インターネットの‟深い考察”で自分の「コンテンツへの愛」を疑わないでくれ
これを読み始めたオタクのみんな!君たちにはハマっているコンテンツが何かあるかな?私は「シャニマス」が大好き!
ところでみんなは、Twitterとかのインターネットで物凄く深い考察を読んで、「私はこんなにすごい考察ができないし『愛』が足りないのかなぁ」とか思ったりしたことないかな?私はいっぱいあったよ!これからの文章はそういうことを感じた人に読んでもらいたいんだ!あと、もしよかったら「シャニマス」をプレイしてみてね!
アイドルマスターシャイニーカラーズというコンテンツは、これまで出会ったどのコンテンツよりも素晴らしく、そしてこれから出会うどのコンテンツもこれを越すことはできないだろうという絶対的な確信が私にはある。
しかし私は、シャニマスへの思いをこじらせて、自分の「愛」に対して不信感を抱き、前に進むこともできず、遂にはシャニマスというコンテンツから段々と置いてきぼりを食らうように感じてしまっていた。
これから私が書こうとするものは、これに対して完全なる解決策を導いていくものではなく、「なんとなく、まあこんな感じでもいいよね」という落とし所まで持っていくものだ。先に言ってしまうと、その落とし所というのは「マイペースにやる」というものだ。
人によってはこれを「逃げ」と評する人もいるかもしれないが、気にすることはない。もし似たようなことを感じていた人がいたならば、「こういうのもアリだよね」と思って大丈夫。少なくとも私はあなたと同じ考えで仲間だ。
アイドルマスターシャイニーカラーズというゲームは「かわいい女の子がたくさん出てきて愛でたりムフフなことを楽しむだけ」に思われるが、その実、非常に奥深いシナリオが大きな魅力の一つであり、主にその点で多くの人々を魅了し続けている。
どのくらいシナリオに力を入れているかというと、すべてのアイドルひとりひとりに担当のシナリオライターがいる(現在23名)。そのため「公式の解釈違い」が起こりうることがないどころか、とても細かいキャラクターの造形がなされているために、プレイヤーの我々は未だ彼女たちの底を知ることができていない。
もちろんシナリオだけではなく、シナリオに対して100%の魅力を引き出す絵を描かれているイラストレーターや、3DCGモデルよりも複雑な演技を演じさせることのできる2Dモーションの方や声優の方など、全てのクリエイターの協力でここまで人気になったのは言うまでもない。
さて、そんなシャニマスだが、先も述べた通り豊富なシナリオライターがいる。そしてその全員が優秀なシナリオライターであるため、複雑で難解なシナリオが自然と多くなってくる。(ここでの「複雑で難解」は、「意味が分かりにくく読みづらい文章」ではなく「行間を読むこと(解釈)が難しい」である。)
「行間を読む」とは、すなわち「考察」である。そのためシャニマスは昔から考察が活発で今でも様々な方向からたくさん考察されてきている。
私にはそのような考察はできなかった。行間を読むことが苦手なのだ。幼いころから読んできた本の数はお世辞にも多いとは言えもしないし、そもそもシャニマスのシナリオをほぼ完全に理解するほどの教養をまず持ち合わせていなかったため、行間を読む以前の問題でもあった。
正直なところ、シャニマスをプレイしているだけだったならば、私が陥ってしまったようなことにはならなかっただろう。しかし私はインターネットに散らばっているたくさんの素晴らしい考察たちを読んでしまったのだ。
勘違いして欲しくないのは、考察を読むこと(更には書くこと)自体は全く悪いことではないんだということである。ただ、私は考察を読んだら悪影響が出てしまったよということだ。
インターネットは素晴らしい。遠く離れた顔も本名も知らない人の考えをすぐに知ることができるし、さらには意見を交わすことだって簡単になった。昔とは明らかに違う情報量の中で生きている。
しかしながら、インターネットは広く、数え切れないほどの人がいる。それはもう、ものすごい人数がいるので自分よりもすごい考えの持ち主は勿論たくさんいる。
