山崎正和『柔らかい個人主義の誕生』を要約する
1. 国家概念の変化
明治時代以来、日本は百年にわたり、近代化と工業化の道を歩んだ。この過程で、国家という存在は国民に強く意識されるようになった。特に1960年代、日本は経済成長を経て、国民総生産が自由世界で第二位に達し、国民一人一人に自信と満足をもたらした。この時代は「追いつけ追い越せ」というスローガンのもと、国家の一員という意識が強くなり、日本はその成功で世界の注目を集めた。
これに対して、1970年代は時代を飾るはなばなしい標語もなく、「モーレツからビューティフルへ」という何か新しいものを模索するが具体性に欠ける時代の象徴となった。「モーレツ」という形容詞は、まさに60年代の生産性と勤勉さをさして具体的であるのにたいして、「ビューティフル」という一語は、たんに何かしら猛烈ではないもの、という以上の意味を感じさせなかったからである。この不確実さは価値の相対化や不透明さを示し、人々はこの時代を「不確実性の時代」と呼ぶようになった。
70年代は日本で自治体や青年団体を中心に新しい住民運動が盛んになり、趣味や教養を中心とする文化的な活動が特徴的だった。これらは従来の政治的、思想的運動から離れ、地域に根ざしたものへと変化していく。市民大学や環境美化運動などが新しい地域社会の中心となり、自治体も文化施設の充実に力を入れた。これは国民の関心が国家から地域へ移り、個人がより個人主義的な姿勢を強める動きの一環であることを示している。地域社会への関心の高まりは、一般的な組織への帰属感情の変化を反映し、個人が多元的な帰属関係を築く傾向を強めていたと見て取れる。国家と地域の役割やイメージの変化は、個人と社会の関係性の変化を示している。
こうして経済的に成熟してきた日本は生活面での個人化が進んでいく。完全週休二日制の定着、家電の普及による家事の削減により、会社や家族のために費やす時間が減る一方、個人の余暇の時間が増えた。このような社会変革のなかで人々の自己の役割についての考え方が変わっていく。ここでエリク・エリクソンが提唱した自己同一性という概念を用いて以下の説明がされる。
2. 消費概念の変化
60年代に「消費は美徳だ」という標語が用いられた一方、70年代はエネルギー危機と産業のエレクトロニクス化を転換点に価値観が変わる。エネルギー危機は消費の節約を促しつつ、大量生産主義に疑問を投げかけた。これにより、過度な生産を刺激しない賢明な消費が推奨されるようになった。同時に、省エネ産業の育成と工場の自動化は余剰労働人口を生み出し、消費に主導権を譲る製品開発が加速した。この変化はサービス産業の発展を促し、結果として、新たな産業と消費文化が形成された。
70年代は、消費の社会的価値が高まり、消費行動の変化が始まった時代だった。個人はより個別的な嗜好で商品を選び、物質的な商品より個人的サービスを求めた。1960年代以前の流行とは対照的に、生産者は多品種少量生産を採用し、大型小売店も個性的な専門店の性格を強めた。娯楽、スポーツ、読書傾向にも多元化が見られ、子供の世界では狂気じみたブームが減った。また、家庭や企業内集団への所属時間が減少するにつれ、より多様な場の必要性が高まり、文化サービスが商品として取引されるようになった。この新たな需要に応える形で、相互サービスを提供するサロンやボランティア活動を行う集団などが現れた。
広義の社交の場では、役割の演技が積極的に求められる。これは、文化クラブのような永続的な場所や、レストランでの一時的なサービス関係においても同様で、すべての社交の場所が参加者に一定の表現を要求する。社交関係は、客観的な目的達成よりも、個々の参加者が作法に従い、自発的な表現を行う関係として成り立っている。これは、互いの気配りを目的とし、「主人」と「客」という役割を演じることが本質である。このような場所が人生で重要な意味を持ち、深く関わるようになれば、人間関係における自己表現の価値が再評価される。自己はただ単一の役割を持つ自己から、複数の空間に身を開くオープンシステムになるのだ。
人々の購買行動にも変化が見られる。かつてのステレオタイプ的な消費による自己拡張ではなく、むしろ、商品との対話を通じた一種の自己探究のための消費が行われるようになる。今日では自分が「何かしら美しいもの」を欲しているということにすぎず、それがどんな色と形かを明言することはできない。購買行動に先だって持っているのは漠然たる願望であり、厳密な意味での目的はない。真に自分の願望の内容に気づくのは、特定のデザインを持つ商品を発見した瞬間であって、それを消費することにより自己イメージが環境に合わせてアップデートされていくのである。
