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ポール・モーランド「人口は未来を語る」を要約する
「子供を持たないほうがずっと楽に暮らしていけるのに、なぜ持たなければいけないのだろうか?」というのは、シンガポールのあるウェブマガジンの記事の書き出しである。「夜も眠れず、朝一番からおむつ替え、おもらしもあちこちに。当然のことながら仕事に集中などできないというのに」。
今、先進国に、そして発展途上国の一部にも、ある不安が影を落としている。不安といっても多くの人命が失われることではなく、出生数が少なすぎることだ。つまりいずれ人類が絶滅してしまうのではないかという不安である。何十年ものあいだ人口増加を心配してきた人類は、今その逆のことを心配しはじめている。
ポール・モーランドの『人口は未来を語る』は、過去から現在に至るまでの人口変動を追いつつ、歴史的な大国の興隆や衰退の背景には人口動態の影響
があったことが述べられる。著者は、歴史的な人口変動を3つの時期(前近代、近代、近代後)に分け、特に近代後の出生率、都市化、高齢化、民族構成の変化、人口増減といった要素について、様々な地域の分析結果を展開される。ここでは面白いと感じた大まかなポイントだけ触れてみたい。
①少産少死化
まず、前近代の人口動態は「多産多死」という特徴的な状態だった。人々は高い出生率と高い死亡率の中で生活しており、社会全体の人口は安定的ではなく、常に増減を繰り返していた。これに対して近代の人口動態は、経済の発展や技術革新、教育の普及などが影響し、「多産少死」を経て「少産少死」の方向へと変化していく。世界はデンマークのほうへ、すなわち乳児死亡率がより低く、平均寿命がより長く、年齢中央値がより高く、家族構成がより小さくなるほうへと向かう。これ以降の出生率や家族規模については個人の文化的価値観や宗教、社会的理想によって左右されるようになり、さらに予想が難しくなる。
多産多死
最も初期の段階に見られる人口動態で、出生率が非常に高い一方で、死亡率も高い状態です。この段階では、乳児死亡率が高く、医療技術が発展していないため、疾病や栄養不足、事故などで多くの人が亡くなる。人口の増加は国により抑制されることもあるが、家族は子どもをたくさん持つ傾向がある。
多産少死
産業革命や医療技術の発展に伴い、死亡率が低下した段階。乳児死亡率が低くなり、感染症の治療法や衛生状態の改善、栄養の向上などにより、多くの人々が長生きできるようになる。出生率は依然として高いものの、死亡率の減少により人口が急激に増加する。この時期には、社会が急速に変化し、都市化や産業化が進むことが多い。
少産少死
現代社会や先進国で見られる現象で、出生率が低下し、死亡率も低い状態です。医療技術や生活水準の向上により、死亡率は非常に低く、平均寿命が長くなりますが、同時に人々は子どもを持つ数が減少します。この背景には、教育水準の向上や都市化、女性の社会進出、生活費の増加などが影響しています。結果的に、人口増加は鈍化し、あるいは減少に転じることもあります。
補足: 人口ボーナス
人口ボーナスとは、著者によれば、家族の人数が減少し教育を受けた親が育児に集中できるようになった時期(少産少死の初期)に現れる経済的なチャンスを示す。家族が大きいと、若い世代は経済成長に必要な生活習慣を取り入れる余裕がない。貧困国では、家庭の人数が多ければ、教育や生活に必要な物品(洗濯機や冷蔵庫など)を手に入れることが難しいが、家族が少なくなると、親は子どもにより良い教育と健康を望み、育児に力を注ぐようになる。
モーランドは、少産少死が進み人口置換水準を下回るようになった段階を「第二の人口転換」として注目する。人口統計学者の中には、少子化が進行する第二の人口転換を、個人主義が家族を持ちたいという願望に取って代わることによるものだと説明する人もいるが、この考え方は普遍的な傾向として誇張されている面があるとモーランドは述べる。実際には個人の文化的価値観や宗教、社会的理想が出生率に大きな役割を果たしており、これらが出生率の上昇や下降に密接に関連している。モルモン教徒の人口は1947年の15倍に達しており、この増加は高い出生率に支えられている。宗教的価値観を持つ集団の子孫がその価値観を継承し続ける場合、将来的には世俗的な社会が衰退し、宗教的集団が主導的な役割を担う可能性があるのではないかということも想像できる。
