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Y・N・ハラリ「ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来」を要約する
1. 人類が克服した災厄
飢饉や疫病や戦争が減ってきているとしたら、人類が取り組むべきことのリストで、何かが必ずそれらに取って代わるだろう。それがいったい何になるのか、入念に考えてみる必要がある。そうしないと、旧来の戦場で完勝しても、まったく新しい戦線に立たされて面食らうことになるだろう。それでは二一世紀に、人類の課題リストの上位では、いったいどのようなプロジェクトが飢催と疫病と戦争の対策と入れ替わるのだろうか?
p.51[第1章 人類が新たに取り組むべきこと]
20世紀以前の歴史は、飢餓、伝染病、そして戦争との闘いであった。人々が宗教に深く依存したのも、人智を超えた災難が頻繁に起こったからであろう。20世紀以降、テクノロジーの進歩により、人々はようやくこれらの問題に対処することができるようになった。農業の発展によって飢餓を、医療の進歩によって伝染病を、そして核兵器の抑止力によって戦争を克服してきたのである。
飢餓:1692年から1694年、フランスでは全人口の約15%(約280万人)が飢餓で亡くなり、続いてエストニア、フィンランド、スコットランドも1695年から1698年にかけて深刻な飢饉に見舞われ、それぞれの国で人口の大きな割合が犠牲になった。一方で、2010年には飢饉と栄養不良で亡くなった人の数が約100万人に対して、肥満による死亡者数は300万人以上だった。2014年には世界の肥満人口が22億人を超え、栄養不良の人は8億5000万人。2030年には成人のほぼ半数が肥満になる可能性がある。
伝染病:1330年代に東アジアまたは中央アジアで始まった黒死病が、アジア、ヨーロッパ、北アフリカに広がり、約7500万から2億人が死亡した。1520-1527年にメキシコと中南米で起きた天然痘流行では最大800万人が犠牲に。18世紀ヨーロッパでは年間約40万人が天然痘で死亡し、19世紀にはエチオピアとスーダンで6回の流行があった。しかし、最近数十年で感染症の発生と影響は劇的に減少し、世界の小児死亡率は史上最低になり、先進国ではその割合は1%未満。これは20世紀の医療進歩、予防接種、抗生物質、衛生状態の向上、高度な医療インフラの成果である。
戦争:多くの地域で、戦争はかつてないほどまれになった。古代の農耕社会では、死因の約15%が人間の暴力によるものだった。しかし、20世紀には暴力による死亡は死因の5%に過ぎなかった。そして、22世紀初頭の現在では、全世界の死亡率の中で暴力によるものは約1%に減少している。2012年には世界中で約5,600万人が亡くなり、そのうち暴力が原因の死者は62万人であった(戦争による死者12万人、犯罪の犠牲者50万人)。一方、自殺による死者は80万人、糖尿病で亡くなった人は150万人に上った。
そして、21世紀に入り、ファクトリーオートメーション、インターネット産業、そしてAIの台頭により、経済は劇的に変化している。この急速な変化の中で、私たちが目指すべきものは何か?ユヴァル・ノア・ハラリは彼の著書で、この大きな物語において、人間の具体的な目標は未知数であるが、一つの方向性として神性の獲得、すなわち「神=デウス」になることを提案している。
2. ホモ・デウスの萌芽
成功は野心を生む。だから、人類は昨今の素晴らしい業績に背中を押されて、今やさらに大胆な目標を立てようとしている。前例のない水準の繁栄と健康と平和を確保した人類は、過去の記録や現在の価値観を考えると、次に不死と幸福と神性を標的とする可能性が高い。飢餓と疾病と暴力による死を減らすことができたので、今度は老化と死そのものさえ克服することに狙いを定めるだろう。人々を絶望的な苦境から救い出せたので、今度ははっきり幸せにすることを目標とするだろう。そして、人類を残忍な生存競争の次元より上まで引き上げることができたので、今度は人間を神にアップグレードし、ホモ・サピエンスをホモ・デウス〔「デウス」は「神」の意〕に変えることを目指すだろう。
p.53[第1章 人類が新たに取り組むべきこと]
ハラリは、人類が自己を特別な存在と見なすようになった歴史を振り返える。農耕や牧畜技術が登場する前の遊牧民はアニミズムを信じ、自らを自然の一部と考え、特別な地位にはなかった。定住化が進むにつれ、動物を支配する正当性を与える一神教が生まれ、神を頂点とする生命の階層が確立した。現代では、人間が神のような役割を目指している。
