宿題のあり方が変わる!? 5年以内に起こる変化を先取りしよう!
宿題といえばどんな内容を思い浮かべますか?
漢字ドリル○ページ、計算ドリル○ページ、漢字ノート1ページ、算数のプリント、社会のノートまとめ、音読…
このような宿題を明確な意図をもって出している先生方は少ないと思います。
(私も以前はそうでした…。)
とりあえず学年×10分で終わる量を出しておこうと。
ある程度教師経験を積むと、宿題の意図を考えるようになります。
私は「家庭学習の習慣をつけるため」と考え、出していました。
6年生担任をした際は、自主学習ノートや日記にも取り組ませていました。
しかし、自主学習ノートも日記も、一部の元々自分で勉強できる力のある子にしか効果がありませんでした。
現在は、漢字ノートを1ページ取り組ませています。
これは「家庭学習の習慣をつけるため」「漢字の小テストのため」という意図があります。
でも、どこか心の中でモヤモヤしています。(本当にこの宿題で良いのかと)
さて、教師はあれこれ考えていますが、子どもたちはどのように考えているのでしょうか?
おそらく、教師から出されたものを喜んで取り組む児童はほんのひと握りしかいないでしょう。
教師は「家庭学習の習慣をつけてもらいたい」と思っていても、子どもたちは宿題がなくなったら、ほぼ100%何も勉強しないと思います。
なぜなら、やらされる勉強はつまらないからです。
自分でやる意味が見出せないからです。
当たり前です。
「家庭学習の習慣をつけてもらいたい」というのは教師のエゴです。
身につくはずがありません。そこで身についたなら、義務教育を通った大人は皆、勤勉です。
でも実際、皆が皆、勤勉ではない。
受け身な人ばかり。言われたことはやるけどそれ以上はできない。
思考停止受注型量産人間。
反対に、自分で決めた宿題や課題ならどうか?
去年受け持った6年生にステキな子がいました。
4月に二日しか登校してないのにすぐに臨時休校。2ヶ月も。
その2日間のうち、私はどちらも宿題で日記を出しました。
どの子も最初なので書いてきます。
しかし、臨時休校中は書かなくてもしょうがないと思っていました。
ですが、一人だけ違いました。
休校中に電話連絡で何か不安はないかと聞いたところ、その子はぽつりと私にこう聞いたのです。
「先生、日記は続けてもいいですか?」と。
私は「も、もちろん!楽しみにしているね。」と返事するのがやっとでした。
その子は毎日欠かさず書いてきました。
しかも、卒業するまで毎日。土日も。
自分で毎日書く!と決めていたそうです。
子どもは、自分で決めたことはとことんやり抜く力があるのだなと驚かされました。
宿題というのはほとんど意味の無さないものです。
だが、子どもが自分で決め、取り組んだことには大いに価値があります。
そこには主体性があり、自分を調整する能力が育つからです。
本来、宿題もこのような役割があって然るべきです。
今後、宿題も全員一律なものではなく、AIによって個別最適化されたものをタブレットから与えられるでしょう。
一人一人に合ったものという点では優れていますが、結局は与えられたという点では変わっていないです。
自分で課題を見つけていないから。
自分で自分の苦手や成長をコントロールできなければ、ただのロボットではないでしょうか。
そんな未来を危惧して、目の前の子どもたちにはなんとかして自己調整力を身に付けさせたい。できれば勉強に慣れ親しんできた小学2年生から。
そこで出会ったのが「けテぶれ」です。
子どもたちは必ず変わるというマインドにさせてくれる本。
この本の実践を参考に、目の前の子どもたちが自分で成長できるようにサポートしていきます。
良い実践は必ず広まる。
5年後には、確実に宿題のあり方は変わっているでしょう。