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価値観がアップデートされた時

この前の週末、藤原華さんのnoteを読みました。

読んだnoteはこちら⇩

藤原華さんは、コンテスト「なぜ、私は書くのか」を開催していました。
(執筆時点で締切)

こちらのコンテストは中間選考は藤原華さんのマネージャーのジャスミンさんが担当しており、こちらのnoteもジャスミンさんが書いておられます。

読み手に向けて、身を削って書いているのは間違いない。文章を書くことを生業としている人の本気の仕事がこのnoteで表現されていました。

noteを読み切った私の想いは、

雷に打たれたような。
内臓をえぐらえたような。

例えが大袈裟かもしれないけれど、そんな感じ。

だけど、いい意味で心にスドーンときたし、
衝撃が走ったのは事実。

あまりに良過ぎて良過ぎたので、
読み返したい記事まとめのマガジンに入れました。


わたしは趣味の写真やnoteなどで
表現活動をしています。

職場でも上司・後輩・他部署の人・取引先など、かかわる人が多いため、その場面に応じた表現が求められる状況だったりします。

「伝える」ということに、
自分なりに気をつけていた。

気をつけていた、つもりだった。

わたしは今まで
相手が受け止めやすいように、
理解しやすいようにと言葉を選んできた。

それは自分の意図を相手にちゃんと伝えるためには、伝える側の努力が欠かせないと思っているから。うまく伝わっていないなと感じたときは、相手と話しながらわかりやすい言葉を探して、何度も相手に向き合うことが大切だと思っている。

だけど。
それだけでは、足りないんだと。

ジャスミンさんの言葉で思い知らされました。


ジャスミンさんの想いがのせられた言葉からは、多くの気付きがあった。
その中で特に印象的だったのは、

「届け切る」

「届け切る」ために、みっともないくらいに執着しているかどうか。

それも読み手にストレスを与えないように。

過去の自分を振り返ってみても、わたしにそこまでの執着はなかった。

仕事は「相手ありき」という言葉を使い、写真やnoteは「趣味だから」という言葉で、私は予防線を張っていたことに気づいた。

だけど、せっかく発信活動をしているのだから、
「届け切る」ということに、もっと向き合ってみよう。

ジャスミンさんの文章を読んで、素直にそう思えた。


ジャスミンさんの言葉のように、人に気づきを与えられる文章。
読んだ人に徳を与えらえる文章が書けるようになりたい。

趣味で撮っている写真も、人に喜んでもらえる作品が撮れる人でありたい。

わたしの人生、まだまだ発展途上。
これからも、やれることは沢山ありますね。


藤原華さんのコンテストに応募してなくても、
モノ書きだけじゃなくても、
一度ジャスミンさんの言葉に触れてみてほしいです。

全ての表現者にとって、価値しかないから。

既にたくさんの人に読まれていると思うけど、
もっともっと多くの人に読んでもらえたらいいなと
陰ながら思っています。

今回の記事はここまで。
最後まで読んで頂きありがとうございました。

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sato
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