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アマンダ・リプリー「よい対立 悪い対立 世界を二極化させないために」を要約する

現代社会で成功するには、不健全な対立がいかにして起こるかを理解しなければならない。不健全な対立から一歩引いて、その輪郭を知り、畏れを感じなければならない。そうすれば、それがどれほどわたしたちの視野を歪めているかがわかる。そして、別の生き方を思い描くことができるようになる。

アマンダ・リプリー「High Conflict よい対立 悪い対立」ディスカヴァー・トゥエンティワン p.37

アマンダ・リプリーは、本書を通じて、対立が持つ破壊的な力を指摘する一方で、その力をコントロールし、健全な形に転換する可能性を示唆している。対立を完全に回避することはできなくても、その影響を最小限に抑え、人々が協力し合える環境を作ることは可能だ。そのために、個々人が対立の力学を理解し、建設的な「コミュニケーション」を模索する必要がある。本書は、現代社会の分断を乗り越えるためのヒントに満ちており、私たちがより良い未来を築くための手がかりを提供してくれる。ここでは本書で触れられた「コミュニケーション」の方法についてメモを残したい。

対立には「よい対立」と「悪い対立」がある。まず、「悪い対立」とは何だろうか。リプリーは「悪い対立」をHigh Conflictと言い、自己増殖的で人々を対立の罠に巻き込み、解決が困難になる状況と定義している。この種の対立は、しばしば極端な二元論や感情的反応によって特徴づけられる。問題の本質を見失い、相手を敵視することに集中してしまう傾向がある。一方で、「よい対立」は問題を深く掘り下げ、他者の視点を理解しながら建設的に解決を目指す対立である。よい対立では、対話や協力を通じて、創造的な解決策が見出されることが多くなる。

悪い対立が生じる原因は幾つもあるが、本書では特に情報の過剰単純化(ラベル化)が挙げられる。人間の習性として「私たちvs彼ら」という二項対立的な考え方をしてしまう。社会実験でも証明されており、無作為にカテゴライズされた人々は、金銭的な報酬などを無目的に自分のグループに多く振り分けることが確認されている。本書では地方政治の実例が出され、登場人物のゲイリーはこのような対立を乗り越えようと意気込むが、次第に自らが一方の側に立ち、対立の当事者になってしまっていることに気づいた。「世の中は複雑なのに、それを正しいか間違っているかのラベルをつけた二つのグループに分けなければならなかったんだ。あまりにも単純化しすぎだ」と述べる。

選挙ではラベルをつけることで構図を単純化し、一方からの支持を得る手法がよく用いられる。ゲイリーはニューガード(新参勢力)として、オールドガード(古参勢力)と対立した。選挙当選後にはノーサイドゲームとして、ゲイリーはコミュニティの全メンバーに真の団結を求めたが、その考えは甘かった。例えば、ゲイリーは議会の最中、自分の意図や考えを正確に伝えているにも関わらず、相手側の賛同は得られないと感じた。また、相手側の主張も聞き入れるようにしたが、同じ人間の意見を繰り返し聞かされているだけで、そんな面々に会議をいいようにされるわけにはいかない、という思いを強くしたのだ。

ゲイリーは、自身が直面していた状況について、オールドガードが意図的に自分を陥れようとしていると感じていた。その感覚には、少なくとも部分的には事実である部分があったのかもしれない。しかし、それ以上に、彼が直面していた問題の根本には「コミュニケーションの幻想」という普遍的な課題が潜んでいた。「コミュニケーションの幻想」とは、私たちが自分の意図や感情を相手に正確に伝えられたと過信し、また相手もそれを理解してくれていると思い込むである。実際には、自分の考えを整理し、適切な言葉で伝えたとしても、相手がそれを同じ意味で受け取る保証はない。それにも関わらず、人は往々にしてこうした過信に陥ることになる。

リプリーが提示する解決策として、まず自分が伝えたいことを「正確に伝わらないかもしれない」という前提に立つ必要がある。そして、相手がどのように理解したかを確認するプロセスを取り入れることが重要である。双方向のやり取りを意識し、相手の意見や反応を丁寧に受け止めることで、コミュニケーションの齟齬を最小限に抑えることができる。リプリーはこれを「エゴを抑える」と表現している。例えば、バハイ教のコミュニティでは、二項対立を超えた形での協力と意思決定が行われている。この宗教は「人類はみなつながっている」という考えを基盤にしており、聖職者や指導者がいない中で、謙虚さや忍耐といった原則を重視している。こうしたアプローチは、エゴを抑え、共通の目標に向かって協力するための実践的な方法を示している。

今後はこうしたエゴを抑える制度設計が求められる。現代ではソーシャルメディアの普及によって、「悪い対立」が助長され分断が深まってしまっている。しかし、このようなインターネットプラットフォームが、協力や良識を促進する方向へと構造改革することも可能ではないか。YouTubeやFacebookのアルゴリズムを、分断を深めるのではなく、建設的な対話を促進するように変更することができないだろうか。また、政治システムにおいては、二項対立を避けるための方法として、一人一票ではない、優先順位付け投票の導入が挙げられる。これらの制度改革により、少数派の声が反映されやすくなり、選挙後の分断を軽減することが可能ではないか。

「誠実な意見の食い違いは、往々にして進歩のためのいい兆候である」。だが、それなりの条件のもとでは、あっという間に不誠実な意見の食い違いや不健全な対立に陥ってしまう。となれば肝心なのはその条件を避けることだ。そのためには、自分たちの街に、教会や聖堂に、家庭や学校に、不健全な対立には陥らないよう守ってくれるガードレールをつくる。対立のインフラを構築するのだ。背景を探究し、二項対立の世界から対立の火種を遠ざけるようにして、不健全な対立が始まる前に先手を打つようなものだ。これは、対立の中にありながら、意図的に好奇心を育んでいくことを意味する。

アマンダ・リプリー「High Conflict よい対立 悪い対立」ディスカヴァー・トゥエンティワン p.416

個々人の人間関係において「悪い対立」を避けるコミュニケーションの努力も必要だし、政治や宗教においては「良い対立」を構築するためのインフラを構築していくことが重要である。

紛争産業の複合体は強力だ。敵対的な世界にあって、健全な対立を維持するには、話し合いを続けなければならない。この点については研究でも明確になっているし、ミシガンとニューヨークの交流もそれを裏づけている。対立のインフラは鋼鉄製で、しかも長期にわたって構築され続けていなければならない。さもないと、その効果は時間の経過とともに失われていく。誰もが敵対的なエコーチェンバーに戻っていってしまうからだ。だが、人々が政治信念を同じくするコミュニティの中にこもったまま、その中の人としかつき合わず、結婚もしない、という状況が増える一方のこの国において会話を続けていくには、とてつもない努力を要する。分断された社会では、自然な出会いなど望むべくもない。

アマンダ・リプリー「High Conflict よい対立 悪い対立」ディスカヴァー・トゥエンティワン p.475

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