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不登校中、私自身を救ってくれた言葉は、、、
息子が不登校になって。私自身、なんとか気持ちを保とうとしていた頃。自分の考え方、学校へ対応、息子への接し方など、あらゆる事に対して、これでいいのかなと毎日自問自答していた。不登校の対応に、正解なんてないって分かっていたし、何より私の問題ではなくて、息子の問題なんだから、私がどうこうできることではない。
だから、私のできることは、私の気持ちを穏やかにすること。でも、実際は何をどうしたらいいのか分からない。とにかく、いろんな情報を見ては試すことをしていた。
その時、一番初めにやったことが「ありがとう」を唱えることだった。時間があればひたすら「ありがとう、ありがとう、、、」と呟いていたと思う。運転中も、ひとりだと声に出して「ありがとう」を言ってた。
最初は何にでもすがりたい気持ちが強かったから、それがどう言う効果があるとか、半信半疑なところもあったけど、やらないよりはやってみる、そんな感じからのスタートだった。
誰に対してのありがとうなのか、今思うと全く分からない、腑に落ちていない状態 笑。
ところが、ある時。それがすーっと自分の中で消化できる瞬間があった。あれは、息子の日課のランニンング中。私はいつもその公園の中を1時間歩いていた。もちろん、ありがとうを言いながら。
その日もいつものような歩く。息子が私を追い越していく背中にも、たくさんの「ありがとう」を飛ばしながら。
その感覚は急にきた。
『なんか、私ずっと幸せだったんだな。それにやっと気づけたよ。』
「ありがとう」が腑に落ちた瞬間だった。涙が止まらなかった。こんなに満たされるような清々しい気持ち、久々だなと思った。
そこから、気持ちの面でかなり楽になった。息子へ対しての気持ちも変わった。手放せた感じ。やっぱり息子は息子だし、こうして生きているだけでありがたいことなんだ、と。
もちろん、その後も気持ちがブレることがないわけではなかったけど、この瞬間のおかげで覚悟はできていたと思う。
どんなに状況でも感謝の気持ちは忘れてはいけない。「ありがとう」は全てに対してだった。
最近、また「ありがとう」を唱えるようにしている。しばらくやっていなかったけど、今が本当に幸せだからこそ、全てに感謝を込めて。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
ひとりごと
追い越す背中に飛ばしていた「ありがとう」。息子は何か感じていたかな。いつも走った後は、気分がよさそうだった。帰りの車の中でも、口数が多かった。先がどうなるのか、全く分からずに日々を過ごしていた。息子は何か考えていたかもしれないけど、何にも話してくれなかったから、進路については。ただただ、毎日目の前の息子を見ていたな。いい思い出です。
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