サピエンスはなぜ類稀な力を獲得できたか。ハラリはその理由を虚構を形成する力に求める。この虚構を形成する力により、例えば、人間は貨幣という概念を生み出し経済を構築したり、法律を制定し国家を運営してきた。他の動物が人間に対抗できないのは魂や心がないからではなく、虚構を基にした協力ができないためだ。ライオンは走ったり噛みついたりはできるが、銀行口座を開設したり訴訟を起こしたりはできない。21世紀では、訴訟を知っている銀行家が、サバンナで最も猛々しいライオンよりも強力である。
私たちは二二世紀にはこれまでのどんな時代にも見られなかったほど強力な虚構と全体主義的な宗教を生み出すだろう。そうした宗教はバイオテクノロジーとコンピューターアルゴリズムの助けを借り、私たちの生活を絶え間なく支配するだけでなく、私たちの体や脳や心を形作ったり、天国も地獄も備わったバーチャル世界をそっくり創造したりすることもできるようになるだろう。したがって、虚構と現実、宗教と科学を区別するのはいよいよ難しくなるが、その能力はかつてないほど重要になる。
p.300[第4章 物語の語り手]
3. ホモ・サピエンスに残る課題
もし飢饉、疫病、戦争がなくなり、人類が前例のない平和と繁栄を経験し、平均寿命が劇的に延びた場合、人々は幸せになれるのだろうか?残念ながら、必ずしもそうとは限らない。例えば、伝統的な社会に比べて、先進国は豊かで快適で安全であるにも関わらず、自殺率が高いという事実は気になる点だ。開発途上国のペルー、ハイチ、フィリピン、ガーナなどでは、毎年10万人当たり約5人が自殺する一方で、豊かで平和なスイス、フランス、日本、ニュージーランドなどでは、その数は10万人当たり10人以上に上る。
日本では1958年から1987年までの30年間、史上稀な景気拡大で平均実質所得が5倍に増加した。しかし、日本人の生活様式や社会関係に多くの変化があったにも関わらず、主観的幸福度にはほとんど影響が見られなかった。どうやら私たちの幸福感は、謎めいたガラスの天井にぶち当たり、前例のない成果をどれだけ達成しようとも、増すことができないように見える。たとえすべての人に無料で食べ物を提供し、あらゆる疾病を治し、世界平和を確保したとしても、そのガラスの天井を打ち砕けるとは限らない。真の幸福を達成するのは、老化や死を克服することと比べて、それほど簡単ではないだろう。
現代の生活は、実際的なレベルでは、意味を持たない世界の中での力の追求から成る。現代文化は史上最強で、絶え間なく研究や発明、発見、成長を続けている。同時に、これまでどの文化も直面したことのないほど大きな実存的不安に苛まれている。
p.13 [文庫版への序文]
4. 実存的不安
人間は飢餓、伝染病、戦争などの問題を克服してきた。しかし、現在は「実存的不安」という新たな課題に直面しており、解決策がまだ見つかっていない。テクノロジーの発達により極端に快適になった現代では、多くの人々が自由な時間を持て余し、その副産物として実存的不安を感じるだろう。ハラリはこの問題について具体的な解決策を示していない。私たちは、この実存的不安にどう対処するかを考えるべきだ。
AIとバイオテクノロジーの台頭は世界を確実に変容させるだろうが、単一の決定論的な結果が待ち受けているわけではない。本書で概説した筋書きはみな、予言ではなく可能性として捉えるべきだ。こうした可能性のなかに気に入らないものがあるなら、その可能性を実現させないように、ぜひ従来とは違う形で考えて行動してほしい。
5. 人間至上主義革命
近代以降、ニーチェの「神は死んだ」に代表されるように、人間の自由意志を中心に据えた人間至上主義が主流になった。人間至上主義は、人間が自分の内なる経験から人生の意味を見出すことを求め、人生の目的は多様な知的、情動的、身体的経験を通じて知識を深めることだと説く。
人間至上主義によれば、人間は内なる経験から、自分の人生の意味だけではなく森羅万象の意味も引き出さなくてはならないという。意味のない世界のために意味を生み出せ――これこそ人間至上主義が私たちに与えた最も重要な戒律なのだ。
p.45[第7章 人間至上主義革命]
人間至上主義は正統派、社会主義的、進化論的の三つの宗派に分かれる。正統派は個人の自由意志と独自性を重視し、単に「自由主義」とも呼ばれる。社会主義は他者への共感と団結を強調し、進化論的人間至上主義はダーウィンの進化論に基づき、自然選択と争いを肯定する。