その中で私は自分のできない、深い考察に対して自分の中にある考えの稚拙さに呆れ、失望してしまい、自分が嫌になってしまった。
その結果、私の身に何が起きたかというと、今までの自分のシャニマスをプレイしてきた経験を信用することができなくなり、新しく更新されるシャニマスのコンテンツに触れることができなくなってしまったのだ。(シャニマスには緩やかな時の流れがあり、リリース時期が遅ければ遅いほど以前のシナリオの要素を細やかに織り交ぜてくる。彼や彼女たちは成長し続けているのだ。)
私は既にここ数ヶ月間更新され続けているイベントシナリオに触れることが未だにできていない。GRAD編も未プレイ。新アイドルのノクチルは全員やりました。
この状態を私は長い間改善することはできなかったが、最近は少しずつ快方に向かってきているように感じる。何をしたかというと、かなり単純なことだが「インターネットを見ない」ようにした。
とはいえこの時代に全くインターネットに触れずに生活するのは至難の業である。できるだけシャニマスの話題を公式以外の情報はシャットアウトすることにしたのだ(二次創作は見たり見なかったりする)。そう決めてからは明らかにTwitterを開く時間が急激に減った。
インターネットは上に書いていた様に素晴らしい点がいくつもあるが、自分のペースでゆったりと何かをすることに対しては少なからず弊害は生じていそうではある。
絵を描き始めたけどTwitterでたくさんの絵がうまい同世代の人たちを見て心が折れる中高生の話とかをたまに聞く。こういう例は極論、インターネットがなければほとんど生まれることがなかっただろう。
まあ、自分のシャニマスの例では「サービス開始からやっているのに……」という無意識のうちに生まれていた自負がいつの間にか自分にプレッシャーをかけていた、とか別の理由もあるかもしれないのだが。
長いこと他人の考察を全く見なくなってから、自分の心境に変化が生まれた。私がシャニマスをやる理由は「他人と話を合わせるためでも競るためでもなく、ただただシャニマスというコンテンツ自体を楽しむため」というごく単純な結論だった。
正直この結論に達した時、私は自分のことを結構恥じた。私は自分の年齢に対してはかなり長い年月をインターネットに張り付いて生活してきたが、今更こんなことに気付くなんてまるで最近インターネットを始めた初心者かのように思えてきたからだ。ここ数年Twitterのタイムラインを眺めることしかしていなかったからなのだろうか……。
過程はどうあれ、私は「自分が、自分のペースで一番シャニマスを楽しめる遊び方」をしようという結論に至った。このnoteを書き始めた日に、283プロ初期アイドルの16人分のGRADシナリオが追加されたが、焦る必要はない。私は私が納得がいくまで過去のシナリオを読み返し、もういいかなと思えた時にGRADシナリオを始めようと思う。それがいつになろうと構いはしない。これこそが私の一番シャニマスを楽しめる方法なのだから。
「愛」という曖昧な言い方をしていたけれど、「愛」なんて「深い考察が出来た方が良い」「課金額が多い方が偉い」などの他人との比較で計れるものではなく、自分自身の「愛」の大きさを自分の中だけで完結し、納得させていくしかないのだ。
これが私の結論でした。正直この話を公開することで私は恥ずかしい思いしかしないのだが、それでも公開しよう。もし私と同じような思いで悩み、コンテンツを思う自分の気持ちが嫌になりそうな人がこの結論にまだ達することができていなかったなら、是非とも参考にしてもらいたい。勿論、「こんな結論ありえねー!」と一蹴してもらっても全然構わない。
こんなことで悩んでいる人、自分以外には誰もいないのかもしれない。でも、まあ、いると思います。だってインターネットは広く、ものすごい人数がいるんだから。
ところで、実は私もシャニマスの考察記事は1度書いたことがあった。解釈する力が無いのに、考察を書きたいと思った結果生まれた歪な記事である。自分ではそれなりに気に入っているので、シャニマスをやっている方は是非。