わたしのまわり

音がする。これは食洗機の音。昨日の夕ごはんに使ったお皿が洗われてる。コースは「念入り」。わたしの大事なアラビアやマリメッコたちは、一体どういう気分なのだろうか。

もう1つの音は、床拭きロボットの音。こちらはすこしうるさい。食洗機と違い、動く範囲が広く周囲のものにぶつかりながら、移動していく。まるでわたしみたい。周囲に惑いながら動く。最近バッテリーが無くなってきていて、そんな広い家でもないのに一周する前にバッテリー切れを伝えるランプが赤く点灯している。そんなところにも親近感。わたしも電池が切れて何年だろうか。

そういえば、食洗機はうちの家人のようだ。規則正しく稼働し、相手のプラン変更にも即座に笑顔で応じる。デビューしたときもそれはそれは重宝がられた。みなに頼りにされ、先輩や上司から可愛がられている。今朝もしっかり定刻通り出勤していった(わたしはまだベッドにいた)。メールを見る限り、今日もばりばり働いているようだ。ここのところ世間を不安にさせている、新たな病原菌対策に忙しそうだ。

床拭きロボットは、どうも中途半端だ。床に落ちている埃を、拾うことはしない。いや、できない。シートに絡めて寄せる。寄せながら、いや、ほこりを床に撫でながら部屋中を動き回る。なんとも言えない。きれいになっているのか。きれいにするつもりのある行為なのか。シートやロボットの動きから脱落していったほこりやその他ごみは、そのままになる。落とされたままとなる。ロボットの通った後、たまに大量のほこりが集められ出来上がった、カタマリに遭遇する。なんとも言えない気分。捨てるには、躊躇いが大きい。この躊躇いは、どこからくるのか。わたしとこのほこりのカタマリの関係性はなんなのか。

しばらく見つめ、カタマリをゴミ箱へそっと置く。しばし、見つめる。そのとき、ふと、佇まいにどこか憧れを抱いていることに気づく。なんだろう、この力強さ。芯の強さ。孤独ゆえのものなのか。周囲との圧倒的なまでの距離感。床拭きロボットに屈しなかった崇高さ。抗うものの気高さを見たような気さえした。ふわふわの外形の中は、本物の鎧がある。他者から大事な自分を守るもの。自分には微塵もないものだと痛感する。



食洗機が終わったようだ。

家人も帰宅した。


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