20世紀は自由主義を強化した時代であった。NATOの相互確証破壊(MAD)ドクトリンの下で、核兵器が自由主義を守る盾となり、消費文化が社会の原動力となった。社会を動かす力としては強制労働所よりもスーパーマーケットのほうが強力だった。自由主義は冷戦で勝利し、人間至上主義の宗教戦争に終止符を打った。これにより、自由主義は世界の主要な思想として確立されることとなる。
南ヨーロッパに始まり、スペイン、ギリシャ、ポルトガルの独裁政権が倒れ、民主的な政府に道を譲った。1977年、インディラ・ガンディーは非常事態宣言を解除し、インドの民主主義を復活させた。1980年代には東アジアとラテンアメリカで、ブラジルやアルゼンチン、中華民国、韓国などの軍事独裁政権が民主的な政権に取って代わられた。80年代後期から90年代初期には、自由主義の波は強大なソヴィエト帝国を一呑みにし、いわゆる「歴史の終焉」の到来を期待させた。
p.114[第7章 人間至上主義革命]
6. 自由意志か、アルゴリズムか
自由主義は人間の自由意志を最高の権威と見なすが、最近の研究ではその自由意志の存在が疑わしい。例えば、暴力行為の背景には人間の完全な自由意志ではなく、脳内の電気化学的プロセスや遺伝的素質が関わっていることが指摘されている。さらに、このプロセスは外部からコントロール可能であることも明らかになっている。
科学者はラットの脳に電極を埋め込み、リモートコントロールで操作する「ロボラット」を開発した。これにより、ラットは普段嫌がる行動さえも強制的に行わせられる。人間においても、愛情や恐怖、憂鬱などの感情が脳の特定の部分を刺激することで操られる可能性が示されている。アメリカ軍は脳にチップを埋め込む実験を進め、心的外傷後ストレス障害の治療に応用しようとしている。また、エルサレムのハダサ病院では、うつ病患者の脳に電極を埋め込む治療法が試みられており、一部の患者に効果が見られている。
また、科学の進歩により、人間は経済的有用性と軍事的有用性を失いつつある。経済的には人々は、さまざまな仕事の管理者たちさえも、AIに置き換えられる。オックスフォード大学の研究では、アメリカの仕事の47パーセントが深刻な危機にさらされるだろうという。また、軍事的には、無人ハイテク機器を活用した戦略、もしくはサイバー戦争が主流になるため、大多数の人間は不要なる。科学の進歩は、集団としての人々、もしくは特定の少数の人々には良い影響をもたらすかもしれないが、多くの人々の有用性が無くなっていくのは避けられないだろう。
もし科学的な発見とテクノロジーの発展が人類を大量の無用な人間と少数のアップグレードされた超人エリート層に分割したなら、あるいはもし権限が人間から知能の高いアルゴリズムの手にそっくり移ったなら、そのときには自由主義は崩壊する。そうなったとき、そこに生じる空白を埋め神のような私たちの子孫のその後の進化を導いていくのはどんな新しい宗教あるいはイデオロギーなのだろう?
p.252[第9章 知能と意識の大いなる分離]
7. 新しいテクノ宗教
シリコンバレーにいるハイテクの権威たちが、神に代わる新宗教を創造し始めている。幸福、平和、繁栄、さらに永遠の命をテクノロジーを通じて地上で実現することを約束する。この新しいテクノ宗教は、テクノ人間至上主義とデータ至上主義という二つの主要なタイプに分けられる。テクノ人間至上主義では、現在の人間モデルが時代遅れとされ、テクノロジーを使って進化した「ホモ・デウス」を生み出すことを目指している。これは、以前の進化論的人間至上主義やヒトラーの超人創造とは異なり、遺伝子工学やナノテクノロジーの助けを借りて、もっと平和的に目標を達成することを望んでいる。
ただし、テクノ人間至上主義も人間の自由意志を最高の権威と見なす点で自由主義と根幹は変わらない。自分の意志をデザインしたりデザインし直したりできるようになった日には、もう私たちは自由意志をあらゆる意味と権威の究極の源泉と見なすことはできないだろう。なぜなら、たとえ私たちの意志が何と言おうと、いつでも別のことを言わせられるからだ。
テクノ人間至上主義は、私たちの欲望がどの心的能力を伸ばすかを選び、それによって未来の心の形態を決めることを見込んでいる。とはいえ、テクノロジーの進歩のおかげで、まさにその欲望を作り変えたり生み出したりできるようになったら、何が起こるのか?