ここで私たちが目の当たりにしている変化は、大規模で不特定多数に向けたシステムから、個人の顔が見える小規模な組織への移行を意味する。この社会は、人間関係を重視し、具体的な隣人の顔を見ながら生き始める。社交の場所が、同時にひとびとが自分の趣味を表現しあう場所となり、暗黙の相互批評のなかで趣味の正しさを確認する場所になっていく、と考えられる。
3. 資本主義の問題点
一世紀を遡ると、産業革命期を支えたのは顔の見えない社会であった。マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムと資本主義の精神」がそれを象徴する。資本主義を支えたのはプロテスタントの精神である。つまり、神と人間には絶望的な距離があり、人間は神のご加護を乞うことも許されない。神が作った世界の一部として、神の富を増やすこと=蓄財をすることが人間の責務である。そして、最終的には神の存在が遠すぎるあまり希薄化し、蓄財システムだけが生き残った。
経済成長が人々の生活を豊かにする段階においては「安全安心・快適便利」が蓄財の目的として機能した。しかし、一定のレベルに達した後、人々は共通の目的を失ってしまう。なぜ毎日頑張らないといけないのか、生きがいを失ってしまう。資本主義の起源が示す通り、蓄財の目的をシステム内部に発見することはできず、外部から調達しなければならない。ここでデュルケームの「自殺論」における対応方法が紹介される。それは労働組合の結成により、身分の近い人々が結集することで、人々は「分相応」の要望を抱くことができる、というものである。山崎はその具体性にかける点は指摘するものの、その理念には共感する。
山崎は、生きがいの喪失に対する解決策を、労働集団ではなく、サロンやボランティアのような消費集団に見出す。この思想は、歴史的に貴族やブルジョアのサロンに根ざしている。日本における類似の伝統には、「茶の湯」と「遊郭」がある。「茶の湯」は厳しい規律を要する文化活動であり、茶人としての資格は、組織の外でさえも尊敬される価値を持つものだった。茶室に用いられる陶器は、高価な美術品として価値を高め、「わび」という独特な精神文化を生み出した。一方で遊郭は、単なる情事を目的とした場ではなく、独特の作法や言い回しを習得することを要求される文化的空間であった。九鬼周造によれば、遊郭での行動規範は「いき」と呼ばれ、優雅さと反俗精神が融合した逆説的な美を生み出した。遊廓内では、この「いき」が行動の唯一の規範となり、それを理解する者の前では、外界の身分や権威はいかなる効力も持たなかった。
ここで労働組合とサロンやボランティアのような消費集団の違いは、個人の帰属先の数に寄る。消費集団に属する大部分は、同時に他の消費集団や職業集団の構成員でもあった。そのため自己の役割が単一なものに固定化されてなく、その場に応じた自己の役割を演じるようになる。加えて、それぞれの場所で趣味を真剣に披瀝し、 相互に切磋琢磨する恒常的な場所という点が重要である。このような複数の場所に帰属することで、人々は持続的に「分相応」な欲望を抱き、生きていけるのである。これが山崎のイメージする「柔らかい個人主義」である。
4. 持続可能な消費とは?
山崎はボードリヤールを引用し、際限のなく増殖する消費の欲望について、この文脈の「消費」は「生産」と混同していると指摘する。食欲に限界がある通り、本来欲望には限界があるべきだ。しかし、拝金主義者が際限なく貯蓄をするように「生産」には限界がない。物の消費は他の生産と表裏一体の関係であり、例えば、食物を消費することは労働力の生産という解釈ができる。ボードリヤールが提供した「消費」の概念は人気を得ているが、その論理は破綻しているとみている。
山崎は「消費」の真の目的を「消耗する過程」に見出す。茶道をする際にはお茶を飲むことが真の目的ではなく、目的達成までのプロセスに厳格なしきたりを設け、極力時間を引き延ばすことにより、充実した時間の消耗を得ようとするものである。一方「生産」は極力効率的に最短で目的を達成しようとする。こうして「消費」と「生産」を対置して考えることができる。そして、現代の消費態度を見ている限り、消費はますます「消耗する過程」を楽しむものという傾向が強まっており、ボードリヤール的な「際限のない生産」をするものではないと確信しているのである。
自己を、他方でメタ的な自己が見守っているということである。このメタ的な自己というのは他者の存在によって養われるものであり、顔の見える社会では安定的に機能する。一方で顔の見えない社会においては、メタ的な自己が不安定になり、分相応を超えて暴走してしまう。これが大衆消費社会である。こうした暴走に陥らないように、私たちは趣味を真剣に披瀝する場所、 相互に切磋琢磨する恒常的な場所を持つという点が重要である