②都市化
現代人はほとんどが都市文化に影響を受けており、そのため都市の特殊性や魅力を実感しにくくなっている。都市は何千年も前から存在していたが、長い間、ほんの一部の人々しか住んでいなかったという事実を私たちは忘れがちだ。例えば、1600年のヨーロッパにおいて、都市に住んでいた人口はわずか1.6%であり、1800年になっても2%強である。この時点で、ほとんどの人々は農村で暮らしていました。世界的に見ても、地球人口の大半が都市で生活するようになったのは、今世紀に入ってからのことである。
今後、都市の数や規模が増加することは確実とされている。数十年の間は人口間性により、出生率に関わらず地球規模で人口が増加し続ける。そして、多くの新たに生まれる人口や既存の人口の多くが都市に住むことになる。これにより、都市の規模はさらに拡大することが予想されるが、都市の中には統廃合が進み、ある都市は成長し、別の都市は衰退する可能性もある。例えば、イギリスのマンチェスターやフランス南部のトゥールーズは脱工業化後も成功を収めた一方、アメリカ中西部のデトロイトやイギリス北部のミドルズブラのような都市は苦しみ続けている。
また、大都市に対する反感や地域間の対立も重要な問題となるだろう。特に、2016年にイギリスで行われたEU離脱の国民投票では、ロンドンはEU残留を強く支持した一方、多くの地方都市や地方の住民は離脱を支持した。大都市はしばしば地方からの非難の的となり、資源を吸い上げる存在として嫌われることが多い。都市側はこれに対して、都市こそが国家全体の教育、福祉、公共医療サービスを支える重要な役割を担っているとし、地方からの批判に対して反論する。都市と地方の関係は、今後ますます重要なテーマとなり、人口の集中や分散がどのように経済や社会に影響を与えるかが注目されるとモーランドは述べる。
③高齢化
「中高年が多い社会は戦争を起こしにくい」という主張は、統計分析や学術研究に裏づけられている。例えば、ナチスの台頭は若年男性の急増と重なり、20世紀初頭の不安定なヨーロッパが中高年中心へと人口構成が変化した後、平和を享受した事実がある。また、年齢中央値が高い国ほど内戦の発生が少なく、人口の55%以上が30歳を超える国では内戦がほぼ起きないとされる。この背景には生物学的および社会的要因が存在する。
生物学的には、思春期から中年期にかけて脳やホルモンの変化により、若者は情緒不安定で衝動的な行動を取りやすい。テストステロンやエストロゲンの増加により感情の起伏が激しくなり、同世代の影響を受けやすくなるため、暴力的行動やリスクを冒しやすい傾向が見られる。例えば、イギリスでは若い男性ドライバーの重大事故率が高いことが、こうした傾向を示している。
一方、社会的には、中年になるにつれ人は個人的責任を負うようになり、安定した生活を送ることを優先するようになる。若者が暴動に参加する一方で、中年層は家族や職業などの責任を考慮し、自制的な行動を取るようになる。このように、若年層が多い社会では衝突が増えやすい一方、中高年が増える社会では平和が維持されやすいという理論は、生物学的および社会学的観点から説明が可能である。
まとめ
モーランドは終章「明日の人々」において、高齢化を迎える国家は「経済力」「民族性」「エゴイズム」という両立できないトリレンマを抱えることになると述べる。日本の場合、民族性(移民政策を積極的に取らない)エゴイズム(自分の人生のためにあえて子供を産まない)が優先された結果、人口が減少し、経済力が失われていく。世界にも例がないペースで政府債務を積み上げており、生産年齢人口の減少と、それに続く総人口の減少が経済成長の重い足かせとなる。日本のように個人主義でひたすら現世的な社会が、このまま低出生率が続く中で生き残ることができるのかどうかを考えなければならない。