テクノ人間至上主義も倫理的な問題を解決できない。私の目標達成にテクノロジーは大いに役立つが、その「私」自体が改変可能なのだ。民主的なプロセスで決まる国策もテクノロジーによってハイジャックされてしまう。国民があれこれを望むようにと作り変えられてしまう。その時、富や幸福など、何を最も重要な指標とするのか。これまで「神」が占めたポジションに取って代わられる存在としては、自由意志はかなり不安定である。
8. 人間に取って代わるもの=情報
データ至上主義では、全てはデータフローで成り立っていて、物事の価値はそのデータ処理への貢献度で決まるとされる。これが科学界で主流になっている。自由市場資本主義者が市場の「見えざる手」を信じるように、データ至上主義者はデータフローの「見えざる手」を信じている。彼らはグローバルなデータシステムが全知全能になると考え、人々がデータフローに統合されることがすべての意味の源だと見なす。伝統的宗教が神が全てを見守ると言うのに対し、データ至上主義はアルゴリズムが人々の行動や感情に常に関心を持っていると主張する。
例えば、株式取引は人間が作った最も速く効率的なデータ処理システムの一つである。誰でも参加でき、銀行や年金基金を通じても可能。株式取引は世界経済を動かし、地球上や宇宙での出来事を反映する。科学実験の結果、政治スキャンダル、火山爆発、太陽の活動など、あらゆる情報が株価に影響する。システムは多くの情報が自由に流れることでスムーズに機能する。何百万人もの人が情報にアクセスし、その取引で価格が決まる。例えば、「ニューヨーク・タイムズ」の見出しの影響を株式市場が判断するのにかかる時間は約15分と推定される。
過去数十年で民主主義が優位に立ったのは、分散処理が効果的だったからだ。しかし、今後はデータの増加と速度の向上に伴い、選挙や議会などの従来の制度が非効率的であるために廃れるかもしれない。これは非倫理的だからではなく、単にデータ処理に不向きなためだ。政治はテクノロジーの進展に比べて遅れがちで、特に現代ではテクノロジーの進歩が政治の進展を大きく上回っている。
21世紀の今、私たちは前例のない演算能力と巨大なデータベースを使った優れたアルゴリズムを開発している。グーグルとフェイスブックのアルゴリズムは、あなたの感情を正確に知るだけでなく、あなた自身が気づいていない多くのことも把握している。そのため、自分の感情に頼るのをやめ、これらの外部アルゴリズムに耳を傾けるべきだという考えが出てくる。一人一人の投票先だけでなく、民主党や共和党に投票する神経学的理由もアルゴリズムが理解しているなら、民主的な選挙の意味は何だろうか。
人間中心からデータ中心への世界観の変化は単なる哲学的な革命ではなく、実際的な革命になるだろう。真に重要な革命はみな実際的だ。「人間が神を考え出した」という人間至上主義の発想が重要だったのは、広範囲に及ぶ実際的な意味合いを持っていたからだ。同様に、「生き物はアルゴリズムだ」というデータ至上主義者の発想が重要なのは、それが日常生活に与える実際的な影響のためだ。発想が世界を変えるのは、その発想が私たちの行動を変えるときに限られる。
p.318[第11章 データ教]
9. 結び
ハラリは技術の進歩がもたらした成果と宗教的な影響を分析し、過度な自由競争が引き起こすディストピア的な結果に対して警告を発する。ハラリが示す未来像はまだ現実離れしているように思われるが、既に一部の仕事はAIによって代替されている。もし人々がこのような未来を望まないのであれば、今日から少しずつ行動を変えていくべきだ。
一方で、本書は「実存的不安」をサブテーマにして通読すると面白い。人間の有用性が失われたとき、私たちは何を生きがいに生きていくのか。アルゴリズムの推奨に沿って行動する人生にどんな意味があるのか。あなたの就職先、人間関係、趣味嗜好もすべてアルゴリズムに決められるとき、あなたの実存的意味は崩壊せずにいられるのだろうか。ナビが出てから人々が土地勘を失ったように、AIの濫用によって人生における方向感覚を見失ってはいけない。楽だからといって、人生の主導権をAIに引き渡してしまったとき、あなたはシステムの単なる一部になってしまう。