿って、転院しないで退院するつもりの私を、なんとも言えない顔で見ていました。
90を過ぎて、大学病院から山奥にある温泉病院へ。
脳血管障害や怪我などで急性期を過ぎて症状が安定し、しかし家に帰ることがまだ難しい、そんな患者さんのリハビリを、主に行うところだと思います。
そこは、いくつものヘアピンカーブを登った先、温泉街から少し外れた場所にあって、この辺りよりももう少し寒いところです。これから冬になり、雪が降ると観光客も減り、寂しいところになります。
人工股関節を入れたばかりの未だ足元が不安定な93歳のお婆さん。家に帰るのではなく、また別の病院へこれから行くのだなと思うと、戦中戦後をくぐり抜けた人生の大ベテランだとしても、不安で寂しいだろうなぁと思いました。
「さて、行きましょうか」
突然、リハビリの先生が声をかけてきたのでびっくりしました。えぇ? 今日はこんな早いの?(ここはリハビリの時間が日々、まちまちなのです。)
それで、えいやっとカーテンを開け放ち、向かいのベッドに座るお婆さんに声をかけました。
「お世話になりました。転院してもがんばって! 風邪ひかないでね」
「ありがとね。あんたもね」
よそ行きに着替えたお婆さんは、笑って手を振ります。
私も手を振ります。
束の間の会話の後、私は先生に車イスごと押し出されて下のリハ室に向かっていました。
☆ ☆ ☆
入院していると、ちょっとすれ違う程度なのに、心残りのように胸に引っかかる人がいます。本当にいろんな人と、病床で出会ってきました。
もちろん連絡先を交換して、以来30年とか20年とか、付き合いを続けている人も何人もいますが、大概は一期一会。
カーテンを閉めたままにせず、もっと向かいのお婆さんと話をすればよかった。温泉病院は、いいところですよ。じっくり温泉に浸かって、手厚いリハビリをやってもらって、患者さん同士でお話しする機会もあるし、なんの不安もないと思いますよ。
そう言ってあげればよかった。
私も30年くらい昔、大学病院で、もうできることは何もないからリハビリでもしてみたら?と転院を提案され、その突き放すような物言いに絶望しながら、不安でいっぱいで抜け殻みたいになって遠い静岡の温泉病院に転院した経験があるのです。
でもそこは、私の人生の新しい出発点になりました。
約1年後に退院する時、できなくなったものは仕方がない、自分にできることをやってみようと希望でいっぱいだった。手術とリハビリと温泉三昧、病気や障害のことをよく理解して下さっている医療者の方々や同病患者さんたちの励ましや交流が、大学病院では望むべくもなかった素晴らしい成果を、体にもたらしたのです。
あの時は20代。93歳の大先輩に何を言えるだろうとも思いますが、「大丈夫、きっと大丈夫」と、ただそれだけを言ってあげたかった。
お婆さんの出発を見送るどころか、急いでリハビリに向かうことになった私は、なんとなく社交辞令的な会話でお別れになってしまった朝のことを、その夜、思い返していました。
この同じ夜を、新しい慣れない環境で迎えただろうかと、心細さを想像しながら。
でもあの方はコミュ力すごいから、向こうでもきっとすぐに愛され婆ちゃんになっていると思います。