#KimOhNo キム・カーダシアン氏のKimono商標登録問題について ②
リアルクローズとして着物を着ている私の視点から、
”Kimono”が下着として商標登録されることの問題点についてまとめています。
前回の記事で述べた問題点は3点です。
①経済的な損失という観点からの問題
②日本人のアイデンティティという観点からの問題
③人種・国籍という観点からの問題
前回の記事では ①経済的な損失という観点からの問題 をまとめました。
今回は
②日本人のアイデンティティという観点からの問題、
③人種・国籍という観点からの問題
の2点についてまとめます。
ではまず②日本人のアイデンティティという観点からの問題 です。
下着をKimonoと呼ばれることへの嫌悪感
ハッシュタグ #KimOhNO の抗議の投稿で
「下着を着物と呼ばれたくない」
「kimonoと検索したら着物ではなく下着が表示されるなんて嫌」
という意見が散見されました。
実際、私もこれに関しては理解もできるし、私も嫌です。
私が思うに、この嫌悪感の正体は「尊重されていない」事への不快感です。
これまではキモノという名前が付いた商品が海外で売られていても
「なんとなく着物っぽい」商品しかありませんでした。
食品などではこれまでも問題が度々起こっていたのですが、
着物だけは尊重されてきていたのです。
これまでは
「キモノって言ってるし、着物を模倣しているから理由も理解できる」
から誰も指摘しなかったのですが
「着物の要素は一切ない全然別物」にKimonoという名前を付けられてしまった。
この「私達の文化が尊重されていない」と感じた人が多いはず。
きちんと明文化できず「文化の盗用」というキーワードを持ち出して批判する人が続出したのも、嫌悪感が勝ってしまったせいでしょう。
しかし、ビジネスの世界では「私が嫌だからやめろ」が通じることは滅多にありません。
「文化」という側面から抗議をしている人がSNSでは1番多い印象ですが、
これが有効なのは数がまとまった場合のみだと私は考えています。
なぜなら、数が多い=対応するのに時間やコストがかかるからです。
2018年11月にDolce and Gabbanaがプロモーション動画で大炎上し、
販促イベントの中止どころか、中国のECサイトから追放されたのも記憶に新しいですが、
あの結果になったのは、中国が人口爆発国で、中国人が文化への軽視に大変敏感だからです。
世界的に見たら少数である日本の人口では、最初から不利な戦いなのです。
日本では批判が集まればすぐやめる実業家や企業が多いですが、
キム・カーダシアン氏は万単位の抗議の前でも「商標申請を取り下げる気はない」と断言する実業家です。
2019年6月29日現在、集まった署名は約2万名です。
SNSでも抗議の声は収まっていませんが、キム・カーダシアン氏に日本人のアイデンティティの方面で抗議し、商標登録を阻止するのは困難な事のように私は思います。
では次に③人種・国籍の観点からの問題点についてまとます。
様々な女性に配慮した商品に”Kimono”と名づけてしまう浅慮
※キム・カーダシアン氏のブランドKimonoのInstagramアカウントの削除に伴い、こちらの記事のリンクも削除いたしました。(2019.7.9)
私が文化という視点からの問題点より、もっと深刻なのではないか?と感じたのは実はこちらです。
キム・カーダシアン氏の商品の下着は、色々なスキントーンの女性に向けた体系補正の下着です。
多様な人種の女性が存在するアメリカで、この商品を必要としている女性はとても多いでしょう。
キム・カーダシアン氏のルーツから編み出されたと思しき、とても素晴らしい商品だと思いました。
しかし、その商品のブランド名に日本の民族衣装の名前を使用して良いとは、私には到底思えません。
様々なスキントーンの女性に向けた商品は、サイズ展開もとても豊富で心遣いに溢れていますが、
そこに日本人は含まれていないのでしょうか?
あまりにも浅慮ではないでしょうか?
昨今、ポリコレ警察というワードもよく耳にするようになったなぁと感じていたのですが、
今回の件は今のところ話題にすらなっていないように思います。
大変センシティブな話題ではありますが、「文化の盗用だ!」と抗議するより、こちらの方面のほうが有効なアピールではないでしょうか?
以上、私の視点から3点の問題点についてまとめました。
先述の通り、現在SNSでは「文化の侵害」という観点での情報拡散が1番多く見受けられます。
しかし、もっと別の視点での抗議活動も可能なはずです。
人口でも資産でも、このままでは握りつぶされてしまいかねません。
冒頭でリンクを貼った、先に投稿した記事でも触れましたが、
キム・カーダシアン氏の下着がKimonoという名前になろうと、日本人の民族衣装が着物である事実に揺らぎはありません。
ですが、着物と無関係の下着に民族衣装の名称を使用され、実害が出る可能性があるとなれば話は別です。
今回の文化や国籍・人種への浅慮などを見逃して良いのでしょうか?
私は見逃してはいけないと感じています。
2019年6月28日 投稿
2019年7月9日 加筆修正