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余白の力。

こんばんは。佐藤です。

いつの頃からかわからないけど、気づけば色んなところで「これからは◯◯の時代!」とか「◯◯力が必須になる!」というキャッチコピーを聞くことが多くなった気がしませんか?

社会が変われば、求められる価値観も変わってくるから、このこと自体にそんなに意見があるわけではないのですが、その中で、「それって普通じゃね?」と思うものがあったりします。なんだかそのようにトレンドとして仕立て上げることによって、それらを流行らせたい人たちが市場を作ろうとしているかのような(ちょっと違うかもしれませんが、ちょっと前にこれからのマナーとして「マスクマナー」が作られてSNS上で炎上してましたね)。

もちろんそれもビジネスの手法だし、市場を生み出すという戦略としては良いのだと思います。ただ、それに消費者たちが踊らされるのはよくないですよね。そういう意味では上記のマスクマナーに対する反応は正常なものだったと感じます。

さて、この新しく作られた(かのように見える)◯◯力の話題で気になったのが「共感力」です。これからは共感が大事、と言ったりしてましたけど、いや、これまでも共感は大事でしたよね笑 今になってフォーカスしてなんなんだろうかと思ったりも。

ただ実際問題として、対人を相手にする現場では、自分の対応(発した声、姿勢)が、その行為を受けた他者がどのような感情を抱くのかまで、配慮がすることができていない場面を見ますし、僕自身もそのような対応をされて凹んだことも多々経験しました。

この力にフォーカスが向いたのは、他に差をつけるところがないくらい似たようなサービスが溢れてしまったので、この部分で違いを生み出すしかないからという主張も一理あると思います。でも、それは差異以前に基本的な姿勢ではないかと思うわけです。

SNSで見かけたり、経験則からですが、コールセンターなどで行われるマニュアルに沿った対応しかしないだとか、「ルール」だからとそれだけの理由しか伝えないとか。いや、確かにそれは大事なことだと思うけど、他に伝え方あるんじゃないのって思いを受けたりしません?

もちろん、マニュアルは大事なことはわかってます。変な解釈をされたりしないように伝え方がしっかりと練られていたり、イレギュラーが起きないように統一した対応をするためとか、その背景もわかります。でも、その伝え方に無駄はないけど、人間味がないんですよね。だから言われた側はムカついたりショックを受けたりしてしまうわけです。

同じ内容を伝えるにしても、相手の立場に立って、どう言ったら受け入れてもらえるかを考えて、めんどくさくても一言二言クッションを挟んで伝えることがこういった対応の時には大事なのではないでしょうか。

それはここ最近になって急に大事になったことではないですよね。

なんだか効率的にこなすこと「だけ」が先行してしまって、あちこちで「余白」がなくなっている、そんな社会になってきてしまったような気がしてなりません。

もっと色んなところに「余白」を作れる社会にしたいものです。

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